【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第16回
2023年3月1日
〈出席者〉 田島学生部長、梁島男子部長、池田主任副会長、林池田華陽会委員長、先崎女子学生部長
1978年5月、全国3000人の音楽隊員が集い、
東京・八王子市の創価大学で行われた、第1回音楽隊総会。
席上、池田先生は「世界の恒久平和のために、
ひたすら諸君の成長を祈り、待っております。
そして、一切を諸君にバトンタッチしたい」とあいさつした
◆田島 1954年(昭和29年)3月、池田先生は青年部の室長に
就任します。青年部長、男子部長という役職がある中で、戸田先生は、なぜ青年部に参謀室を設置し、池田先生を室長に任命した
のでしょうか?
◇池田 54年という年は、学会が1年間で7万世帯から約17万世帯へと大きく飛躍を遂げた年です。怒濤の勢いで前進する一
方、長期的な展望に立って、組織を整備・運営していくことが課題でした。
小説『人間革命』第8巻「推進」の章に、「エンジンの回転だけでは船は動かない。それを推進力とするためには、強靱なスクリュ
ーが必要である」とあります。戸田先生は、男女青年部の若々しい力、なかんずく池田先生に広布の推進力──船で例えるなら、
“スクリュー”の役割を期待します。
戸田先生は参謀室のメンバーに、「はつらつと動きやすくなったと、青年たちが喜ぶようになったら、君たちの存在意義も大き
い」と語ります。
青年には時代を変革する巨大なエネルギーがあります。その力を広宣流布を推進する方向へと過たず向けていく──それが、青年
部の室長としての池田先生の重要な役割でした。
同章には、山本伸一がこう語る場面が描かれています。
「民衆にかかわる、あらゆる問題、宗教の問題は当然として、政治の問題、経済の問題、文化の問題、思想の問題、民衆の生存に
関する一切の問題に対して、日蓮大聖人の御心を拝して、現実には戸田先生の指針のもとに、見事な作戦、企画を練り上げるの
が、われわれの任務ではないだろうか」
これは、どんな時代になっても変わらない、青年部の使命です。皆さんは、山本伸一と同じ責任感に立って、広布の活動に主体的
に取り組んでいってもらいたい。そのためにも、『人間革命』『新・人間革命』を学び、力を磨いてほしいと思います。
◆林 学会の文化祭の淵源となった体育大会や、音楽隊・鼓笛隊の結成も、池田先生の青年部の室長時代に行われました。
◇池田 体育大会も、音楽隊や鼓笛隊の結成も、当時の学会にはなかった考えです。今日の学会の文化運動の礎を築いたのは、
青年部です。青年の発想、青年の実行力が、広宣流布の新たな展開を開いたのです。
池田先生が室長に就任して以降、青年部員数は飛躍的に増加します。その原動力となったのが、戸田先生が贈った「国士訓」で
す。
戸田先生は「国士」という言葉を、「不幸の民衆のなかに飛び込み、人びとの幸福と世界の平和を築きゆく闘士、すなわち『革命
児』の意味」で用いました。恩師は「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」と訴
え、青年たちこそ、「国の柱」「日本の眼目」「日本の大船」であると、全幅の信頼を寄せます。
「国士訓」が発表された54年10月、青年部は“1万人結集”を実現します。その企画・運営の一切の責任を担ったのが、池田先生で
した。『人間革命』第8巻「明暗」の章で、伸一は訴えます。
「十万の青年が集った時は、広宣流布の第一歩が近づいたことになるのであります。これを目標として、堂々と戦っていこうでは
ありませんか!」
「国士訓」の発表、それに続く青年部の結集の戦い──「3・16」の広宣流布の記念式典で、急遽の連絡だったにもかかわらず、
恩師のもとに、6000人の青年が集えたのも、こうした戦いがあったからではないでしょうか。
池田先生はかつて、このように述べています。
「青年が青年を呼び、嵐のような絶賛があって人が集う。その流れが広宣流布である」
民衆から離れて広宣流布はない
◆先崎 58年(同33年)3月、創価学会が宗門に建立寄進した大講堂の記念行事に、時の首相の出席が決まった時、戸田先生は
「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」と語られ、3月16日に挙行されました。「模擬試験」「予
行演習」とは、どのような意味なのでしょうか?
◇池田 「模擬」「予行」ということは、「本番」はいつ来るのか──。池田先生は2002年(平成14年)の随筆「『3・16』の
大精神」で、こうつづっています。
「『今』という、かけがえのないこの時こそ、三世を勝ちゆく儀式の時なのだ」
また、13年(同25年)の随筆「『三・一六』は永遠なり」には、「この五十五年間、毎日が『三・一六』である。永遠に決意の日
であり、断固と勝利へ出発する日なのだ」と記されています。
つまり、「本番」が「いつか来る」のではありません。
「今この瞬間」「毎日」が「本番」です。「今」を全力で戦うことに、「3・16」の精神の脈動があるのです。
随筆「『3・16』の大精神」には、青年部への万感の思いが書きとどめられています。
「“広布の模擬試験”から、四十四年。今や試験的段階は完全に終わった。『創価の世紀』の、広布の本舞台が始まったのだ。私に
は、青年部、未来部の諸君を頼みにするしかない」
「最強にして、極善の青年城の構築を、断固、頼む!」
1958年(昭和33年)3月1日、大講堂落慶の記念式典が行われた折、戸田先生は池田先生に「これで、私の仕事は終わった」「あ
とはお前だ。頼むぞ!」と、後事の一切を託します。
池田先生は、恩師と同じ思いで、「極善の青年城の構築」を皆さんに託したのだと思えてなりません。
◆梁島 「3・16」については、『人間革命』第12巻「後継」の章に、詳細につづられています。
◇池田 同章には、「三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して?給うべき戒壇なり」(全
1022・新1387)の御聖訓を通し、こうつづられています。
「広宣流布が進めば、梵天も、帝釈も、正法を求めて集い来ることは、間違いない。大梵天王・帝釈等とは、現実に即して考える
ならば、法華経を守護する働きを担う社会の指導者層といってよい。つまり、一国の宰相はもとより、各国、各界の指導者が、大
聖人の仏法に共感し、讃嘆する日が来る」 大石寺には、「勅使門」と称される門があります。宗門では、「広宣流布の暁に開か
れる門」であり、その際、勅使(勅旨を伝えるために天皇が派遣する使者)が大石寺に詣でて、その門を開き国主を迎え入れると
している。それが、宗門の広宣流布観の一つでした。
「3・16」の式典は、それまでの広宣流布に対するイメージを根本的に覆すものだったのです。今日、池田先生の激闘によって、
私たちは、「各国、各界の指導者が、大聖人の仏法に共感し、讃嘆する」時代を迎えました。
『新・人間革命』第16巻「羽ばたき」の章には、「現在は『主権在民』である。一人ひとりの民衆が正法に帰依すれば、そのまま
広宣流布の実現となる」と記されています。
人間を離れて、日蓮仏法は存在しません。民衆から遊離した広宣流布などありません。自他共の幸福と地域・社会の繁栄を実現す
ることに、学会の目的があります。
「3・16」65周年の3月が幕を開けました。「毎日が『3・16』」との決意で、わが凱歌の足跡を刻んでいきましょう。
参照
◆小説『人間革命』=第8巻「推進」「明暗」、第12巻「後継」
◆小説『新・人間革命』=第16巻「羽ばたき」