〈随筆「人間革命」光あれ〉池田大作
2023年2月21日
厳寒に咲く紅梅。枝を渡る鳥は、
赤く燃える花と語らい、
“春遠からじ”と共に告げるかのように
(池田先生撮影、2021年2月、都内で)
日蓮大聖人の御聖誕月であり、戸田城聖先生の生誕月である
二月――。
日本のあの地で、世界のこの国で、広宣流布へ、立正安国へ行動しゆく、創価の師子たちの勇舞こそ、御本仏と恩師への何よりの
報恩なりと、私は信ずる。
今月、新たな「二月闘争」をと、躍動する対話の波は、北は北海道から、東北、関東、総東京、東海道、信越、中部、北陸、関
西、中国、四国、そして南は九州、沖縄まで、列島を包んでいる。
まさに「伝統の二月」。わが大関西の淵源も、一九五二年(昭和二十七年)、私たちが報恩の一念で展開した蒲田支部の「二月闘
争」と結びつく。戸田先生は、蒲田支部の幹部だった白木義一郎さんが二月から大阪に転勤する機会を逃さず、「大阪支部長心
得」に任命したのだ。白木さんは、早くも二月中に最初の弘教を実らせ、関西の民衆城の建設へ、第一歩を踏み出した。
この一年後の二月、戸田先生から白木支部長に「大阪支部」の旗が授与され、関西の婦人部も男子部も正式に出発したのである。
愛する関西の庶民、そして全民衆から、悲惨の二字をなくさんと「師弟誓願の旗」が翻って、七十星霜。「常勝」は、世界の同志
の合言葉となった。
なぜ、かくも堂々と福運錦州城が築かれてきたか。
アメリカの最高会議で、語り合ったことがある。
その一つの結論は──
一、関西は、いずこにもまして、仲が良い。
一、何でも言い合える家族の気風がある。ゆえに、朗らかで、さわやかである。
一、常に信頼の春風が吹いている。
一、友の胸中には“創価の心”が脈動している──と。
まさしく、「日蓮が弟子檀那等、自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところ
を、生死一大事の血脈とは云うなり」(新1775・全1337)との仰せさながらの和合といってよい。文永九年(一二七二年)の二
月十一日、佐渡で認められた御聖訓である。
わが関西家族は、大変な試練があるほど、「自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して」、励まし合い、立ち向かってきた。
あの阪神・淡路大震災からの復興においても、地域と社会の柱となり、どれほどの献身を重ねたことか。
我らは妙法で結ばれた、「師弟不二」にして「異体同心」なる生命の絆を、より強く、より深く、後継の若人と共に脈動させてき
たのだ。
哀悼の意を捧ぐ
今月六日に発生したトルコ・シリア大地震により、広範囲で建物が倒壊し、あまりにも多くの人命が奪われた。痛哭の思いで、
犠牲になられた方々に深く哀悼の意を捧げるとともに、被災された方々、支援に当たられている方々の安全無事を心から祈る日々
である。
同じ“地球民族”の一員として、世界の平和と安穏を、いやまして強盛に祈念してまいりたい。
南米30年の前進
「世界人権宣言」の起草に尽力したブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁が、私たちに寄せられた信頼の言があらためて蘇
る。
「世界中のすべての人々の幸福は、“力”によってではなく、それを超える“理性”によって築かれるということを語ることは重要な
ことです。それを最も訴えている第一の存在がSGIであります」
まるで同世代の戸田先生が総裁の身に入られたかと思われるほど、私たちを温かく迎えてくださったのは、一九九三年の二月。南
米を歴訪する最中である。
コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、そして五十カ国・地域目の訪問となったチリ──いずこの国の同志も、慈折
広布の決意に満ち満ちていた。
邪宗門の鉄鎖を断ち切り、「創価ルネサンス」の飛翔を開始した時である。
あれから三十年。アルゼンチンの地涌の連帯は当時の六倍、パラグアイは三倍以上、チリは五倍へと見事なる発展を遂げた。
私が訪れた際に支部が結成されたコロンビアも、千人の青年のスクラムを目指して挑戦を続けている。
「世界広布の王者」と立つブラジルは本年、青年部員十万人の達成を掲げ、ますます意気軒昂である。
大聖人は「悦ばしいかな、汝、蘭室の友に交わって麻畝の性と成る」(新43・全31)と述べられている。
いずこにあっても、創価の地涌の友は、この仰せの通りに崇高な精神で、喜び勇んで「立正安国」の対話に打って出ている。
いかに怨嫉や攪乱が渦巻こうとも、我ら師弟が誠実と真心を尽くして結び広げてきた「蘭室」の友情は壊されない。やがて、生命
尊厳の馥郁たる香りで、地球社会の幸福と平和の明日を薫じゆくことを、私は確信する。
大地に根差して
人類が未曽有のコロナ禍に襲われて三年余、経験したことのない危機の中で、民衆の福光城を厳然と守り抜き、大切な同志を懸
命に支え抜いてくれたのは、いったい誰か?
