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〈子どもと学ぶ 日蓮大聖人の門下たち〉

光日尼

2023年2月12日

 安房国(現在の千葉県南部)に、光日尼という一人の女性が

いました。

夫に先立たれた光日尼は、武士である息子の弥四郎と共に日蓮

大聖人さまの弟子として、信仰に励んでいました。

弥四郎は素直な性格で、光日尼も大変に助けられていました。

ある時、弥四郎は、戦に向かわなければならなくなりました。

“母を残して死ぬことになるのでは……”と恐れた弥四郎は、大聖人さまに会いに行きました。

弥四郎が「自分はいつ死ぬのか分かりません。しかも、武士ですので、戦からは逃れることができません」と語ると、大聖人さま

は仏の教えをひもときながら、弥四郎を全力で励まします。その後、弥四郎は信仰に励み、この悩みを乗り越えることができまし

た。

それから時は過ぎ、大聖人さまのもとに、光日尼から一通の手紙が届きます。

それは、弥四郎が亡くなったとの知らせでした。「弥四郎は、武士として人を殺した者なので、次はどのようなところに生まれる

のでしょうか」との不安がつづられていました。

大聖人さまは、すぐさま筆を執られます。

「手紙を読む前は、懐かしいふるさとからの便りが来てうれしかったのですが、弥四郎殿が亡くなったことを知り、どうしてこの

ように急いで開いてしまったのかと後悔しています」

子を失った母の苦しみに寄り添いながら、続けて教えられました。

「たとえ大きな罪であっても、反省し、心を入れ替えて仏さまの教えを持つなら、その罪は消えます。また、母が祈り、仏法の教

えのままに行動していくならば、どうして弥四郎殿が成仏できないことがあるでしょうか。ましてや、法華経を信じていたのです

から、親を成仏へ導いてくれることでしょう」

手紙を読んだ光日尼の心には、一筋の希望の光が差しました。「私の志一つで、どんな悲しみも、希望に変えていけるのです

ね!」

光日尼は、こうして地道に、大聖人さまの弟子として、信仰に励んでいきました。

その後も、大聖人さまは、光日尼に手紙を送ります。「今、光日上人は、わが子を思うあまり法華経の行者になられました。母と

子は必ず共に永遠の生命の故郷(霊山浄土)へ行くことができるでしょう。その時の、親子の出会いはどんなにうれしいことでし

ょうか」と、温かく励まされました。そこには、息子の死を乗り越えた、一人の庶民である光日尼の信心をたたえて、「光日上

人」とつづられていました。

人生の悲しみに負けず、信心を貫いた光日尼の姿は、今を生きる私たちにも大きな希望と勇気を与えてくれます。

 

[道しるべ] 霊山浄土

 光日尼は、最愛の息子・弥四郎を失い、“息子の死後はどうなるのか”との苦悩を抱えていました。日蓮大聖人は“母の祈りで成仏

できる”と励まされます。光日尼は信心に励み、乗り越えました。大聖人はその姿を「母と子は必ず共に霊山浄土へ行くことができ

る」(新1267・全934、通解)、すなわち“親子の成仏は間違いない”とたたえられました。

法華経は、釈尊の説法が霊鷲山で始まり、やがて宝塔が現れて説法が続けられ、釈尊の久遠の生命が明かされます。そして、末法

の広宣流布を誓う地涌の菩薩が涌出して、舞台は再び、霊鷲山へと戻ります。このことから法華経では、霊山浄土は、古代インド

の霊鷲山を指すとともに、久遠の釈尊が常住して法華経を説き続ける永遠の浄土とされています。

池田先生は、「『霊山浄土』は、信心を貫き通して、一生成仏を果たした人が、等しく到達できる大境涯の仏の世界である。した

がって、そこでは、深き生命の次元で、師弟が出会い、親子・夫婦・兄弟が出会い、わが同志たちが出会うことができる。これが

真実の法則なのである」と教えています。

大聖人が光日尼に「母と子は共に霊山浄土へ」とつづられたのも、子を思い、仏法を貫いた光日尼の地涌の生き方こそ、生死を超

えて親子の絆を強めるものであることを確認されるためであったと拝せるでしょう。

さらに先生は、「地涌の菩薩は、この『霊山浄土』から使命を果たすために娑婆世界へと出発し、また、使命を果たし終えて、

『霊山浄土』へ再び還っていく。したがって、霊山浄土とは、地涌の菩薩にとって『永遠の生命の故郷』であり、『永遠の妙法の

同志の世界』なのである」と語っています。

私たちにとって霊山浄土とは単なる死後の世界ではなく、生命の故郷なのです。

 

 

 


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