〈勇気の源泉――創立者が語った指針〉
2021年11月27日
“人生は、「勢いのある人」「粘りぬく人」
「生命力強き人」が勝つ”――
1997年11月に行われた「創価教育同窓の集い」で
スピーチする池田先生
創価教育の父・牧口常三郎先生の『創価教育学体系』発刊100周年
となる2030年へ、全国・全世界の創価教育同窓生が今、使命の舞台で
奮闘している。ここでは、苦難の時代にあって、忍耐強く挑戦の歩みを重ねる友への指針として、1997年11月の「創価教育同窓の集
い」での創立者・池田先生のスピーチの抜粋を掲載する。
◇
創価大学池田記念講堂で開かれた同窓の集いで、池田先生はスピーチの前半、青春時代の原点を胸に「今いる場所」で戦い続ける中
で、自分の歴史が築かれていくと強調。スピーチの後半では、創大のそばにある坂の名称の由来となった画家の生涯に触れ、“悩みがある
から成長できる”と語った。
大学のすぐそばに「善太郎坂」の愛称で親しまれている坂道がある。滝山城址の下から、創価大学の「栄光門」へ登っていく坂である。
ところで、この坂が「善太郎坂」と名づけられるようになったのは、なぜか?
調べてみると、かつて付近の丹木町に住んでおられた著名な洋画家・小島善太郎画伯(1892年─1984年)に由来するという。
小島画伯は「独立美術協会」の創立会員として活躍され、「二科賞」など絵画界の権威ある賞も受賞された。日本洋画界の大功労者であ
られる。
小島画伯が八王子に住んだのは、1932年(昭和7年)から71年(同46年)までの約40年間である。この時期、八王子の風景を描いた
「滝山展望」や「加住村の春」、また「村の子ども」などの名画を数多く残しておられる。
画伯の青春時代のエピソードがある。それは、絵画の研究所で学んでいた時のことである。
好きな絵画の勉強を始めたものの、なかなか自分が思うような絵を描くことができない。自信をなくし、しだいに絵の道を諦めかけてい
ったという。さらに、ご両親と妹さんが相次いで亡くなるという悲しみも重なった。ご自身も体調を崩し、急性虫垂炎で入院。退院して
も、研究所には戻らず、八王子にいた伯母さんのもとで、静養することになった。
──法華経に「三界は安きこと無し 猶火宅の如し」(法華経191ページ)とある。
この世は悩みの炎に包まれた家である。悩みなき人生はない。ゆえに幸福は、自分自身が悩みと戦いきって勝ちとる以外にないのであ
る。
静養していた八王子が、小島青年にとって、自分を見つめ直す、いわば“第二の故郷”となった。
「雲は天才である」という石川啄木の言葉がある。
美しい八王子の青空が、白雲が、緑の木々が、また真っ赤な夕焼けが、青年に、さまざまなことを語りかけていったにちがいない。八王
子は童謡「夕焼け小焼け」でも有名な、夕焼けの里でもある。青年の行き詰まった心は、生き生きと蘇生していった。
画伯は、決意する。「現実を回避してはならない」
「労苦の蔭に真珠が蒔いてある(中略)画の修行もそれではあるまいか。好きなものだけに眼を向ける(中略)それだけでは画の修行も
成りたたない」
「研究所に通おう。そこで再び悩み抜こう! そここそ自分をつくってくれる道場でなくてはならない」(『若き日の自画像』雪華社)
と。
青年は、自分自身の戦いの場所に戻り、八王子から、心新たに挑戦を開始したのである。
人生には、自分を鍛える「道場」が必要である。
「道場」がなければ、師範にはなれない。一流にはなれない。名人にはなれない。
日蓮仏法では、「道場」の意義について「此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と説いている。
今いるところを離れて、どこかほかに「道場」があるのではない。わが一念を固めた時に、職場も、地域も、すべてが最高に意義ある
「道場」となる。勝ち戦のための「道場」となる。
戸田先生は、よく語っておられた。
「どんなに大きな会社や組織でも、また、どんなに小さな会社や組織でも、いやな人間や悪い人間は必ずいるものだ。何も問題がないな
どというのはありえない。もし何も問題がなく、完成された所であるとすれば、成住壊空という原理から言って、あとは滅びていくだけ
である。要するに、問題があるから、力がつく。悪い人間がいるから、境涯が大きくなる。そう達観して、大きく強く生きぬいていくこ
とだ」と。
問題があり、悩みがあるからこそ、それと戦って成長できる。
本当の勝利者とは
池田先生は結びに、社会で戦う同窓生らに、人生という坂を最後まで登り抜けとエールを送る。
小島画伯は、91歳まで生きぬかれた。そして、亡くなる寸前まで、毎日8時間の仕事を日課とし、間断なき創造の歩みを貫かれたとい
う。皆さまもまた「健康」で、「長寿」で、「充実」の人生を生きぬいてもらいたい。これが私の強き強き念願である。
90歳を前にして、小島画伯は、こう語っている。「絵は人間が出来なければダメです。絵を描く前に人間であること、それがわかるまで
に長い時間がかかりました」(「毎日新聞」1982年10月25日付)と。
文豪ゲーテの言葉にも、「ひとかどのものを作るためには、自分もひとかどのものになることが必要だ」(エッカーマン『ゲーテとの対
話』中、山下肇訳、岩波文庫)とある。
人間としての「修行の坂」を最後まで登りきらねばならない。
戸田先生は、「最後に勝つ、その人が本当の勝利者である」と言われた。
私も、25歳──皆さんと同じ年代の時に、日記にこう書いた。「何事モ、戦イ抜ク者ガ 最後ノ勝利者ナリ」(『池田大作全集』第36
巻、「若き日の日記」)と。
人生の「坂」は、登りきるか、それとも下るか、そのどちらかである。
「善太郎坂」を登ると、そこは、わが母校・創価大学の「栄光門」である。
どうか、一生という長い坂を、焦らずに、また忍耐強く、快活に、一歩また一歩と登っていただきたい。
そして、わが創価同窓生が一人も残らず、私は戦いきった! 私は悔いがない! 私は勝った! と言い切れる人生最極の「栄光の門」
に到達しゆくことを私は祈りたい。
※『池田大作全集』第142巻に収録されているスピーチから抜粋。一部表記を改めた。