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〈教学〉 

2月度「御書講義」の参考

2023年2月5日

 

日女御前御返事(御本尊相貌抄)

 

御書新版2087ページ13行目〜2088ページ8行目
御書全集1244ページ5行目〜14行目

強き信心を貫き幸福境涯を開く

 

2月度「御書講義」の拝読御書は「日女御前御返事(御本尊相貌抄)」。範囲は「かかる御本尊を供養し奉り給う女人……後生を

たしなみ給うべし、たしなみ給うべし」(御書新版2087ページ13行目〜2088ページ8行目、御書全集1244ページ5行目〜14行

目)です。ここでは学習の参考として、本抄の背景と大意、また、拝読範囲の理解を深める解説を掲載します。「大白蓮華」2月号

ともにご活用ください。(御書講義の映像が明6日から今月28日まで配信予定。「SOKAnet会員サポート」のほか、会館や個人

会場、「モバイルSTB」〈インターネットを通してダウンロードが必要〉で視聴できます)

背景と大意

 本抄は、建治3年(1277年)8月、日蓮大聖人が56歳の時に身延で著され、女性門下の日女御前に送られたお手紙です。御本尊

の相貌(様相・姿)等の深義が明かされていることから、別名を「御本尊相貌抄」といいます。

日女御前についての詳細は明らかではありませんが、信心と教養の深い女性であったことがうかがわれます。

当時は蒙古襲来(文永の役)後の混乱期で、社会は騒然としていました。そのような状況の中でも、純真な信心を貫いていた日女

御前は、大聖人から御本尊を賜ったことへの感謝を込めて御供養をお届けしました。

その真心への御返事である本抄で、大聖人は、末法における「法華弘通のはたじるし」(新2086・全1243)として御本尊を顕さ

れたことを示されます。

次いで、法華経に説かれる「虚空会の儀式」の姿を用いて顕された御本尊の相貌について詳述し、この御本尊を供養することが、

いかに広大無辺の功徳となるかを示された上で、純真な信心を持続するよう教えられています。

そして、この偉大な功力をもつ御本尊も、決して他の場所にあるのではなく、御本尊を信じる衆生の生命の中にあることを強調さ

れ、信心こそが成仏の要諦であることを御教示になっています。

 

九識心王真如の都

生命を根底から変革できる

 日蓮大聖人は本抄で、御本尊は、妙法を信じて題目を唱える私たちの「胸中の肉団」(新2088・全1244)、すなわち、生身の

生命の中にあると明かされ、それを「九識心王真如の都」と示されました。この「九識」とは、生命が物事を認識する働きである

「識」を9種に分けたうちの、第9識のことです。 仏法では、生命の九つの認識作用を「九識論」として体系化しています。

最も表層にあるのが、五官に基づく認識作用である眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の五識です。

その五識による知覚を統括し、分別・判断したり、記憶したりする働きが第6識の意識です。日常生活は、ここまで見てきた第6識

までの働きで営まれています。

その奥にある、根底の自我意識が第7識の末那識です。さらに深層にあるのが、私たちの善悪の行い(業)を蓄積し、影響を及ぼす

第8識の阿頼耶識です。

そして、生命の最も奥底に、無垢識ともいわれる、清浄な仏の生命そのものである、第9識の阿摩羅識があります。この清浄無垢の

生命を涌現することによって、第8識に刻まれた、さまざまな業を浄化し、転換していくことができます。

この第9識が心の働きの中心なので「心王」といい、仏の覚りの真実と一体であるので「真如」といいます。「九識心王真如の都」

とは、私たちの仏界の生命を表しています。

御本尊に題目を唱える時、この第9識が顕現します。十界論でいえば、仏界が顕現するのです。

それにより、あらゆる生命の働きを幸福の方向へと転じることができます。生命を根底から変革できることを示すのが、仏法の九

識論です。

池田先生は語っています。

「妙法を唱え、広布に走る皆さま方自身の生命こそが、最も尊極な存在なのである。

わが胸中にある、この仏の生命の都を、広々と、悠々と開き、輝きわたらせていくことである」(2003年12月、各部・海外代表

協議会でのスピーチ、『池田大作全集』第95巻所収)

今こそ、強き信心で“わが胸中の御本尊”を輝かせながら、「幸福は私たち自身の中にある」との希望の励ましを、縁する友へ広げ

ていきましょう。

 

十界具足の御本尊
誰しもが極善の力を発揮

 御本尊の中央には「南無妙法蓮華経 日蓮」と認められ、その周りに、釈迦・多宝の二仏をはじめ、十方の諸仏・菩薩から地獄

界の衆生まで、十界の一つも欠けずに全てが納まっています。

日蓮大聖人は、法華経の「虚空会の儀式」を用いて、仏としての御自身の生命を、そのまま御本尊として御図顕されたのです。

十界の全てが具わっているので「十界具足の御本尊」といわれます。

本抄では、御本尊に認められた十界のどの衆生も、全て妙法の光明に照らされて「本有の尊形」(新2087・全1243)を現してい

ると述べられています。

つまり、十界の全ての働きが、仏界の智慧と慈悲の光に包まれて、生命本来のありのままの尊い姿、極善の力を発揮しているとい

うことです。

それはまた、正しい信心をもって御本尊を拝することで、誰しもが、妙法の当体として輝き、尊い姿を現していけるということで

もあります。どのような状況にあったとしても、万人が「本有の尊形」として、使命の光彩を放っていけるのです。

例えば、地獄のような苦悩の渦中にあっても、御本尊に祈ることで、困難な現実に勇んで立ち向かう生命力が湧き上がります。

すなわち、仏の生命力によって、いかなる人生の試練も、さらなる幸福境涯を開くための跳躍台としていくことができます。信心

によって、私たちは苦悩の意味を百八十度、転換できるのです。

池田先生は語っています。

「尊極な妙法の生命を引き出し確立するための御本尊であり、引き出すための信心です。

まさに、御本尊の相貌は、法華経の諸法実相の法理に基づくものであり、凡夫がそのままの姿にして、仏の偉大な生命を開き顕せ

ることを教えられています」(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻)

縁する全ての人の幸福を祈り、励ましの対話を広げながら、一人一人の極善の生命力を触発し、引き出していく──。創価の人間

主義の、不断の歩みによって、今や全世界に、多彩な地涌の人華のスクラムが大きく広がっています。

 

 

 

 

 

 


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