〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉
2023年2月17日
2001年5月に行われた本部幹部会で、
学会歌の指揮を執る池田先生(巣鴨の東京戸田記念講堂で)。
席上、先生は語りかけた。
「無認識の壁にぶつかったとしても、『あんな人間がなんだ!』
『こんな迫害がなんだ!』と笑いとばしながら、誇り高く、
胸を張って生きぬいていただきたい」
連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は、人生の困難に挑む
友へ贈る、励ましの言葉を紹介します。
叶わない願いはない!
不況は、いまだに深刻である。倒産やリストラの波も襲いかかってくる。そのなかで、わが同志は懸命に戦っておられる。
「何なる世の乱れにも各各をば法華経・十羅刹・助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すな
り」(全1132・新1539)
この御聖訓を深く深く拝しながら、私も妻も、全同志に真剣に題目を送りゆく日々である。
激しく揺れ動く乱世である。だからこそ、「『祈りとして叶わざるなし』という大確信を、断じて忘れるな!」と申し上げたい。
これが、信心である。
有名な「祈?抄」の一節には、「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づ
るとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(全1351・新592)と断言されている。この法華経に勝る兵法は、絶
対にない。
(『池田大作全集』第95巻、409ページ)
“生”の火ともす励まし
だれでもいい、そばにいてあげることです。一緒にいて、話を聞いてあげる。一言でも励ましてあげる。それによって、苦しん
でいる心に、パッと“生”の火がともる。
「自分のことを思ってくれる人がいる」──その手応えが、苦悩の人の生命空間を、すっと広げてくれるのです。他人や世界と“共
にある”という実感があれば、必ず立ち上がることができる。それが生命のもっている力です。だから、「善き縁」が大事なので
す。仏法でいう「善知識」です。
(『池田大作全集』第30巻、306ページ)
病で「道心」が起こる
たしかに、一度も病床に臥したことのない人は、どうしても弱者への思いやりに欠けがちである。しかし「病苦」はそうした人
間にも、人生で最も大切なものはなにか、という点に目を向けさせていく、有無をいわせぬ力をもっているものだ。
若いころから、決して身体が丈夫でなかった私には、それが痛いほどよくわかる。
「病によりて道心はをこり候なり」(全1480・新1963)
この日蓮大聖人の御遺文の一節を胸に、走りに走った幾星霜が、いまは懐かしい思い出となっている。
(『池田大作全集』第22巻、476ページ)
仏法証明の蘇生の体験
大聖人は「地獄の苦みぱっときへて」(全1000・新1356)と仰せられている。ここがポイントです。そして、成仏の利益を挙
げられています。これがもう一つのポイントです。
すなわち、仏法のために受ける大難で感ずる苦しみは、永劫の地獄の苦しみをただちに消していくための小苦であり、成仏に通ず
るのです。これが大聖人が説かれる「宿命転換」の原理です。
仏意仏勅のわが創価学会においては、何十万、いな、何百万もの人が強い信心で苦難と戦い、自身の苦悩が「ぱっ」と消えた蘇生
の体験をもっている。宿命を転換する日蓮仏法の力強さは、一千万人が現実の人生の上で証明してきたとも言える。
(『池田大作全集』第33巻、48ページ)
苦難と“戦う楽観主義”
仏法の楽観主義は「なんとかなるだろう」というような“現実逃避の楽観主義”ではない。むしろ悪は悪として、苦しみは苦しみ
として直視する。そして、それと断固、戦う。どんな悪や苦難とも「戦える自分自身」を信ずるのです。そういう“戦う楽観主
義”です。
(『池田大作全集』第31巻、36ページ)
悩みが「人格」を育てる
時には、人間関係がわずらわしくなって「一人で生きたい!」と叫びたくなることもあるだろう。しかし、それは現実には不可
能です。仙人になるのでもないかぎり──。
だとすれば、どうするか。自分から「いい人間関係」をつくるしかない。そういう関係をつくれる人間に、自分がなる以外ない。
人間関係の「悩み」があるからこそ、自分が成長できるのです。悩みに負けなければ、「人格」が大きく育っていく。
だから、独りぼっちではいけない。人間、一人なんて、ありえない。それでは自己中心のわがままになってしまい、何もできな
い。
(『池田大作全集』第64巻、371ページ)
何があろうと強くなる
戸田先生はつねづね、こう、おっしゃっていた。
「私は愛する妻を亡くしました。愛する子どもも亡くしました。だから私は会長をやれるのです」
人生の苦労もなく、すべて思いどおりに順調にいった人には、多くの人々は救えない。苦悩しなければ、人の心もわからないし、
仏法の本当の力もわからない。
困難にあっても、自分こそが人生の「主役」である、「主人公」である、「英雄」であると決めて、前へ前へ進むことである。
自分を卑下したり、引いてしまったら、負けである。
何があろうと、自分自身が強くなるしかない。自分自身が境涯を広げるしかない。そうすれば、必ず道が開ける。
(『池田大作全集』第86巻、327ページ)
全細胞を一新する祈り
自分の全細胞を一新させるくらいの決意で祈るのです。六十兆の全細胞一つ一つの薬王菩薩をたたき起こして、発動させるので
す。私だって、三十歳までしか生きられないといわれた体で、ここまで働いて、ここまで長寿を勝ち取った。
寿量品の「更賜寿命(更に寿命を賜え)」(法華経485ページ)の一文の通りと感謝しています。「寿量」には「命数」とか「寿
命」の意義がある。端的に言えば、寿命を延ばして、生きて生きぬくための本源の生命力を寿量品は教えているのです。
(『池田大作全集』第31巻、294ページ)
試練に挑戦する一念を
「一念」は見えない。しかし、それは行動となって現れる。「賢者はよろこび愚者は退く」(全1091・新1488)と仰せの如
く、試練にも喜び勇んで挑む一念。これが「信心」です。その勇敢な前進の原動力が「題目」です。
誰しも苦しみや悩みはある。経済苦や病苦もある。けれども、妙法を唱え、広宣流布へ進む人は、自分自身が仏の生命となる。
いかなる苦難も乗り越え、勝ち越えゆく仏の智慧と力を、わが命から引き出すことができる。その戦いの中で、わが一念は、真金
の如く強くなり、深まっていくのです。
(『御書と師弟』第1巻、27ページ)