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きょう「民音の日」 

民音公演で来日中のタンゴ楽団リーダーへのインタビュー

2023年2月9日

 

     多岐にわたる民音の活動。左上から時計回りに、

     日本とバーレーン王国の

     外交関係樹立50周年記念の文化講演会、

     韓国のエンターテインメントショー

     「FLYING(フライング)」の公演、

     学校コンサートで熱演する「和ゴスネイション」、

     民音音楽博物館の自動再演ピアノ「ウェルテ・ミニョン」

                     (いずれも昨年撮影)

 

 きょうは「民音(民主音楽協会)の日」。1961年2月9日、創立者・池田大作先生はアジア歴訪の途上、民音の設立構想を示し

た。「真の世界平和のためには、民衆と民衆が分かり合うことが絶対に重要だ。特に芸術の交流が不可欠だと思う。これから国境

を超えて進めたい」。2年後の63年10月に民音が誕生。これまで112カ国・地域と文化交流を重ねてきた。ここでは、「民音タン

ゴ・シリーズ」に出演しているアルゼンチンの楽団「ラ・フアン・ダリエンソ」のリーダーであるファクンド・ラサリ氏へのイン

タビューを紹介する。

 

楽団「ラ・フアン・ダリエンソ」リーダー ファクンド・ラサリ氏に聞く

 ――日本では、タンゴの黄金期を牽引したフアン・ダリエンソの人気が高く、彼の楽団による“歯切れの良いリズミカルな演

奏”がタンゴの典型的なイメージとなっています。ラサリさんがタンゴの道に進んだ経緯を教えてください。

 私の祖父カルロス・ラサリはダリエンソの楽団でバンドネオン(ドイツ発祥の蛇腹楽器)を演奏していました。ダリエンソの死

後は楽団を自ら引っぱり、その様式を忠実に次代につなげてきました。

ただ、孫の私はタンゴに全く興味はありませんでした。むしろロックの方を聴いていました(笑)。

転機は17歳の時です。祖父に勧められ、ダリエンソのタンゴのレコードを聴き始めました。次第に、スタッカートを強調したリズ

ミカルな演奏に魅入られ、自分も弾いてみたいと心が動いたのです。「バンドネオンを教えてほしい」と祖父に頼み、その後、フ

アン・ダリエンソ楽団の一員としてデビューしました。祖父が2009年に亡くなった後も、先輩の楽団員と舞台に立つ中で、ダリエ

ンソの呼吸を体で覚え、今日に至ります。

“ダリエンソの永遠の人気サウンドに現代の新しいパワーを与え、今の世代に訴えたい”との思いから、若い演奏家を集めて2012年

に楽団「ラ・フアン・ダリエンソ」を結成しました。現在は、タンゴ歌手の重鎮であるフェルナンド・ロダスさんを加えて、バン

ドネオン、バイオリン、コントラバス、ピアノ、歌手の構成で公演を行っています。

 

 ――2018年、本場アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されたタンゴ・アワードで最優秀楽団賞に輝き、世界ツアーを次々と

成功させてきました。今回の民音公演でも「観客を一体にさせる最高の公演」「生の迫力に圧倒されました」など絶賛の声が寄せ

られています。
 
 ありがとうございます。2015年以来、8年ぶりの民音公演になりました。今回、3組の素晴らしいダンサーと共演できて光栄に

思います。
 
「民音タンゴ・シリーズ」は、どの会場も熱気でいっぱいです。毎回、盛大な拍手を送ってくださり、ある時は似顔絵が描かれた

手紙までいただきました。日本での温かい歓迎に胸が熱くなります。

 

池田博士への献呈曲は新たな地平開くきっかけ 人々を結ぶタンゴを世界へ

 ――民音創立者の池田先生に献呈曲「ミルロ」(クロウタドリ)を贈られました。どのような思いを込められたのでしょうか。

 池田博士の小説『新・人間革命』を読み込み、インターネットなどで事績を調べる中で、世界に平和のメッセージを送り続けて

おられることを知りました。また、他の人とは比べものにならないくらい大きなスケールで動かれていると感じました。

傑出した人格をもつ池田博士に敬意を込め、人間には“無”から“一”を創造する力があることを表現しようと思い、楽曲の制作を決

めました。

ある時、友人から、ミルロの話を聞きました。この鳥は鳴き声としてオリジナルのメロディーを創造するというのです。他と違う

創造的な姿が今回のテーマと重なり、曲名を「ミルロ」に決めました。

この曲は、濃密で緊張感があるパートと、リラックスした優美なパートを交互に行き来します。制作には長い時間を要しました。

一音一音、これで良いか検討し、楽団の合奏で試行錯誤を重ねました。おかげで自信作となっています。

私が初めて作曲したのは、2015年に池田博士に贈った「永遠の桜」です。そこから10曲以上を作曲・作詞しました。あの時の献

呈曲があったからこそ、新たな地平を開くことができたと思っていますし、今回もそうなると感じています。

 

 ――民音設立の端緒となったのは“芸術による交流が民衆同士の結びつきを強め、真の世界平和をもたらす”との池田先生の考え

でした。第2次世界大戦で戦禍に見舞われたアジアを歴訪する途上でした。

よく存じ上げています。池田博士が戦争で長兄を亡くされた話がとても印象に残っています。こうした戦争のつらい経験が、民音

の設立をはじめ、全ての行動の原動力になっているのだと思います。

池田博士のおっしゃる通り、音楽は平和実現の大事なツール(手段)です。言葉は通じなくても、誰もが感情を分かち合える“道

具”が音楽なのです。

アルゼンチン・タンゴはその最たるものともいえます。ダンスホールで演奏されることが多いように、タンゴにはダンスがつきも

のです。そしてタンゴダンスは2人が組む「アブラッソ(抱擁)」が基本にあります。知らない人同士で踊ることもあります。人を

結びつける芸術といえるでしょう。

今年はヨーロッパツアーも控えており、来年には新たなアルバムの制作も考えています。タンゴを通じて、心を結び、少しでも平

和に貢献したいと思っています。

 

プロフィル

 「ラ・フアン・ダリエンソ」のリーダー兼第1バンドネオン。1987年、ブエノスアイレス生まれ。2006年から祖父のカルロス・ラサリ氏にバンドネオンを、ル
シアーノ・フスマン氏に作曲を師事した。12年から本格的に「ラ・フアン・ダリエンソ」で活動。14年には海外へ進出し、翌年に民音タンゴ・シリーズで来日し
た。これまで、4枚のアルバムを発表。アジアやヨーロッパ、北米で演奏活動を活発に行っている。

 

 

 

 

 

 

 


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