• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉インタビュー上. 

小説家・劇作家 柳美里さん

2023年3月11日

 

東日本大震災から12年
「声の届く」場所で「共に苦しむ」ことから

 共に苦しむことで、その人の悲しみを大事にしたい。福島県南相馬

市在住の作家・柳美里さんは、そう語る。東日本大震災から12年、

私たちはどう生きていくのか。インタビューを上下2回にわたって掲

載する。下.は12日付に掲載予定)

 

親密さの回復

 ──東日本大震災から12年。震災による喪失と悲しみは、今もな

お続いています。今という時を、どのように見つめていますか。
 
 震災と、それに続く東京電力福島第一原発の事故によって、福島の皆さんは、長期にわたる避難生活を余儀なくされてきまし

た。

私が住む福島県南相馬市の小高区では現在、居住者は3800人ほどで、震災前の約3割です。65歳以上の方が50%近くに上り、避難

生活の中で家族を亡くし、1人暮らしをしている高齢の方も多くいます。

もともと地縁、血縁が強く、人が密接につながっていた地域ですが、震災後の長期避難で、そうしたつながりが断絶されてしまい

ました。

そこに、コロナ禍が起こりました。震災で寸断されていたJR常磐線が、ついに全線開通したのが2020年3月。本当なら、多くの皆

さんを迎えるはずでしたが、その後の緊急事態宣言で、次々とイベントが中止されました。最も来てもらいたい時に、感染症の流

行が重なったのです。

実は、コロナ禍での感染対策の防護服姿やマスクの着用は、この地域の人にとっては、2011年以来、見慣れたものです。避難の一

時帰宅で自宅に入るのにも、放射線の防護服とマスクを着けなければならなかった方もいます。

災害も感染症も、多くの人に影響を及ぼします。けれど、それが「皆、苦しい」といった言葉でまとめられると、苦しみが「並列

化」され、一人一人の「固有の苦しみ」が見えづらくなってしまいます。

「3密を避ける」「ソーシャル・ディスタンスをとる」は、感染対策には必要。しかし、近所付き合いが深く、隣組も機能してい

た、この地域では、そうした言葉が残酷に響いた一面もあるんです。

さらに21年2月、22年3月と続いた福島県沖地震は最大震度6強で、家屋の損壊など、報道されている以上に大きな被害がありまし

た。それまでも、3・11が近づくと体調を崩したり、気持ちがふさいだりする方が多くいました。そうした時期に、2年続けて大き

な地震があり、建物が壊れて営業できなくなった店舗なども相次ぎました。

昨年からは、ウクライナを巡る危機の報道を見て、避難の記憶がよみがえって、過呼吸や涙が止まらなくなる人もいます。

同じ事象であっても、一人一人の「苦しみ」は、さまざまです。地震、津波、原発事故によって人間関係がぶつ切りにされてしま

った地域で、そうした苦しみを支える「親密さ」をどう取り戻すか。最も求められているのは、人と人との「密」なつながりだと

思います。

そのために、まずは「人の話を聴く」ことが必要ではないか。震災翌年から18年に閉局するまで、臨時災害放送局「南相馬ひばり

エフエム」で、「ふたりとひとり」というラジオ番組のパーソナリティーを務めました。番組では毎回、南相馬の方を2人ずつイン

タビューし、600人の方々の話を聴いてきました。

 

暮らしの中に

 ──言葉にならない悲しみを抱えた方も多くいらっしゃると思います。深い悲しみを前にして、そうした方の話を聴く時に、柳

さんはどんなことを考えていたのでしょうか。
 
 「聴く」ことは、受動的な行為と思われがちで、どこか軽んじられている気がします。でも実際は、すごく肉体的なやりとりで

す。

聴くためには、「声が届く範囲」にいなければなりません。目の前の人の肺から息が上がってきて、声帯が震えて声を発する。

その振動が、聴き手の耳に入って、鼓膜に届く。聴くことは、「あなたの苦しみを確かに受け取った」というレスポンス(返事)

でもあります。

 

沈黙も含めて「聴く」
今という「時」の共有

 震災以降、多くの方が被災地に来ましたが、メディアの中には

「こういう話を取ってくるように」という前提を持って取材に来

る人もいました。それでは「聴く」ことにはなりません。

現代は、商品や情報など、あらゆるものに値段がついて「消費」

の対象になります。けれど、私はずっと、悲しみや苦しみは「消

費してはいけないもの」だと考えてきました。震災で失ったのが

大事なものであるほど、その人の悲しみも同じように大事にしな

ければならない、と。

また、震災後に「頑張ろう」というメッセージも多く使われました。確かにその通りなのですが、時にそうした励ましは「先回り

した言葉」のようにも感じました。胸が張り裂け、口に出すこともできない。そんな苦しみを抱えた人を前にした時、まずは「共

苦」(共に苦しむこと)が必要ではないかと思います。

私は、2000年に伴侶を亡くしました。あまりにつらく、悲しい経験をすると、記憶が「空白」になることもあるんです。実際、私

も伴侶が亡くなった直後の記憶が抜け落ち、自分がどう行動していたのか、覚えていません。当時、一緒にいた人に、「あの時、

自分は何をしていたのか」と尋ねて回りました。そうした中で、自分の思いを聴いてくれる人がいて、その人を通して取り戻せた

憶もありました。

「南相馬ひばりエフエム」のラジオ番組「ふたりとひとり」では、被災地の暮らしの悩みを多く聴きました。3月11日は過ぎてお

らず、日常の中にあると感じました。暮らしの中に、悲しみも苦しみもあります。

「共苦」するためには、「共に暮らす」ことから始めなければ、私は聴き手になれない。そう思って、息子と一緒に15年に、神奈

川から南相馬に引っ越しました。

ある寒い日、復興住宅の縁側に、ポツンと座っている高齢の方がいました。私には、誰かを待っているように見えました。言葉に

ならない悲しみもある。そうした「沈黙」も含めて、聴くことが必要ではないか。無視せず、聞き流さず、「声が届く範囲」にい

てくれる誰か。そうした存在が、求められているように感じます。

 

