〈地域を歩く〉
2023年2月24日
多くの人が訪れる東山動植物園。
奥には東山スカイタワーが
「コーヒー豆って本当は『種』なんですよ」と
“豆知識”も教えてくれた「松島珈琲」の
松島寿さん㊧・正美さん夫妻
それぞれの地域には、その地にしかない歴史があり、魅力があ
り、誇りがあります。日本の各地を訪ね、その地で生きる学会員
を
追う連載「地域を歩く」。今回は、愛知・名古、愛知・名古屋市千種区を訪れました。
愛知県民が選ぶ「住みたい街ランキング」のトップは名古屋市千種区である(いい部屋ネット 街の住みここちランキング&住み
たい街ランキング2022〈愛知県版〉)。
どんなところが人々を引きつけるのだろう。スマートフォンで調べてみた。
「コアラ」だろうか。区内東部にある「東山動植物園」は、コアラが日本で初公開された動物園の一つ。区のマスコットキャラク
ターも「こあらっち」だ。
もしくは天下人の「三英傑」(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)だろうか。千種区には織田家が築いた末森城があった。三英傑が
主役の映画やNHK大河ドラマも先月から始まり、ゆかりの地に改めて注目が集まっている。
また、地下鉄が縦横に走り、名古屋駅へのアクセスも抜群。名古屋大学など教育施設も多く、子育て世帯にも人気だという。
ただ、インターネットの情報を見ているだけでは、本当の魅力は分からない。早速、現地に足を運んだ。
区西部の「ナゴヤ セントラルガーデン」。分譲マンションとモダンな店が立ち並び、優雅な雰囲気を醸し出す。
「昔は下町でしたが、どんどん開発が進み、街並みが変わってきました」
迎えてくれたのは、千種区生まれの松島正美さん(区副女性部長)。夫の寿さん(副区長)と共に「松島珈琲」を営む。
街に溶け込むオシャレな店構え。扉を開けると、ひきたてのコーヒーの香りが漂う。
寿さんが53歳で脱サラし、この地で店を開いて10年。人気の「松島ブレンド」をはじめ、18種類のコーヒーを提供する。
その味は格別で、各地のコーヒーを飲んできた客が「ここが一番だ」とうなったという。寿さんは「コロナ禍に入ると、『ここの
コーヒーが飲めなくなったら困るから』と常連のお客さんが応援してくれました。ありがたいですね」と振り返る。
街が発展する一方、住民間の交流が希薄になったと感じる寿さん。「それもあってか、1人暮らしの高齢者の方が会話を楽しみに来
店されます」
夫妻の温かさとコーヒーの香りに癒やされる店は、地域のオアシスになっている。
区の中央に位置する覚王山駅周辺には、名古屋市内有数の高級住宅街が広がる。伝統と新しさが共存する駅前の商店街は、大正時
代から続く団子屋や有名パティシエの菓子店などが軒を連ねる。
「昔から大きな屋敷が多い街で、近くにある松坂屋創業家の別荘『揚輝荘』は、観光スポットになっています」と教えてくれたの
は、この地で「ジュン美容室」を開いて60年の鉄崎順三さん(副支部長)。81歳の今も現役で、妻・とめ子さん(副白ゆり長)と
共に、はさみを握る。
40年通い続ける常連客もいるという。長年、店を続ける秘訣を聞くと、即座に「大事なのは信頼。そして信心かな」と順三さん。
来店した直後はもちろん、1カ月たっても客に満足してもらえるカットを心掛けてきた。
「いつまでも地域の皆さんに喜んでいただけるよう、これからも真面目に頑張ります」と語る夫妻の表情は、若々しさにあふれて
いた。
試練の烈風を勝ち越えて
師と共に不屈の前進を!
