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〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 

人間主義の振る舞い

2023年2月8日

 

一対一の絆こそ広布推進の生命線!

 

            日蓮大聖人有縁の地・新潟に住む草創の同志宅を訪れた池田先生は、

            宝の未来部を激励(1985年9月、長岡市で)。

            第3代会長を辞任後、先生は一人一人への励ましに力を注いだ。

            この日、功労者宅への訪問は516軒目となった

 

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載しま

す。2月16日は「日蓮大聖人御聖誕の日」。今回は、大聖人の人間主義の振る舞いについて、先生

の折々の励ましから紹介します。

 

永遠の勝利の方程式

 御書に「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(全1174・新1597)──釈尊が世に出現された根本目的は、人の振

る舞いを示すことである──とある。

 

有名なお言葉です。

この「振る舞い」とは、人間を最大に敬い、尊重し、守りゆくことであります。人を子分のように思って尊大ぶる輩がいる。権力

をかざしていばりちらす魔性の人間がいる。それと戦うのが真実の仏法者であります。
  
「友のため」「地域のため」「社会のため」──それを真剣に考え、悩み、努力していけば、自然のうちに、みずみずしい知恵が

わき、勇気が出、人格ができていく。そういう人生は、何があっても絶対に負けません。
  
そして、そういう「一人」が本気になって立ち上がれば、その地域も、組織も、必ず栄えていくものだ。これが永遠の「勝利の方

程式」です。

 (『池田大作全集』第91巻、66ページ)

  
負けないことが幸福

 「剣なども、前進しない臆病な者には、何の役にも立たない。法華経の剣は、信心の勇敢なる人が用いてこそ役に立つ。それで

こそ、鬼に金棒なのである」(全1124・新1633、通解)
  
これは、幼い病気の娘・経王御前を抱えた夫妻への励ましの御文である。
  
人生は誰人たりとも、生老病死の苦悩との戦いである。悩みがないことが幸福ではない。どんな悩みにも負けないことが幸福なの

である。

 (『池田大作全集』第136巻、109ページ)

 

一人を思う慈愛の姿

 徹して一人の人を大切にしてきたから、学会は強い。不幸な人、悲しんでいる人、苦しんでいる人を放っておくことなく、いち

ばんの味方になって、ともに手を取りあって乗り越えてきたからです。
  
御書には、日蓮大聖人が門下を思いやり、「魂を無くすほど、心配しました」(全1185・新1608、趣意)と仰せになっている個

所がある。弟子を思う御本仏の限りないご慈愛が伝わってきます。
  
大聖人のお心を受け継ぐ学会の根本精神も、まったく同じです。

(『池田大作全集』第62巻、70ページ)

日蓮大聖人有縁の地・新潟に住む草創の同志宅を訪れた池田先生は、宝の未来部を激励(1985年9月、長岡市で)。第3代会長を

辞任後、先生は一人一人への励ましに力を注いだ。この日、功労者宅への訪問は516軒目となった

「仲良くしていこう」

ありのままの人間の集まりである。なかには付き合いにくい人もいよう。それでも、「仲良くしていこう」というのが、日蓮仏法

の精神である。
  
大聖人は、短気で一本気な四条金吾が、同志と思われる夜回り(警備)の人たちと協調できないことを心配し、「いかに心にあは

ぬ事有りとも・かたらひ給へ」(全1172・新1594)と御指導されている。

「異体同心」を祈って、努力していくこと自体が、尊き仏道修行となる。互いに尊敬し合い、仲良く前進していく──そこに、妙

法が脈打っていくからだ。

 (『随筆 出発の光』、248ページ)

  
信仰者は堂々と歩む

 大聖人は、御自身を迫害する一国の権力者でさえも「わづかの小島のぬしら」(全911・新1227)──わずかな小さな島の主た

ちにすぎない──と、悠然と見おろしておられた。私どもは、限りなく広大な御境界であられる御本仏の仏子である。“王子・王

女”である。
  
信仰者は、何ものをも恐れず、堂々と胸を張って生きていくことだ。だれが何と言おうとも、その人は幸せである。むしろ、焼き

もちを焼くよりも、焼かれるほうが、ずっとよいのではないだろうか。

 (『池田大作全集』第74巻、464ページ)

 

勇気をもって語らう

 なぜそこまでして、一人ひとりと、お会いするのか。それは、一対一の人間の絆に勝る力は、この世にないからだ。これこそ

が、広宣流布を推進していく原動力であり、生命線である。だからこそ、奪命者である魔は、この尊貴な信頼関係を壊そうと蠢く

のだ。

大聖人も、「日蓮は、この法門を語り、他の人と比較にならないほど、多くの人に会ってきた」(全1418・新2120、通解)と仰

せである。
  
勇気をもって、一人また一人と会い、徹して語り合え! そこに、広宣流布の主戦場があるのだ!

 (『池田大作全集』第135巻、146ページ)

  
老若男女が集う世界

 日蓮大聖人は、子どものいなかった佐渡の年輩の国府入道・尼御前に、書き送っておられる。
  
「『その中の衆生は、悉く是れ吾が子なり』との経文の通りであるならば、教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父であられる。日蓮は

また、あなた方の子であるはずである」(全1323・新1757、通解)と。
  
この大聖人の大慈大悲に連なって、少年少女部、中・高等部、そして男女青年部から、多宝会の壮年・婦人まで、老若男女が生命

の家族として集い合う世界が、学会であり、座談会である。温かく楽しい、活気に満ちた仏の会座そのものの座談会こそ、永遠に

広布発展の要である。

 (『随筆 出発の光』、93ページ)

 

わが心は屈しない!

 かつて、ユネスコが古今東西の“人権の名言”を集大成した書物(『語録 人間の権利』)を出版した。
  
この本の中に、日蓮大聖人の「撰時抄」の一節が紹介されている。それは、あの佐渡流罪から鎌倉に生還され、幕府の権力者・平

左衛門尉と対面した折の師子吼であった。
  
「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(全287・新204)
  
たとえ頸の座に据えられようが、たとえ流罪されようが、わが心は決して屈服しない!
  
──この人類史に輝きわたる師子王の精神闘争に続きゆくのが、創価学会である。

 (『池田大作全集』第137巻、23ページ)

 

仏とは凡夫そのもの

 仏とは最高の「人間」である。決して「人間」以上の存在なのではない。その意味で、自分を、ありのままの「人間」以上に見

せようとするのは、仏法ではない。
  
御本仏日蓮大聖人は、「人間」そのもの、「凡夫」そのものの御振る舞いであられた。だからこそ偉大なのである。釈尊も人間そ

のものであった。だからこそ偉いのである。
  
大聖人は、弘安元年(一二七八年)、身延の山で、「今年は異常に寒い」とおっしゃり、土地の古老たちにたずねてみたら、八

十、九十、百歳になる老人も「昔から、これほど寒かったことはありません」と言っていたと書かれている。(「兵衛志殿御返

事」全1098・新1495、趣意)
  
山の中の庶民と、何のへだてもなく「寒いね」「こんなことは、いまだかつてありません」と、和やかに語らっておられる。これ

が御本仏の世界なのである。

 (『池田大作全集』第81巻、182ページ)

 

 

 


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