2023年3月7日
連載「英知の光源 希望の哲理に学ぶ」では、日蓮大聖人の仏法を研さんするに当たって、さらなる理解のためのキーワードと
なる教学用語や法理を解説。また、関連する池田先生の指導を掲載します。今回は、「立正安国」の精神について学びます。
池田先生の指導から
「創価学会の目的は、この『立正安国』に示されているように、平和な社会の実現にあります。この地上から、戦争を、貧困
を、飢餓を、病苦を、差別を、あらゆる”悲惨”の二字を根絶していくことが、私たちの使命です。(中略)
具体的な実践にあたっては、各人がそれぞれの立場で、考え、行動していくことが原則ですが、ある場合には、学会が母体となっ
て文化や平和の交流機関などをつくることも必要でしょう。また、たとえば、人間のための政治を実現するためには、人格高潔な
人物を政界に送るとともに、一人ひとりが政治を監視していくことも必要です。(中略)
根本は『四表の静謐』を祈る心であり、人間が人間らしく、楽しく幸福に生きてゆくために、人間を第一義とする思想を確立する
ことです。
さらに、その心を、思想を深く社会に浸透させ、人間の凱歌の時代を創ることが、私どもの願いであり、立正安国の精神なので
す」
(小説『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章)
日蓮大聖人の御在世の鎌倉時代、「元号」が改められることが度々ありました。
大聖人の御生誕から御入滅までの約60年間だけでも20回以上。そのうち16回は天変地異や疫病、飢饉などの社会的な「災異」が
改元の理由です。それほどに、人々が”元号を変えることで災難が払われる”ことを信じ、願っていたのです。
鎌倉時代の記録『吾妻鏡』も、地震や洪水、大風、疫病などの災禍が頻発していた当時の様相を克明に伝えています。
とりわけ甚大な被害をもたらしたのが、正嘉元年(1257年)8月に鎌倉一帯を襲った「正嘉の大地震」です。民衆の惨状を目の当
たりにした大聖人は、これを契機に、文応元年(1260年)7月16日に「立正安国論」を御執筆。当時の実質的な最高権力者・北
条時頼に提出されました。
大聖人は、打ち続く災難の根本原因が”国を挙げての謗法”にあることを明らかにし、国土の安穏を実現するためには「謗法を断
つ」(新41・全30)べきであり、人々の心に正法を打ち立てる以外にないと断言されています。
”苦難にあえぐ民衆を何としても救いたい”――迫害を覚悟のうえで権力者をいさめる一言一句に、やむにやまれぬ大慈大悲がほと
ばしっています。
宗教の世界だけに閉じこもって現実から遊離するのではなく、仏法の哲理を根本として社会の課題に積極的に関わり、時代変革に
果敢に挑んでいく。大聖人が身をもって示された「立正安国(正を立てて国を安んず)」の精神に基づく平和実現への実践こそ、
仏法者の社会的使命にほかなりません。
実際、日蓮大聖人は、「立正安国論」提出に先立つと思われる時期にも、幕府の実権を握っていた北条時頼と対面して、宗教の
正邪を論じられています。
国家権力の中枢と直接会って対話し、安国論を書き送って正義の論陣を張る。民衆救済の言論戦を命懸けで繰り広げられる大聖人
のお姿は、権力と癒着して保身に甘んじていた他の無責任な宗教者と一線を画しています。
また、謗法という悪の根を断つ方途として、大聖人は謗法への「施を止む」(新42・全30)ことを示されました。
その当時、諸宗の僧侶は、幕府や有力者らの経済的な庇護を受けて存立を保っていました。そうした諸宗への布施を止めること
は、彼らの力をそぎ、謗法を断つことに直結します。
大聖人は、謗法そのものを責めるだけではなく、そうした誤った思想を受容し、信奉してしまうような人々の”意識の変革”によ
る”行動の変革”、さらには”社会的な土壌の変革”を目指されたとも拝せるでしょう。
安国論それ自体、主客の対話形式でしるされていることからも、根本的には、”対話の力”による一人一人の”心の変革”に立脚点を
置かれていたことは明確です。
大聖人は御生涯のうちで何度も「立正安国論」に加筆されましたが、まさしく、対話によって正邪を峻別していく姿勢を、重視さ
れたのだと拝察されます。
”慈悲の対話””正義の対話”を武器として、大聖人は民衆の幸福を実現するために時代の悪と戦い抜かれたのです。
日蓮大聖人の生涯にわたる行動は、「立正安国論に始まり、立正安国論に終わる」といわれます。
「立正安国論」提出を契機に迫害は本格化。不惜身命で妙法弘通を貫いた大聖人が、御入滅の直前に講義されたのも安国論であっ
たと伝わっています。
まさに大聖人の大願とは、仏法の人間主義の思想を一人一人の胸中に確立し、社会の基本原理とすることで安穏な社会を築くとい
う「立正安国」の実現にほかならないのです。
そこには、仏法の慈悲の理念を体現する有為の人材を、社会に輩出していくという使命も含まれるでしょう。
「あなたは、自分自身の安泰を願うならば、まず世の中の平穏を祈ることが必要ではないのか」(新44・全31、趣意)
――感染症の世界的流行や国際情勢の深刻化などに直面する今、760年以上前の安国論の一節が、時を超え、リアルな切実さをも
って私たちの胸に迫ります。
社会の平和と幸福を実現する「立正安国」の大願を果たすため、現実の上で行動し、その連帯を全世界に展開してきたのが創価学
会の師弟です。
御聖訓には「結句は、勝負を決健ざらん外は、この災難止み難かるべし」(新1333・全998)とあります。
私たちは、あの地この地で”勝負を決する”正義の対話に果敢に挑みながら、時代が希求してやまない「立正安国」「立正安世界」
の実現へ、誇りも高く前進していきましょう。