「愛知県で取れる魚は、とてもおいしいんですよ」と言うのは、相越秀男さん(副堅塁長=副ブロック長)。池下駅近くにある
「鮨 越乃」の大将だ。
同じ魚でも、季節によって脂の乗り具合や舌触りが違う。その微妙な加減が感じられる秀男さんのすしは絶品。
今は県内屈指の江戸前ずしの店となったが、23年前に開店した当初は、ほとんど客が来なかったという。共に働く妻・あゆみさん
(地区副女性部長)は「借金もなかなか減らないし、最初はケンカばかりでした」と振り返る。
そんな二人に変化が起きたきっかけは、地域の同志があゆみさんの悩みに親身になって耳を傾けてくれたこと。あゆみさんが唱題
に励み、次第に前向きになっていく姿に触れ、それまで学会活動から離れていた秀男さんも、少しずつ会合に参加するように。
そうした中で、仕事にも変化が表れる。ネットの口コミで店の評判が広がり、客足が途切れなくなったのだ。“この信心はすごい”
と確信を深めた秀男さんは、友人への弘教も実らせた。
「やはり信心即生活ですね。これからも学会活動で心を鍛えながら、もっともっとお客さんに喜んでもらえるよう、腕を磨いてい
きます」と秀男さん。この向上心が、人気の“隠し味”となっているのだろう。
千種区の同志には、忘れられない歴史がある。
1970年(昭和45年)前後に吹き荒れた「言論問題」の嵐。学会を一方的に中傷した書籍に学会側が抗議したことなどが言論弾圧
とされ、一部のマスコミや政治家が学会攻撃を重ねていた。それは、一大民衆勢力となった学会の前進を阻もうとする試練の烈風
であった。
当時、学会を誹謗中傷した議員の一人が千種区にいた。
吉田達子さん(区副女性部長)は、その様子を昨日のことのように覚えている。「その人物の家は私の地元で、地域もその議員の
支持者ばかりでした。うちは聖教新聞販売店ということが知られていたせいか、近所の人と目が合っただけで『学会員はあっちへ
行け!』と怒鳴られたこともあります。何ともいえない嫌な雰囲気が漂っていました」
“なぜ人々の幸福と平和のために尽くす学会が、非難されなければならないのか!”──吉田さんは、悔し涙を流しながら祈りを重
ねた。
「そんな中、池田先生は、私たちに永遠の指針を示してくださったのです。まだ言論問題の余燼がくすぶっていた時でした」
それは76年(同51年)1月17日、名古屋文化会館(当時)で開かれた中部3県の代表幹部会でのこと。池田先生は、会合に参加し
ていた千種の同志に呼びかけた。
「『千の種』と書いて『ちくさ』というんだね。1000人に種をまくんだよ」「題目をあげた所が勝ちだよ」
またこの日、先生は千種会館(当時)を視察した。
吉田さんは振り返る。
「勢いよく学会の正義を語り、胸を張って進もうとの先生のエールだと思いました。私たちは、理不尽な学会攻撃への怒りを前進
のエネルギーに変え、地域の人々に粘り強く真実を語り抜きました。その中で、昔、私に怒鳴ってきた近所の人も、学会の活動を
応援してくれるまでに変わりました」
翌77年(同52年)12月11日には、旧・千種文化会館が開館。千種区の友は、広布の宝城が完成した喜びを胸に、さらに学会理解
を広げた。会館の近くに住む小笠原明さん(副支部長)もその一人だ。
早くに両親を亡くした小笠原さんは、実の家族のように温かく励ましてくれた学会員の姿に感動し、17歳で入会。その後の言論問
題で、学会をののしる議員たちの発言の内容は、自分が見てきた温かな世界とは全く異なるものだった。そうした姿を見るたびに
悔しさで拳を握り締めた。
「だからこそ、先生の言われる通り、地域に信頼の種をまき、本当の学会を知ってもらわなあかんと思いました」
勇気をもって地域の役員を買って出て、町内会長となってから約25年となる。
数年前には、この地域で行われる「汁谷公園盆踊り」の運営を担う盆踊り会の会長に。
当時、担い手不足で存続の危機に陥っていた。しかし、小笠原さんが会長となってからは「小笠原さんがやるなら、俺も手伝う
よ」と周囲の人々も次々に声を上げてくれたという。それだけ信頼を広げてきた証しだ。
そして、その盆踊りは2日間で約2000人もの人が集まる地域の一大イベントに発展した。
現在は盆踊り会の会長の職は退いたが、小笠原さんは地域に入るほど、感じることがあると教えてくれた。
「地域の人とのつながりが増えるほど、自分自身の視野が広がり、課題も見えてきて、もっと地域のために頑張らなあかんと思う
んです」
小笠原さんの挑戦は、まだまだ続く。
「先生が千種の同志に『題目をあげた所が勝ちだよ』と言われた意義をかみ締めています」と語るのは、県内外で13の介護施設な
どを経営する千葉護征さん(支部長)。
信心強盛だった父が亡くなり、会社の代表を引き継いだのは2年前のこと。重責を担うようになって、つくづく実感した。「介護で
向き合うご高齢の皆さんは、人生経験も豊かです。こちらが心を磨いていないと、すぐに見透かされてしまいます」
父は、常に題目の人だった。だからこそ、千葉さんは、多忙な中でも学会活動で心を磨き、題目から一日を出発する。
13施設で利用者は約400人。利用者の家族や従業員も含めれば、千葉さんが関わる人は1000人を超える。
「『千の種』をまく使命をひしひしと感じます。その上で、僕の名前は『千葉』だから、まいた種の一つ一つが、『千の葉』をつ
けるよう、大切に育んでいこうと思っています」と燃える千葉さんは、現在49歳。正義を広げる闘魂を受け継ぎ、きょうも地域を
走る。
広宣流布の道は、順調なことばかりではない。
しかし、何があっても不屈の信心で前へ前へと進み続ける中に、人生の勝利も地域の栄光もある。
そのことを、千種の同志は自らの生き方を通して示していた。愛する郷土の繁栄と安穏を願い、それぞれの地域で誠実に信頼を広
げ、地域のために汗を流していた。
そうした一人一人の奮闘が、街に輝きを与えているのだろう。
池田先生は語っている。
「皆さまは『幸福の種』をまいておられる。『勝利の種』を植えておられる。将来、それが美しい花を咲かせた時、無数の後輩た
ちから感謝され、仰がれ、賛嘆されていくことは間違いない。これが妙法の偉大な力用である」
千種区の友が、地道にまき続ける「千の種」。その一つ一つは、必ずや爛漫たる民衆凱歌の花と咲き、地域の未来を明るく包んで
いく力になると確信した。