〈明日を照らす〉
2023年2月12日
創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布の実現にまい進しています。今回の「明日を照らす」は、「師弟」をテーマに
学びます。
『過去の宿縁追い来って、今度日蓮が弟子と成り給うか。釈迦・多宝こそ御存知候らめ。「在々諸仏土、常与師俱生(いたると
ころの諸仏の土に、常に師とともに生ず)」よも虚事候わじ。』
(生死一大時血脈抄、新1776・全1338)
(通解)
あなたは、過去の宿縁から、今世で日蓮の弟子となられたのであろうか。釈迦・多宝の二仏こそご存じと思われる。法華経化城
喩品の「在々諸仏土、常与師俱生」の経文は、よもや嘘とは思われない。
過去世からの宿縁を確信して
私とあなたとの師弟の絆は、過去世から結ばれている――。日蓮大聖人は、文永9年(1272年)2月11日、流罪の地・佐渡で
認められた本抄で、弟子の最蓮房に対して、”師弟の深い因縁”を示されました。
さらに、法華経化城喩品に説かれる「いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず」との経文に照らし、法華経を持つ師弟の
深き宿縁を確信していくよう教えられています。
仏法の説く”三世の生命観”に照らせば、私たちが正しき信心に巡り合えたのも、決して偶然ではありません。
世界広布新時代の今この時に、私たちは自ら誓い願って、「師と共に広布の使命を果たそう」と生まれ合わせた久遠の同志です。
この尊い師弟の宿縁を自覚する時、いかなる困難にも負けない力が湧き上がります。
池田先生は、「仏法の師弟は永遠不滅です。私は『月月日日に』、恩師・戸田城聖先生と前進しています。師弟は一体です。同じ
目的に向かって、同じ責任を持って、同じ戦いをしていくのです」と語られました。
さあ今日も尊き共戦の歩みを!”胸中の師”と語らいながら、三世に輝く不二の勝利劇をつづろうではありませんか。
『仏教をならわん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。この大恩をほうぜんには、必ず仏法をならいきわめ智者とならで叶
うべきか。』
(報恩抄、新212・全293)
(通解)
仏法を学ぶ人は、父母、師匠、国土や社会の恩を忘れてはならない。この大恩に報いるには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智
者とならなければならない。
報恩の一念が壁を破る力
旧師・道善房の逝去の知らせを聞かれた日蓮大聖人は、建治2年(1276年)7月、身延で本抄を認められました。
大聖人の修学時代の師・道善房は、最後まで念仏への執着が捨てられず、大聖人が迫害にあった時も守ることができなかった人物
でした。
それでも大聖人は、若き日に仏教を教えてくれた「師恩」を深く感じて、本抄の結びで”正法を弘める大聖人の功徳が故・道善房に
集まる”と示され、追善されたのです。
弟子の勝利が師匠の勝利である。こう決めて、生涯、広宣流布に生き抜くことこそ、真の報恩の人生にほかなりません。
1952年(昭和27年)2月。24歳の池田先生は蒲田支部の支部幹事として「二月闘争」の指揮を執り、支部で月間200世帯を超え
る”壁を破る拡大”を成就。戸田先生の誕生月を広布の金字塔で荘厳し、恩師の願業である75万せたいの達成へ、大きく突破口を開
かれたのです。
池田先生は「報恩抄」の一節を拝し、語られました。
「戸田先生の四恩に報いる道は、ただ一つ、先生が命をかけてこられた広宣流布に邁進し、「先生、このように広宣流布を進めま
した」と報告できる、見事な闘争を展開する以外には、断じてありません」
”師のために”との決定した一念に立って祈り戦う時、不可能の壁を打ち破る無限の力が湧くのです。
『真実の法華経の如説修行の行者の師弟・檀那とならんには、三類の敵人決定せり』
(如説修行抄、新599・全501)
(通解)
真実の法華経の如説修行の行者として師となり、その弟子檀那となると、三類の敵人が必ず現れるのである。
”難こそ正義の証し”と胸を張り
末法において、仏の説の如く実践する真実の法華経の行者には、必ず激しい難が競い起こることは経文に明らかです。そのこと
を日蓮大聖人は「如説修行抄」で認められました。
本抄は文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人が流罪の地の佐渡で、門下一同に宛てて記されたお手紙です。
当時、門下たちへの弾圧は激化。”大難は必然である””覚悟を定めよ”――大聖人は常々、門下に教えてこられたものの、いざ法難
に直面すると、門下の多くが驚き、臆病の心を起こしてしまったのです。
大聖人は、動揺する弟子を思って筆を執り、法難の意味を洞察されながら、「いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退する心なかれ、
恐るる心なかれ」(新605・全504)と、いかなる苦難にも退転せず信心を貫くよう、励まされました。
大聖人の仰せの通り、三類の強敵と対峙し、あらゆる大難を勝ち越え、広宣流布のために不惜身命の実践を貫いてきたのが、創価
三代の師弟です。
池田先生は、「本当に大聖人に直結し、広宣流布を進めてきた指導者は、牧口先生、戸田先生、私の三代の会長である。三代の会
長は皆、牢に入り、命がけで戦ってきた。大聖人が仰せになられた三類の強敵、三障四魔と、敢然と戦ってきた。これが、法華経
の行者の魂である。皆さまも、この創価の師弟を中心にして生きぬいてもらいたい」とスピーチされました。
私たちは、偉大な創価の師弟に連なる誇りに燃え、いかなる試練の逆風にも”難こそ正義の証し”と胸を張り、真実の弟子の道を歩
み抜いていきましょう。
『だんなと師とおもいあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。』
(四条金吾殿御返事、新1566・全1151)
(通解)
檀那(弟子)と師匠とが心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなもので、叶うわけがない。
師匠の仰せの通りに実践する
本抄を頂いた四条金吾は、師匠である大聖人の仰せ通りに、戦い抜いた「まけじだましいの人」(新1309・全986)です。
文永11年(1274年)、金吾は、極楽寺良観の信徒でもあった主君の江間氏を折伏。それにより、主君から疎まれるように。さら
に、本抄が執筆された時期である建治2年(1276年)から翌3年(77年)にかけて、同僚から迫害されたり、主君から”信仰を捨
てなければ所領を没収する”と迫られたりするなど、人生最大の窮地に追い込まれました。
その際、大聖人は、誠実に主君に仕えれば諸天が守護すると最大に励まされた上で、師匠と弟子が心を同じくしなければ、祈りは
叶わないと仰せになり、どこまでも師匠に心を合わせていくよう強調されています。
その励ましを胸に、信心を貫いた金吾は、後に主君の信頼を勝ち得て、新たな所領を獲得するなど、勝利の実証を示すことができ
たのです。
師の深き一念にわが心を合わせて祈り、信心を貫く時、思いもよらない大境涯が開かれ、いかなる苦難も必ず乗り越えることがで
きる――。金吾の不屈の姿勢に、その確信も輝いています。
池田先生はかつて、「正しい師匠に心を合わせ、師の仰せ通りに実践する。その一点から、すべての道が開ける」とスピーチされ
ました。
まさに師弟一体の祈りと行動こそ、あらゆる逆境をもはね返して、広布と人生の勝利を開く日蓮仏法の真髄なのです。