〈一滴――新しい日々の始まり。〉
2023年2月23日
中標津町から釧路へと向かう卯野真一さん
北海道東部の「釧路総県」は、2市11町村を学会活動の舞台とする
広大な地域です。面積は青森県と同じくらい。車で3時間半もかけて
中心会館に集うメンバーもいます。卯野真一さんが総県男子部長に
就任して1年余、会合参加者は2・6倍に拡大。その背景には「毎日、
同志に会いに行く」という地道な挑戦がありました。
釧路市まで約100キロ
卯野さんの自宅は中標津町にある。訪問・激励に向かう車に同乗した。
釧路市まで約100キロ。雪景色の国道272号を走る途次、卯野さんが「あっ」とつぶやき、速度を落とす場面が幾度かあった。
視線の先にはエゾシカの群れ。「5年前に札幌から単身赴任でこっちに来た頃、車にぶつかられたことがありまして……」。今も油
断はできないという。
市内で佐々木弘希さん(男子部本部長)と合流し、男子部大学校5期生が住む家へ。語らいを弾ませる佐々木さんの隣で、卯野さん
はほほ笑みながら相づちを打つ。仕事のこと、生活のこと、たわいもないこと……。話を聞いてもらううちに、大学校生の顔が晴
れやかになっていく。
卯野さんは指導めいたことを言わない。理由を尋ねた。「相手に元気になってもらうことが訪問の目的なら、話を『聞く』ことが
一番ですから」
遠路をいとわず 心が通うまで
釧路川のほとりを卯野真一さん(右から2人目)が
男子部メンバーと語らい歩く。
川の水は釧路市から太平洋へと注ぐ。
“ここから広布の大河を”と友は誓う
釧路総県男子部の大会の参加者が記念のカメラに。
片道3時間の車の送迎を買って出た壮年部の友や、
「学会のことをもっと知りたい」と参加した友人の姿も
(今月5日、釧路文化会館で)
時には悩みから愚痴に至るまで、30分、1時間、2時間と。「中標津から来た」というだけで相手は驚くのに、時間を惜しまず話
を聞く姿勢を、卯野さんは絶対に崩さない。
人は「自分の話を聞いてくれた」「分かってもらえた」と感じた時に、相手との間に“信頼の橋”がかかる。一人で抱えていた“心の
荷物”が軽くなり、「頑張ってみよう」という気持ちも湧いてくる。
つい話し込み、夜遅くになることも。家の明かりもガソリンスタンドもない帰り道。卯野さんは車の燃料計の残量を横目に見つ
つ、シカとの遭遇にも備えつつ、ハンドルを握る。友と心が通い合った瞬間を思い出しながら、窓越しに望む満天の星の美しさと
いったらない。春夏秋冬、そんな一日一日を重ねてきた。
なぜ「聞く」ことに徹することができるのか。卯野さん自身にも“そんな男子部の先輩”がいたからだ。
千歳市に住んでいた20代半ばの頃。その先輩に、幼い日から習ってきた極真空手について語ったことがある。恩師と呼べる師範と
の出会い、二人三脚で道場をもり立てた思い出。限界に挑む充実も挫折の痛みも、全て空手を通して味わった。この話を誰かにす
ると、たいていは「卯野君の“特技”は空手なんだね」と返ってくる。だが、その先輩は違った。「空手は卯野君の“生きざま”なん
だね」
ああ、この人は、自分が大切にしていることを分かってくれる人だ──卯野さんの胸に熱い何かが宿った。たった一言でも、人の
心を動かす力がある。「けれどそんな一言って、相手のことを真剣に祈り、話を聞き続けなければ、出てこないと思うんです」
結婚を機に形だけ学会に入会していた妻・弥生さん(白ゆり長)も、創価家族の一言で発心した経緯がある。子育ての苦労も、多
忙な夫とすれ違う悩みも、全て受け止めてくれた女性部の先輩の言葉だ。「今まで、よく頑張ってきたね……」。その一言、その
声の温かさに、涙が込み上げて仕方がなかったという。
誰かを元気にするために、多くの言葉を費やす必要はない。卯野さんはそう思う。
一人にさせない
話を「聞く」といっても、聞く側のリーダーに心の余裕がなければ難しい。多くの友のもとへ足を運ぶ男子部のリーダーほど、
実は「自分の話を誰かにもっと聞いてもらいたい」と思っているものだ。
卯野さんは、圏男子部長や本部長などのリーダーと「共に訪問・激励に行く」ことを心掛けてきた。訪ねた先のメンバーを一緒に
励ますことだけが、目的ではない。「話を聞く側」として献身するリーダーをたたえること、訪問・激励の道中でリーダー自身の
