2023年5月25日
2001年の5・3「創価学会の日」を記念する東京総会に際し、
設置された「七つの鐘」のオブジェを高らかに打ち鳴らす。
全世界の同志の幸福勝利を祈りつつ
(2001年4月、東京戸田記念講堂で)
広布の足跡と展望
第一の鐘 1930年~37年 学会創立(1930年)
第二の鐘 1937年~44年 創価教育学会の本格的な発足(1937年)
第三の鐘 1944年~51年 戸田先生の第2代会長就任(1951年)
第四の鐘 1951年〜58年 会員75万世帯を成就(1957年)
第五の鐘 1958年〜65年 会員300万世帯を成就(1962年)
第六の鐘 1965年〜72年 会員750万世帯を成就(1970年)
第七の鐘 1972年〜79年 日本の広布の確かな基盤を構築
第2の「七つの鐘」
第一の鐘 2001年〜08年 「創価学会永遠の五指針」発表(2003年)
第二の鐘 2008年〜15年 広宣流布大誓堂が完成(2013年)
第三の鐘 2015年〜22年 小説『新・人間革命』完結(2018年)
第四の鐘 2022年〜29年 広宣流布大誓堂完成10周年(2023年)
第五の鐘 2029年〜36年 学会創立100周年(2030年)
第六の鐘 2036年〜43年 学会創立110周年(2040年)
第七の鐘 2043年〜50年 学会創立120周年(2050年)
池田先生が「七つの鐘」の未来構想を発表してから、今月で65周年の佳節を刻んだ。1958年(昭和33年)4月2日、第2代会
長・戸田先生が逝去。当時、青年部の室長だった池田先生は、同志に新たな希望を送ろうと、5月3日に行われた春季総会の席
上、同構想を発表する。ここでは、「七つの鐘」の広布の指標について確認する。
1958年(昭和33年)5月3日の春季総会を目前に、池田先生は、「七つの鐘」構想の発表を決断する。その時の思いが、小説『人
間革命』第12巻「新・黎明」の章に描かれている。
伸一は、戸田が生前、「学会は七年ごとに大きな歩みを刻んでいくのだ」と、しばしば語っていたことを知っていた。また、「七
年を一つの区切りとして広宣流布の鐘を打ち、『七つの鐘』を打ち鳴らそう!」と語っていたことが思い出された。
伸一は、七年ごとの学会の歩みを振り返ってみた。
牧口常三郎と戸田城聖の手によって、創価教育学会が創立されたのは、一九三〇年(昭和五年)十一月十八日である。
そして、七年後にあたる三七年(同十二年)には、会員に約百人が名を連ね、創価教育学会が本格的に発足するにいたっている。
さらに、七年後の四四年(同十九年)十一月十八日には、牧口が獄死。それから七年後の五一年(同二十六年)五月三日には、戸
田が第二代会長に就任している。以来、七年を経て、戸田は願業をことごとく成就し、逝去した。不思議な時の一致といってよ
い。
伸一は、深い感慨を覚えながら、思索を重ねていった。
“昭和五年に、第一の広宣流布の鐘が打ち鳴らされたとすれば、既に、第四の鐘が鳴り終わったことになる。すると、今年の五月
三日の春季総会は、第五の鐘を、高らかに打ち鳴らす日としなければならない。
この第五の鐘にあたる七年のうちに、先生が示してくださった三百万世帯を、断固、達成するのだ。第六の鐘となる次の七年の目
標は、六百万世帯の達成になろう(中略)”
伸一の広宣流布の展望は、限りなく広がっていった。彼は、燦然たる未来に思いを馳せながら、総会では、戸田が折々に語ってき
た、この「七つの鐘」の構想を発表しようと思った。
そして、その構想の実現こそ、ほかならぬ伸一自身の生涯の使命であることを、悟らざるを得なかった。
5月3日の春季総会の席上、池田先生は、同志にこう呼びかける。
「『七つの鐘』が鳴り終わる時までに、広宣流布の永遠の基盤をつくりあげることを目標に、前進してまいりたいと思うのでござ
います。
『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』(全955・新1283)との御聖訓がございますが、本日を力強い前進の第一歩
として、希望と勇気と確信をたぎらせて、広宣流布に邁進していこうではありませんか!」
「七つの鐘」の壮大な構想は、学会員にとっての希望となり、指標となった。
その後、師弟共戦の大前進によって、先生が展望した通りの、広布の軌跡が描かれていったのである。
「七つの鐘」が鳴り終わるまでには、学会の会員世帯は750万世帯を突破し、日本の広宣流布の基盤が完成した。
先生は折に触れ、第1の「七つの鐘」を鳴らし終えた後の、新しい「七つの鐘」の展望に言及。21世紀が開幕する2001年の5月3
日から、第2の「七つの鐘」を打ち鳴らしゆくことを念願した。
そして、2000年12月、大阪で開催された20世紀最後の本部幹部会で、23世紀半ばまでの遠大な展望を発表する。
これまで創価学会は、「七つの鐘」を7年ごとに打ち鳴らしながら前進してきた。「七」は「南無妙法蓮華経」の七字にも通ず
る。第1の「七つの鐘」は、学会創立の昭和5年(1930年)から、昭和54年(79年)までの50年間であった。
第2の「七つの鐘」を打ち鳴らす、21世紀の前半の50年では、アジアをはじめ世界の平和の基盤をつくってまいりたいと、私は申
し上げた。その通りに私は祈り、一つまた一つと、手を打ち続けてきた。今回、私がアジアの各地を訪問したのも、この21世紀
の構想の上からの新たな第一歩である。
続く第3の「七つの鐘」を鳴らす21世紀の後半では、「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、世界精神へと定着させたい。
さらに、第4の「七つの鐘」に当たる22世紀の前半には、世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくりたい。
その基盤の上に、第5の「七つの鐘」が高鳴る22世紀の後半には、絢爛たる人間文化の花が開いていくであろう。
それが実現すれば、第6の「七つの鐘」、第7の「七つの鐘」と進みゆく。日蓮大聖人の立宗1000年(2253年)を迎える23世紀
の半ばごろから、新たな展開が始まるであろう。
今、私たちは、2022年からスタートした、第2の「七つの鐘」の「第四の鐘」を、世界の同志と共に高らかに打ち鳴らしている。
先生は本年、青年部の代表に贈ったメッセージの中で、「第2の『七つの鐘』、そして第3の『七つの鐘』まで頼みます」と万感
の期待を寄せた。
“広布拡大の鐘”“師弟勝利の鐘”を轟かせていくのは、誰かではなく、われわれ一人一人である。
先生は、創価の同志に呼びかけている。
広布と人生の勝利の鐘を打ち鳴らす主役は誰か──ほかでもない、それは自分自身と決めるのだ!
まずは、自らが、いかに人間革命し、わが家、わが地区、わが地域をどう発展、興隆させていくのか。大志を抱き、具体的な目標
を掲げ、一つ一つ楽しく粘り強く挑戦してもらいたい。