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316「広宣流布記念の日」65周年――戸田先生の魂の叫び「戦おうじゃないか!」

2023年3月16日

 

 池田先生はつづっている。「毎日毎日が黄金の輝きに満ちていた。先生の一言ひとことは、すべてが遺言であり、未来を照らす

永遠の指標であった」。写真は当時のモノクロ(白黒)写真を、デジタル技術を使ってカラー化した。カラーで現存する別カット

の写真などを元に、色を特定した

 

       恩師・戸田城聖先生と語らう池田大作先生

                  (1958年3月1日)

 

 池田大作先生は、長編詩「青は藍よりも青し」で詠んだ。

「時は巡り来り/ここに迎えた広宣流布記念の日/この日こそ我

が愛する門下の/新たな空気を吸いゆく/希望の朝だ」

きょう、3・16「広宣流布記念の日」65周年の佳節を迎えた。1958年(昭和33年)のその日、恩師・戸田城聖先生のもとに青年

部の精鋭6000人が集い、“広宣流布の記念式典”が行われた。

「3月16日」は、池田門下の私たちが、広布誓願に立ち上がる“永遠の出発の日”である。

 

師ありて我あり

 「(戸田)先生と共に戦い、進み、生きぬくこと以外に、私の人生はない。師ありて、われあるを知る」

1957年(昭和32年)12月4日、池田先生は日記にそう記した。さらに、自身の人生を振り返っている。

 「十歳まで……平凡な漁師(海苔製造業)の少年時代」

 「二十歳まで……自我の目覚め、病魔との闘い」

 「三十歳まで……仏法の研鑚と実践。病魔の打破への闘い」

 当時、先生は29歳。日記に、次の30年への展望も記した。

 「四十歳まで……教学の完成と実践の完成」

 「五十歳まで……社会への宣言」

 「六十歳……日本の広布の基盤完成」

 この日記から9日後、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の成就が、本紙で発表された。

池田先生はつづっている。

「弘教七十五万世帯は、師弟の誓願であった」

「もし師弟の誓願が達成できていなければ、『3・16』の式典──あの後継の大儀式は完成されなかった」

「3・16」とは、単なる過去の歴史の一こまではない。弟子が広布拡大の証しで荘厳する日であり、「4・2」そして「5・3」へ

と、連続勝利のリズムで前進を開始する日である。

 

あとは頼むぞ

 58年3月、静岡に大講堂が落慶し、その記念行事が、1カ月にわたって、挙行されることになった。

毎日約7000人、のべ約20万人が集う、大規模の行事である。運営の全責任を担ったのが、青年室長の池田先生だった。

輸送機関の確保や、整理・誘導の役員体制など、課題は山積みだった。先生は、その一つ一つを検討し、万全の準備に当たった。

迎えた3月1日、大講堂落慶の式典が行われた。終了後、大講堂のエレベーターの中で、厳粛な師弟の歴史が刻まれた。戸田先生

が池田先生に、後事の一切を託したのである。

「これで、私の仕事は終わった。私はいつ死んでもいいと思っている。大作、あとはお前だ。頼むぞ!」

大講堂前の広場では、音楽隊・鼓笛隊が演奏をしていた。大講堂から出てきた戸田先生と池田先生は、音楽隊の方へと歩み寄っ

た。

 

弟子の誓願果たし抜く人生を
「宗教界の王者」の誇りで勇敢に進め

「ぼくが太鼓を打とう」

 戸田先生は両脇を支えられながら、体力を振り絞るようにして、大太鼓をたたいた。池田先生は、側にいた音楽隊長に演奏を依

頼した。

学会歌の演奏が始まると、池田先生は指揮を執った。青年たちが力強い歌声を響かせる。恩師と青年たちとの触れ合いを、本紙は

「感激の一コマ」(1958年3月7日付)と報じた。

大講堂落慶の記念行事が始まって1週間ほどが過ぎたころ、時の首相の来訪が決定した。戸田先生は池田先生に告げた。

「いい機会だ。その日は、青年部を呼ぼう。将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をやろう」

「式典の全責任は、大作、君が持つのだ。思い通りにやりたまえ!」

男子部に式典の開催が発表されたのは、3月11日。わずか5日前のことだ。同じ日、女子部(当時)にも連絡が流れ始めた。

携帯電話も、メールもない時代。だが、式典の知らせは、電報や訪問などで瞬く間に伝えられた。“師のもとに馳せ参じる”との一

念が、青年たちの胸中に燃え上がっていた。

式典の参加者に、“椀と箸を持参する”ことが徹底された。3月半ばとはいえ、寒さが残る中を集ってくる青年たちに、戸田先生は

温かな豚汁を振る舞った。“早朝に駆けつける青年たちを元気づけたい”との恩師の真心だった。

池田先生は式典に向けて、戸田先生の体調を気遣い、移動用の「車駕」の準備に当たった。青年部のリーダーに製作を依頼し、車

駕には腰かけ椅子、手すりが備えつけられた。

15日、池田先生は車駕の完成を戸田先生に報告した。だが、恩師は「大きすぎる。これでは戦闘の役にはたたぬ」と。心配する

製作担当者たちに、池田先生は語った。

「戸田先生は、こうした一つ一つの事柄を通して、私たちを真剣に訓練してくださっているんだよ」

「私たちの真心に、お応えくださらないわけがないじゃないか。何も心配はいらないよ」

青年に慈愛を注ぐ戸田先生の心を、誰よりも深く知っていたのは、池田先生だった。

 

