〈教学〉
2023年2月7日
『南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、もっとも大切なり。信心の厚薄によるべきなり。仏法の根本は信をもって
源とす。』
(御書新版2088ページ8行目~10行目、御書全集1244ページ14行目〜15行目)
[池田先生の指針から]逆境を乗り越える師子王の心
多くの学会員が自らの体験で実証してきたごとく、“もう駄目だ”と思うような時にこそ、御書を開き、学会指導を学び、また同
志の励ましを受けて、あらためて「信」を奮い起こしていくことです。
胸中の妙法を確信して、御本尊に向かって真剣に唱題行を貫いていけば、必ず、わが胸中から変革が始まります。
自身の仏性が開かれて、歓喜と確信が込み上げ、挑戦する勇気が湧いてくる。そこに絶対勝利への仏の無限の智慧と力が現れるの
です。
まじめに信行学を貫く学会員は、こうした体験を幾重にも重ねながら、また何度も困難を乗り越え、確固たる不撓不屈の自分自身
を築いていける。もう何も恐れるものはない、何も怖いものはないという“多宝の友”の確信ある姿は、言うならば「仏の境涯」そ
のものです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第8巻)
◇ ◇ ◇
大願であった七十五万世帯成就が目前となった本部総会で、戸田先生は叫ばれました。
「学会には信心がある!」
多くの取材陣もいる場です。当時、学会の大発展の理由を皮相的に臆測する論評が多い中、“私たちは、信心で勝ったのだ”と断じ
られたのです。先生の師子吼は今も、耳朶に響いて離れません。
続けて先生は烈々たる気迫で語られました。
「ただ信心が中心! 信心をやるんです。それさえ腹に入れたら、誰が何と書こうと、何を言おうと、驚くことなどは絶対にない
だろう!」
信心とは、いかなる逆境をも乗り越えていく師子王の如くなる心です。
強盛な信心の人に、恐れるものなど何もない。信心さえあれば、不撓不屈の信念がこみ上げてきます。信心の強さは、豊かな人生
を約束します。正しい信心を貫き通した時に、人生の幸福勝利が開けないわけがないのです。
先生は、学会員として、世間の毀誉褒貶などに右往左往することなく、どこまでも信心根本に進んでいく覚悟を、と訴えられまし
た。
「信心」こそ根本であり、「信」こそ源である。これが日蓮仏法の真髄です。(『信仰の基本「信行学」』)
強盛な信心の人に
恐れるものはない
[キーワード1.]祈りから一切は始まる
拝読御文では、南無妙法蓮華経の題目を唱えて、わが身に仏界の生命を開くことが最も大事であると仰せです。
拝読御文に続く箇所では、“李広将軍が、草原の中にある石を親の敵の虎だと信じ切って矢を射たところ、石に矢が刺さった”との
故事に触れられています。“強き一念”で、不可能を可能にすることができると教えられているのです。
小説『新・人間革命』には、「行き詰まったら原点に返ることだ。唱題から出発するのだ。妙法は宇宙の根源の法なるがゆえに、
妙法への祈りこそ、一切を動かす原動力となるのだ」(第22巻「潮流」の章)とつづられています。
私たちも、強き一念で題目を唱え、自身の人生の苦悩との闘争、広宣流布の大闘争に臨んでいくことが大切です。
池田先生は「二月闘争」の際、「祈りから始める」ことを同志と約し合い、広布拡大の突破口を開きました。
“まさかが実現”の大勝利を築いた「大阪の戦い」も、池田先生の御本尊への深き祈りから始まりました。
先生は教えています。
「唱題行こそ究極の若さと、無限の活力の源泉なのである。地涌の菩薩たる我らの題目は、誓願の祈りである。いわゆる何かに
弱々しくすがる願いなどではない。自ら誓いを立て、その成就へ一念を定め、大宇宙の根本法則に合致し、全生命で轟かせゆく師
子吼なのである。これほど強く、これほど荘厳な力はない」
「強き祈りから一切は始まる」と定め、広布に打って出ていきましょう。
[キーワード2.]迷いや弱さを打ち破れ
仏法の根本は信をもって源とする──大聖人は今回の拝読御文をはじめ、御書の随所で「信」の一字を強調されています。
釈尊の十大弟子の一人で“智慧第一”と言われた舎利弗でさえも、自身の智慧ではなく、ただ法華経への信によって仏の境涯を開き
ました。
「信」は、法華経の行者にとって成仏の根幹となる重要なものなのです。
ここで確認したいのが、“私たちはどのように、この「信」を深めていけばよいのか”ということです。
御書には「疑いなきを信と曰う」(新1047・全751)──“「疑いが無い」ことこそ「信」である”との言葉が出てきます。池田先
生はこの言葉について、「疑問を明確にし、実践の中で徹底して考え抜いて、心の底から納得することが、
信仰を深めていきます」と教えています。
「疑ってはいけない」のではありません。この信仰の実践に励み、仏法を探究していくならば、「疑いが無い」といえる確信を深
めていくことができるのです。
また小説『新・人間革命』には、「信仰とは、不信、すなわち揺らぐ心との精神の闘争である。“自分など、幸せになれないのでは
ないか。何もできやしないのだ”といった心の迷い、弱さを打ち破り、胸中の妙法を涌現させ、絶対的確信を打ち立てる戦いである
といってよい」(第26巻「法旗」の章)とあります。
自らの弱さや迷いと戦う信仰の実践の中で、妙法への確固たる「信」は深まっていくのです。