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〈栄光の共戦譜〉第14回 

1973年(昭和48年)「教学の年(青年の年)」

2023年2月15日

 

世界を結べや 朗らかに

 

   創価女子学園(現・関西創価学園)での第2回蛍友祭で、

   学園生を温かく励ます

          (1981年11月15日、大阪・交野市で)

 

 池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜

『栄光の共戦譜』には、黄金の“師弟の足跡”がとどめられてい

る。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活

動に通じる“学会の原点”を確認していく。第14回は、「教学の年(別名・青年の年)」と銘打たれた1973年(昭和48年)を掲

載する。

 

4・11 創価女子学園入学式

 創価女子学園(現・関西創価学園)の設立が発表されたのは1969年(昭和44年)7月。前年には男子校の創価学園が東京・小平

市に開校していた。池田先生は早くから、関西の地にも創価の学びやをつくろうと心に定めていた。

73年(同48年)、先生は創価教育の城を盤石なものにするべく、いっそう力を注いだ。3月、東京の創価学園で初の記念講演を行

うと、4月には創価大学の入学式に初めて出席。そして同月11日、大阪・交野市に開校した創価女子中学・高校の、第1回入学式に

足を運んだ。

席上、先生は、“他人の不幸のうえに自分の幸福を築かない”との信条を培っていこうと呼びかけた。「皆さんのささやかな実践

は、そのまま人類の平和への軌道に通じ、やがて、地球をも覆う力をもつはずであると、私は確信したい」と、“平和な社会の建

設”という、学園生の深き使命を強調した。

この日、先生は生徒たちと卓球やテニスをし、翌日も、食堂で昼食を囲みながら交流した。さらに4日後には、再び関西学園を訪

れ、語らいのひとときを設けた。12月に訪問した際には、校門に立って、朝、登校する生徒たちを迎えたことも。先生は“創立者と

して、この生徒たちのために生命を削ろう。一切を注ぎ込もう”との思いで、手づくりで関西学園の建設に汗を流したのである。

開校から9年後の82年(同57年)、東西の創価学園は、共に男女共学に移行した。90年(平成2年)3月、関西の学園生が作成した

原案に、先生が全面的に加筆した、関西創価中学・高校の新校歌「栄光の旗」が誕生。「ともに誓いを 果たさむと/世界を結べや 

朗らかに」──関西校の在校生・同窓生は、創立者への誓いを胸に、朗らかに前進する。

 

10・24 社会部・団地部・農村部・専門部が結成

 1973年(昭和48年)10月24日、東京・日大講堂で行われた本部幹部会で、池田先生は、翌年のテーマを「社会の年」とするこ

とを提案した。

同月6日、オイルショックの引き金となる、第4次中東戦争が勃発。社会全体が不況の暗雲に覆われようとしていた。

幹部会の席上、時代の闇を照らす“希望の灯台”の使命を担う、社会部、団地部、農村部(現・農漁光部)、専門部の設置が発表さ

れた。

以来、各部の友は、“信心を根本に、社会、地域に貢献していくことこそ仏法者の姿”と、使命の場所で地道な実践を重ねていっ

た。先生は、「仏法即社会」の体現者として立ち上がったメンバーを励まし続けた。

75年(同50年)9月、社会部の合同グループ指導会に出席。戸田先生の「“信心は一人前、仕事は三人前”してこそ、本当の学会員

だ」との言葉を紹介しながら、“自分が、この会社を守っていこう! 必ず発展させてみせる! 皆を幸福にしていこう!”という

気概の大切さを語った。

2年後の77年(同52年)2月2日には、同部の勤行集会に参加し、忍耐強く、信頼を築いていく姿勢の大切さを訴えている。

同月17日、先生は第1回「農村・団地部勤行集会」に足を運んだ。地域の発展を願い奔走する同志に、こうエールを送った。「心

の力は偉大です。何があっても負けない、強い、強い信心の一念があれば、一切の環境を変えていくことができる」

結成から50年──各部の友は、地域、社会の課題に敢然と挑みながら、“希望の灯台”として、信頼の輪を大きく広げている。

 

11・28 ルネ・デュボス博士と会談

 「若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」──1973年(昭和48年)5月、池田先生との対談を終え

た、歴史学者のアーノルド・J・トインビー博士は、先生にメモを託した。そこには、世界最高峰の学識者たちの名が記されてい

た。

その一人が、米国ロックフェラー大学の教授などを務めた、著名な細菌学者であるルネ・デュボス博士だった。同年11月、東京の

旧聖教新聞本社を訪れた博士夫妻と先生との会見が実現した。

博士は、抗生物質の先駆的研究者であるとともに、医学の分野にとどまらず、地球環境の保護にも尽力していた。

対談の中で、博士は訴えた。「環境問題へのアプローチは、物質主義的であってはならない。人間主義的なアプローチが、まだま

だ足りないと思います」

科学の分野で、人間性の回復を主張する博士らしい視点であった。そして、先生と博士は、21世紀を“生命の世紀”としなければな

らないという点で合意した。

対談から約2カ月後、博士から著書『内なる神』が先生に届けられた。添えられた手紙には、「本書の精神は“人間革命”というあな

たの思想と、必ずや一致するものと思う」と記されていた。

先生は、昨年5月の「随筆『人間革命』光あれ」で、博士が提唱した著名な標語「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地

球規模で考え、地域で行動する)」を引用し、こう述べている。

「道がいかに遠く険しくとも、一人ひとりが今いる場所で信念の行動を起こすことが、地球全体を変えゆく希望となるのだ」

環境問題や感染症が人類共通の難題として立ちはだかる今、解決への道は、私たち一人一人の行動にかかっている。

 

 

 

 


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