君に全てを託す

 16日午前8時、青年たちに対して、時の首相を迎えて行われる、式典の意義や注意点などが徹底された。

開会の準備が進められる中、戸田先生のもとに、一本の電話が入った。首相からである。

外交上の問題のため、式典欠席の意向と、代理を出すことが伝えられた。戸田先生は怒りを交えて語った。

「6000人の青年が、前々から準備をして、待っているんですぞ。青年を騙すことになるではないか」

非礼を詫びる首相に、戸田先生は語気を強めた。

「私に詫びよと言っているのではない。詫びるのは、青年たちにだ!」

戸田先生は、池田先生をはじめ青年部のリーダーに語った。

「首相は参列しなくとも、今日は、予定通り堂々たる式典を開催し、盛大に一行を歓迎しようじゃないか」

「この式典を、広宣流布を記念する模擬的な儀式とすることには、いささかも変わりはない」

「広宣流布の一切を託す式典にするつもりでいる。首相が来ないのだから、私が全力で皆を激励したい」

戸田先生を乗せる車駕を担ぐメンバーは、車駕を安定して移動させる練習を行っていた。会場周辺は、段差のある場所があった。

恩師の体に負担がかからないようにするためには、車駕が水平に保たれ、揺れがないようにしなければならない。全員の呼吸が合

うように、練習が繰り返された。

正午前、首相の家族らが到着する。戸田先生は池田先生に支えられながら、会場への移動を始めた。部屋を出ると、外には車駕が

置かれていた。

恩師は前日と同じように語った。「大きすぎて、実戦には向かぬ。戦いにならんぞ!」

池田先生が厳愛に応えた。

「よくわかりました。申し訳ございません。しかし、この車駕は、弟子が真心で作ったものです。どうか、お乗りください」

愛弟子の言葉に、恩師は、にっこりとうなずいた。

戸田先生を乗せた車駕は、青年たちの中を進んでいった。式典後、恩師は語った。

「体が良くなったら、あの車駕に乗って全国を回りたいな」

 

一歩も退くな

 午後0時40分、池田先生の司会で、“広宣流布の記念式典”が幕を開けた。戸田先生は高らかに宣言した。

「未来は、君たちに任せる。頼むぞ、広宣流布を!」

「創価学会は、宗教界の王者であります。何も恐れるものなどない。諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れることなく、広宣

流布の誉れの法戦に、花の若武者として、勇敢に戦い進んでもらいたい」

式典終了後、戸田先生は池田先生に語った。

「我々は、戦おうじゃないか!」

この日以降、戸田先生は布団に横になることが多くなった。その中でも、師弟の語らいは続けられた。

ある時は、「今日は、なんの本を読んだのか」と問いかけ、指導者は学びを忘れてはならないことを語った。

ある時は、こう語った。

「昨日は、メキシコへ行った夢を見たよ」「待っていた、みんな待っていたよ。日蓮大聖人の仏法を求めてな。行きたいな、世界

へ。広宣流布の旅に……」

そして、池田先生へ世界広布の構想を託した。

「世界が相手だ。君の本当の舞台は世界だよ」

逝去直前の3月29日、戸田先生は宗門の腐敗について言及し、厳命した。

「一歩も退いてはならんぞ」 「追撃の手をゆるめるな!」

池田先生は、この遺言を青年部の厳訓とすることを誓った。

4月2日、戸田先生は58歳で崇高な生涯の幕を閉じる。恩師亡き後、池田先生は「3・16」を広布後継の“永遠不滅の日”としてと

どめた。

翌59年(同34年)3月16日、青年たちに提案した。

「毎年、3月16日を青年部の伝統ある節目にしていこう」

第3代会長に就任する年の60年(同35年)3月16日の日記には、こう記している。

「この日を、永久の広布実現の日の、開幕とすべきなりと、青年部幹部に残す」

さらに、61年(同36年)3月16日、東京都内で行われた青年部の第1回音楽祭で、「3・16」の意義に言及し、戸田先生の「我々

は、戦おうじゃないか!」との言葉について、こう強調した。

「これは、先生の魂の叫びであります。命の言葉であります。私たちは、このお言葉を深く胸に刻み、広宣流布の日まで、断固、

戦い抜こうではありませんか」

「3・16」から「4・2」、そして「5・3」へ、前進また前進だ。「我々は、戦おうじゃないか!」との闘魂を燃え上がらせなが

ら!

 

 

 

 


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