同じ場所にいる

 ──沈黙さえも含めるとすると、聴くことには、大きな広がりがあると感じます。急に語りかけたり、励ましたりすることはで

きなくても、相手のそばに「一緒にいる」ことで、聴くこともできるのですね。
 
 津波によって兄夫妻を亡くした、ある男性がいます。彼は震災後、夫婦でお兄さんの子どもたちを育ててきましたが、その一人

を病気で亡くしたのです。お兄さん夫妻が命懸けで津波から守った子が、弟夫婦で必死に育ててきた子が、幼くして命を落として

しまうなんて……。彼からのLINEでそれを知った時、何も言葉にならず、返事を送れませんでした。

時間がたって、「春、小高川沿いの桜並木を歩きませんか?」と、彼を誘いました。桜並木の下を歩いていると、彼は、亡くなっ

た子は桜が好きだったと教えてくれました。最期は夏だったため、桜を見せてあげられなかったこと。けれど、その子をおぶって

海に行った時、波打ち際で砕ける白い泡を見て、背中越しに「海に桜が咲いてる」と言われたこと。彼は「あれが最後の花見にな

った」と。

私は何も言えないまま、並木道を歩いた1時間半、ただ聴いていました。しかし、彼は「誰にも話せなかった」と言いながら、たく

さん話してくれました。

話しても、気持ちの全てを共有することはできないかもしれない。けれど、話されたことを聴くことで、その悲しみにそっと「手

を当てる」ことはできるのではないでしょうか。

逆に相手が何も言えないときは、その沈黙も含めて聴く。言えない思いを抱えているのだとおもんぱかり、想像する。その痛みを

代わって痛むことはできないけれど、痛みを共に悼むことはできます。

言い換えれば、「今」という時を共有することです。人間である以上、死を避けることはできません。いずれ去りゆく者として、

この場にいる。だからこそ、かけがえがない。今という「時の共有」、同じ場所にいるという「場の共有」。それが広い意味で

「聴く」ことなのだと思います。

 

悲しみの水路

 ──深い悲しみや苦しみを経験したとき、共有できる人がいることは、小さくとも確かな支えになると思います。
 
 孤独の先に「孤絶」があります。原発事故の避難で、何代もかけてつながってきた地域の人たちが散り散りになり、帰還して

も、それまでとは一変した故郷しか残っていない。

つながりが絶たれ、居場所から引き抜かれてしまうと、絶縁と絶望の「孤絶」になります。

そうなると、自分は生きている意味がない、価値のない人間だと思い込んでしまう。地に足がつかず、生きることが宙づりにされ

るのです。そんなとき、一人きりでいたら、悲しみの水位がどんどん上がって、おぼれてしまいます。

心は、揺れる、震えるなどと表現しますが、動く余地もないほど固まってしまうと、何かの衝撃で折れてしまう。心を柔らかくほ

ぐすには、人との「交流」が必要です。「交」じり「流」れると書くように、誰かが近くにいて、聴いてくれることで、「悲しみ

の水路」が流れ出します。

南相馬に移住してから、そうした場所をつくりたいと、書店をオープンしました。カフェも併設して、地域の皆さんがふらっと立

ち寄れる居場所です。この地域で、私自身は「水道管のバルブ」のような役割だと思っています。流れる水は地元の方々で、私は

それをそっとつなぐ役目を果たせたらいいなと。

ある雨の日、コインランドリーで一人の女性と出会いました。洗濯物が乾くのを待っていると「どこの人?」と聞かれました。震

災後に来たことを伝えると、ぽつりぽつりお話しされました。かつては小高区で畑仕事をしていて、手芸教室もやったが、今は仮

設住宅暮らしで何もやることがない、と。

復興住宅の縁側に座っていた高齢の方も、コインランドリーで話した方も、隣にふらっと来てくれる誰かを待っていたのではない

でしょうか。大きな悲しみを経験した方を前にして、それと向かい合うことはできなくても、隣で同じ方向を見つめながら話がで

きたら、流れ出す思いもある。

後ろを向きながら、前に向かって歩んでいくことがあってもいい。私は、ここに暮らしながら、「あなたは私にとって大事な存

在」と、声をかけ続けていきたいのです。

意志を持って、つながりの場をつくらないと、孤絶した人たちは、この世からこぼれてしまいます。創価学会の座談会も、時と場

を共有して、それぞれの抱える思いや話を聴く居場所になっているのではないでしょうか。そういう場をつくって、交流を重ねる

ことで、「悲しみの水路」を通して、苦しさを流し出せるのだと思います。
 
 ──柳さんは、2018年にブックカフェ「フルハウス」を開店し、今は併設した劇場の準備を進めています。本との出あい、「生

活者」であること、信仰や祈ることについてなど、さらにお話を伺います。〈インタビューの下.は明12日付で掲載予定〉

 

 ゆう・みり 劇作家・小説家。1968年生まれ。高校中退後、劇団「東京キッドブラザース」に入団。俳優を経て、87年、演劇ユニット「青春五月党」を結
成。97年、『家族シネマ』で第116回芥川賞を受賞。近著に『南相馬メドレー』(第三文明社)、『沈黙の作法』(河出書房新社)など。2015年に鎌倉市から
福島県南相馬市に転居し、18年に「フルハウス」を開店。20年、『JR上野駅公園口』が全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞。

 

 

 

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください