〈明日を照らす〉
2023年3月12日
私たちの広宣流布と人間革命の戦いも、祈りから全ては始まります。今回の「明日を照らす」は、「祈りから始まる」をテーマ
に学びます。
『いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、
強盛に申すなり。』
(呵責謗法滅罪抄、新1539・全1132)
(通解)
どのように世の中が乱れていても、あなた方のことを「法華経や十羅刹女よ、助け給え」と、湿った木から火を出し、乾いた土
から水を得ようとする思いで強盛に祈っている。
流罪地の佐渡におられた日蓮大聖人が、四条金吾に送られたとされるお手紙の一節です。弾圧に遭っている門下を思いやられる
御真情がつづられています。
普通に考えれば、遠く離れた鎌倉の7門下を守ることは不可能です。しかし大聖人は、濡れた木から火を起こし、カラカラに乾いた
土から水を涌きださせて見せる――それほど強盛に、”諸天善神よ、わが弟子たちを護りに護れ!”と祈っていると仰せです。
不可能を可能にした「大阪の戦い」。小説『人間革命』第10巻「一念」の章には、戦いの出発の会合の様子が記されています。
当時の状況が、いかに勝利からかけ離れていたかを知った時、大阪のリーダーたちは、みるみる失望の色を浮かべます。その時、
山本伸一はこの一節を拝し、語りました。
「今、私たちの置かれた立場や、合理的な考えに慣れてしまった頭脳では、不可能と思うでしょう。しかし、無量の力を御本尊は
秘めていることを、日蓮大聖人は、明確に教えていらっしゃる。これを信じるか信じないかは、私たちの問題です」
「全員の祈りがそろって、御本尊に向かった時、不可能を可能にする道が、豁然と開けるのは当然です」
どんな苦難や障害があろうとも、私たちには、師弟不二の信心がある!――無敵の祈りを根本に、今再びの民衆凱歌を轟かせてい
きましょう。
『頭をふればかみゆるぐ。心はたらけば身うごく。大風吹けば草木しずかならず。大地うごけば大海さわがし。教主釈尊をうご
かし奉れば、ゆるがぬ草木やあるべき、さわがぬ水やあるべき。』
(日眼女造立釈迦仏供養事、新1610・全1187)
(通解)
頭を振れば髪が揺らぐ。心が働けば身体が動く。大風が吹けば草木も揺れる。大地が動けば大海も騒ぐ。同じように教主釈尊を
動かせば、揺るがぬ草木があるだろうか、騒がない水があるだろうか。
日蓮仏法は、諸天善神の加護を待ちわびるだけの弱々しい信仰ではありません。”断じて勝つ!”との誓願の祈りで、大宇宙をも揺
り動かしていく信心です。
ここで仰せの「教主釈尊」とは、宇宙と生命を貫く根本の法である南無妙法蓮華経と一体の仏のことです。
御本尊に強盛に祈り切り、広布に勇敢に戦い切っていく時、そのはつらつたる生命の躍動は、一念三千の原理で必ずや環境をも変
えていきます。
池田先生はつづっています。
「我が一念には、広大な宇宙をも包む広がりがある。この生命を振り絞っての正法正義の祈りは、諸天も動かさずにおかない」
「私たちが真剣に祈って、語りゆく言葉が、友の心に響かないわけがない。ゆえに、大きな大きな心で友情を育みゆくことだ」
諸天善神をも目覚めさせる決定した祈りこそ、広布と人生の勝利を開く要諦です。
『苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽に
あらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え。』
(四条金吾殿御返事〈衆生所遊楽御書〉、新1554・全1143)
(通解)
苦を苦と覚り、楽を楽と開き、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい。これこそ自受法楽ではないか。
ますます強盛な信心を貫いていきなさい。
「祈りとは、負けじ魂です。
祈りとは、無限の希望です。
祈りとは、絶対の安心です。
祈りとは、不屈の前進です。
祈れることが最大の幸福であり、人間としての最高の尊厳なのです」――池田先生は、こうつづっています。
多くの同志が、この御文の一節を胸に刻み、唱題に励み、人生の荒波を勝ち越えてきました。
本抄を頂いた四条金吾は当時、主君の江間氏を折伏したことで不興を買い、反感を抱いていた同僚からの讒言も加わって、苦境の
ただ中にありました。その金吾に対して、「法華経を奉るより外に遊楽はなし」(新1554・全1143)等と、人生の真髄を教えら
れているのが本抄です。
「自受法楽」とは、法楽(法の楽しみ)を自由自在に受けきっていける境涯のことです。苦しみも、喜びも、思い合せて題目を唱
えきっていく――その生命自体が仏の境涯です。信心を貫く人は誰が何と言おうが、最後は必ず勝利するのです。
先生は強調しています。
「絶対の法に則り、揺るぎない確信に立った幸福な人生を歩める。他の誰でもない、自分自身が必ずそうなるのです」