話を聞くことも大事にしている。「さっきのメンバーに伝えた一言、感動したよ」「仕事や家庭のほうは、うまくいってる?」
等々。
釧路総県は広大ゆえ、待ち合わせの時間を考えると、同行者と時間の調整をせずに一人で家庭訪問に行く方が“早い”ケースもあろ
う。しかし「訪問・激励を一人でしない」ことは、「リーダーを一人にさせない。孤独にさせない」ことでもあるのだ。こうし
て“真剣に話を聞くリーダー”が、一人また一人と増えていったのである。
その流れは、男子部大学校5期生の輩出にも結果として表れた。総県として「支部1」の大学校生が誕生。標津支部では「地区
1」、根室本部では「支部5」を達成した。
話を聞けば、心が通う。心が通えば、互いの力も増してくる。5期生の中には重い障がいのあるメンバーもいる。入校前に、男子部
のリーダーが彼の自宅を訪ねた折、彼と彼の両親の話から伝わってきたものは「成長したい」「可能性を信じたい」との真情だっ
た。入校を勧める決断をしたリーダーは「彼が広布の使命を果たせるように、自分も変わらなければ! 成長しなければ!」と“共
戦の誓い”を燃え上がらせた。
松葉杖をつきながら
今月5日、釧路文化会館が熱気であふれた。総県男子部の大会に、近年では最も多い友が集ったのだ。メンバーの送迎を買って出
た壮年部員や陰で支えてくれた女性部員も会場後方で見守っている。創価家族という“応援団”と共に果たした大結集だった。
活動報告に立ったのは、男子部本部長の佐々木弘希さんである。「去年の12月6日、私が最もお世話になった男子部の先輩、渡邊
和広さんが霊山へと旅立ちました。今日は生前と同じように“和さん”と呼ばせてもらいます」
和広さんは先天性の脊髄の病を抱えて生まれ、足に障がいがあった。5歳で腎臓病を発症。医師から「6歳まで生きられない」と言
われた。両親と共に必死に唱題を重ね、一つ一つ乗り越えてきた信心の確信が、和広さんにはあった。男子部になってからは障が
い者用の自動車を運転し、松葉杖をつきながら、どこへでも訪問・激励に向かった。牙城会の任務にも就いた。
「和さんとの出会いは、私がケガで仕事を退職し、身も心もボロボロだった22歳の時でした」。和広さんは、佐々木さんの不安を
わが事のように受け止めてくれた。「大丈夫だよ」との一言で、不思議な安心感に包まれたことを今でも覚えている。佐々木さん
は本気で信心に挑戦した。
会合帰りの車の中でたわいもない話をしたり、連絡だけのつもりが長電話になったり……「それが私にとって、とても楽しい時間
でした」。一緒に訪問・激励にも歩くようになり、和広さんの「聞く力」を目の当たりにした。相手の得意なことや好きなことを
聞き出しては、全力でたたえ、励ます。和広さんの前では、誰もが本音を出せた。だからホッとした。元気になれた。
和広さんはこの数年、体が衰弱し、入退院を繰り返すようになっても、電話で友の話を聞き、勇気を送り続けた。使命に生き抜
き、生命の炎を赤々と燃やし抜いた40年。その尊い生涯に、釧路の同志は涙で感謝の題目を送った。
「今度は自分が、和さんのように」。佐々木さんの本部では“10人の中核メンバー”を育成する「広布十傑」を達成した。仕事でも
佐々木さんは、障がい児童デイサービスの管理者を務め、利用者一人一人の話に耳を傾ける日々だ。
本来は涙もろい。だがこの会合の活動報告は、絶対に泣くまいと決めて臨んだ。和広さんの思い出は、どれも笑顔しか浮かんでこ
ないからだ。
場内後方に、和広さんの父・哲矢さん(壮年部本部長)の姿があった。ほほ笑むその目には、光るものがあった。
新時代の山本伸一に
大会で登壇した卯野さんは小説『新・人間革命』第27巻「求道」の章を引用した。1978年6月、山本伸一が、現在の釧路総県内
の地域をはじめ北海道内を激励に駆けた歴史が描かれた章である。
16日間で、伸一が共に記念撮影した人の数は約5000人。直接会った学会員は、のべ2万人を超えた。
師が遠路をいとわず、この広大な北の大地で一滴一滴と“励ましの汗”を流した歴史ありて今、広宣流布の大河があることを思う。
卯野さんは苦楽を共にする同志たちに訴えた。「私たち一人一人が、“新時代の山本伸一”に!」
師と同じ心で友のもとへ足を運び、話に耳を傾けた分だけ、広布は進む。大きく動いた分だけ、自分の心も大きくなる。だから今
日も、会いにゆく。