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〈紙上教学研さん 御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ〉第32回 

仏法は勝負

2023年3月18日

 

 「勇気」の二字が染め抜かれた新潟県旗を手にする池田先生。

先生は語った。「どうか、皆さまは、『勇気の新潟』を合言葉

に、『勇気』の二字を決して忘れないでいただきたい。勇気あ

る人のみが戦いに勝てる。そして、戦う人は幸福である」

「万年に輝きわたる『広宣流布』の大業のため、自身の永遠の

勝利のために、この一日一日を、立派に勝利していただきたい」

            (1991年5月、新潟池田文化会館で)

 

勇気の指標『勝利の経典「御書」に学ぶ』第6巻から

 師匠は常に、弟子の勝利の報告を待っています。戸田先生がそうでした。

私はいつも、戸田先生の直弟子として敢然と戦いました。勝利の結果をお伝えできることが、何よりも嬉しかった。

今もそうです。世界広宣流布を進めゆく青年の陣列が出来上がりましたと、私は胸を張って、戸田先生にご報告できます。

弟子が広宣流布の使命に戦い、勝利する。それでこそ、広布の現実の拡大が進みます。
 
弟子の勝利を願わない師匠はおりません。その師匠の指導の急所こそ、「仏法は勝負」の指針なのです。
 
常に人生の根本基準として決然と仏法を選び取ることです。しかも、現実の生活のうえで、最後には勝利の姿を現じていく粘り強

い戦いが重要となります。

仏法を根本とするということは、王法の賞罰や、世法の毀誉褒貶に揺るがない不動の信心を貫くことです。

「仏法と申すは勝負をさきとし」とは、まず何があっても、勝れた根本の仏法に基づいていくという信念です。それゆえに、必ず

結果として仏法の実証を現していくという決意と実践です。(中略)

大聖人は、「世雄」という仏の称号を挙げられています。その理由は、仏法の深い智慧で、本当に価値あるものを見極め、社会の

中で堂々と、真の幸福勝利の人生を築くことの大切さを示されるためであると拝せます。「世雄」とは、あらゆる世間の中で最も

勝れた智慧を体得して、煩悩に打ち勝ち、ゆるぎない幸福境涯を開いた勇者のことです。

 

川瀬卓也総新潟長

永遠の勝利へ 戦う人は幸福!

 信仰を貫いて所領を没収されるか、信心を捨てて主君の命令を受け入れるか──。池田先生は講義されています。

「四条金吾の最大の試練にあって、真実の勝利を勝ちとるために、この『仏法は勝負』の哲学を教えられたのです」

今回は、「弟子の勝利」が「師匠の勝利」、そして「仏法の勝利」となりゆく法理について学びます。
 
   吹雪をも
    また吹雪をも
      乗り越えて
     遂に勝ちたり
       新潟広布は
 
 1983年(昭和58年)4月14日。池田先生が、12年ぶりに新潟の地を訪れたその日に詠まれたお歌です。

4・14「新潟県の日」、そして「勇気の新潟」の淵源となった、私たち新潟の同志にとって忘れ得ぬ原点です。

新潟に滞在中の同16日。記念勤行会の席上で先生は、この「仏法と申すは勝負をさきとし」の御聖訓を拝され、「仏法実践の重

要な一つの実証は『勝負』にある。(中略)なかでも、人生において最大の課題は『生』『老』『病』『死』を、どう超克してい

くかにある」と語られたのです。
 
私が、壮年部員となったころに出会った大先輩。齢80を過ぎてもジーパンをはいて元気に街を闊歩される、いわば“ちょい悪オヤ

ジ”。その先輩がある日、満面の笑みで、病院での検診の結果を報告に来てくれました。「転移しまくって、“全身ガン”だった

ョ」と。また年齢を考えると手術も難しく手が付けられない、とも。

しかし先輩いわく、「でもなァ、俺、うれしいんだよ。俺にもまだ使命があるんだって。こんな老骨でも、病気に負けない生きざ

ま一つで、これから何人の人を励ませるかって思うとワクワクすんだよ」

まさに、先生が新潟で語ってくださった通り、「生」の勝利であり、「老」の勝利であり、「病」の勝利。そして、「死」をも超

克した「世雄」の姿です。逆立ちしてもかなわないと思いました。感動と尊敬の思いがあふれました。
 
新潟には、こうした、いかなる苦難にも揺るがない勇者の陣列が光っています。新潟の同志は、厳しかったこの冬も、寒風を突

き、大雪をかき分けて、「今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり」(新2085・全1451)との決意に燃え、仏

縁を結ぶ対話拡大に懸命に取り組んできました。

「3・16」を勝ち越え、いよいよ40周年となる4・14「新潟県の日」が目前です。

池田先生は、新潟の地で「信仰者の第一条件は『勇気』である」との永遠の指針とともに、「『生老病死』に勝ちゆく道は、勇気

ある信心にしかない」とも語ってくださいました。

私自身、2年前に脳梗塞を発症。医学的には重大な疾患と説明を受けましたが、「いよいよ宿命転換のチャンス到来!」と思えて

なりませんでした。同志の皆さんの祈りもあり、幸いにも後遺症もなく回復。以前にも増して“勇気の信心”を燃え上がらせ、広布

に戦ってきました。

師匠・池田先生が、私たち弟子の「勇気の勝利」を待ってくださっています。悪戦苦闘を乗り越えた先にある“桜満開の凱歌”を、

異体同心の団結で必ずや勝ち取っていくとともに、私たち一人一人が、乾坤一擲ともいえるこの戦いの中で、「人生の勝利」「信

心の勝利」「師弟の勝利」の実証を輝かせていきたい。

「正法を正義として明確に証明しゆく方途は、勝つ以外にない」──新潟の友に語ってくださった先生の心をわが心に深く刻み、

私自身が先頭に立って新潟広布の未来を勝ち開いてまいります!

 

四条金吾殿御返事

 夫れ、仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり。故に、仏をば世雄と号し、王をば自在となづけたり。(新

1585・全1165)

別名「世雄御書」。建治3年(1277年)7月または8月、日蓮大聖人が身延で著され、四条金吾に与えられたお手紙。同年6月、金

吾は“法論の場に武装して乱入した”との讒言により、主君の江間氏から“法華経の信仰を捨てる誓約書を書かなければ所領を没収

する”と命じられる。この事件の後、金吾の報告に対してつづられたのが本抄である。

 

 

 


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