それこそ、地区部長、地区女性部長をはじめ最前線のリーダーの方々にほかならない。思いも寄らぬ変化と制約の中、深き祈りか
ら発する智慧と工夫で宝友を激励し続けてくれた。どんなに感謝しても足りない。一地区、一地区にとの思いで、妻と題目を送っ
ている。
“アメリカ公民権運動の母”と謳われるローザ・パークスさんは、“世に貢献するためには?”と問いを発した若者を讃えられた。
「その質問をすることで、あなたはすでに貢献をしています。あなたは、世界のどこに自分が位置し、他の人のために何ができる
のかを考えています。世界に貢献したいと思う人はみな、それができるのです」と。
私には、あの地区、このブロックで、“友のために”と正副の連携を密に、地道に歩き、励ましを送る皆さんの真剣にして慈愛の姿
が脳裏に浮かぶ。その祈りと声と振る舞いで一人ひとりの生命を蘇生させ、久遠より誓い願った使命の国土を栄えさせゆく、まさ
に「宝の人」なのである。
戸田先生は最晩年、人工衛星の打ち上げのニュースで皆が沸き返る中、宇宙をも照らす壮大な生命哲理の次元から冷静に見極めつ
つ、言われたことがある。
「大事なのは足もとだよ。何があっても浮き足立つのではなく、妙法の旗を掲げて、現実の大地に、しっかりと立つことだよ」
足もとを大切にし、「その国の仏法」のため、最も聡明に、堅実に貢献を貫く友こそ、最も頼もしき「地域の幸福責任者」なの
だ。
我ら打ち勝たん
思い返せば、私がパークスさんと初めてお会いしたのも、三十年前であった。
私たちは、公民権運動を鼓舞した歌でお迎えした。
「ウィ・シャル・オーバーカム(我ら打ち勝たん)」──パークスさんたちは、この不屈の闘志を響かせ、人間の尊厳と平等が輝
く時代を、と戦われたのである。
公共バスにおける人種差別という不正義に「ノー」と叫んだ、パークスさんの勇気の行動が起点となり、「バス・ボイコット運
動」が始まったのは一九五五年の十二月であった。以来一年以上も勇敢に忍耐強く続けられ、連邦最高裁判所から、バスの人種隔
離を違憲とする判決を勝ち取った。
それは、関西を舞台に無名の庶民が人生の希望を見出しながら、社会変革の主役と躍り出ていく、私たちの「大阪の戦い」と同じ
時期のことである。
この創価の民衆運動に脈打っているのも、“我ら打ち勝たん”と苦難に立ち向かった歌声と響き合う、不退の心であろう。いうなれ
ば「負けじ魂」である。
負けない一生を
そもそも「負けじ魂」は、既に『源氏物語』にも見え、優に千年以上の風雪を越えて伝わる言葉である。
この「負けじ魂」の一語を、大聖人は御抄に留められている。病を抱えていた富木尼に対し、“善医である四条金吾殿も心配してい
ましたよ”と伝えられ、「(金吾は)極めて『負けじ魂の人』で、自分の味方(信心の同志)を大切にする人です」と厚い信頼を寄
せられたのだ(新1309・全986、趣意)。
争いの絶えない乱世で、大聖人御一門に障魔が競う中、四条金吾は、師匠のため、同志のため、社会で勝つと「負けじ魂」で実証
を示し、師弟勝利の凱歌を轟かせたのである。
忘れ得ぬ語らいがある。「大阪事件」の直後、東京・大田区の自宅に帰ると、関西広布草創の功労の婦人が、妻と一緒に唱題して
いた。
この婦人が居住まいを正して言った。「私は、一生涯の覚悟を新たにしました。断じて負けたらあかん! 学会は断固として勝ち
進んでいくことです。それが本当の創価です」と。
私の妻も、「どんな事態にあっても負けない一生を」と一念を定めてきた。
負けじ魂とは「能忍」(能く忍ぶ)の力ともいえよう。我らは法華経に「其の志念は堅固にして 大忍辱力有り」(法華経459ペ
ージ)と説かれる地涌の菩薩の底力を発揮していくのだ。
今、わが同志は「負けたらあかん!」(関西)、「負げでたまっか!」(東北)、「負けんばい!」(九州)等々、いずこでも
「師子王の心」で前進している。
一歩一歩と前へ
不可能を可能にする逆転劇を創り出すのは、常に、負けじ魂の団結である。
まだまだ寒さ厳しき北国の様子を伺うたび、私の第三代会長就任に呼応し、北海道や東北、信越、北陸、中国など雪深き天地の男
女青年部も凜然と立ち上がってくれたことを思い出す。
北海道の乙女たちは、全道の地図を広げて、「ここにも、あそこにも華陽のスクラムを!」とマッチの軸で作った小さな旗を立
て、未来のロマンを語り合った。
我らは「人間革命」即「立正安国」の希望の旗、信念の旗、価値創造の旗を、いよいよ高く掲げゆくのだ。
そして、広布と社会と人生の大願成就へ、一喜一憂せず、今、自分にできる最大限の行動を、時を逃さず共々に続けよう!
その小さな、しかし偉大な師弟共戦の一歩一歩の積み重ねこそが、必ずや「春の曲」も麗しき、凱歌の決勝点につながるからだ。