〈危機の時代を生きる〉
2021年9月22日
学習塾を経営する山本信治さん
コロナ禍の中、全国の島しょ部でも、未知の危機との戦いが続いている。
大小合わせて約140の島々からなる「五島列島」(五島大光圏)の男子部。
有志からなる「五島太鼓団」は1年半余り、 演奏を自粛しており、メン
バーは島から島への移動も控えてきた。しかし、彼らは希望を失っていな
い。「他の島の皆もきっと頑張っているから」と、今いる場所で広布に駆
ける。
会えなくても
8月28日、長崎総県の男子部幹部会が、対面とオンラインを併用して開催された。五島列島は中通島などの上五島地域と、福江島な
どの下五島地域に分かれる。五島大光圏のメンバーは参加者がいる島ごとに、オンラインで参加した。
とうしょ、音楽隊の「五島太鼓団」(圏男子部の有志で構成)の演奏を事前に収録し、会合で放映する予定だった。だが、夏の全国的な
コロナ感染拡大の状況を踏まえ、”島の医療体制を考えても、万が一のことがあってはいけない”との判断から、演奏・収録は見送りとな
った。
「残念ですが、さらに成長した姿で、また演奏を披露できる日を目指します」――会合では、島しょ部以外のメンバーが集う諫早文化会
館のテレビ画面に、決意を述べる山本信治さん(40)=圏男子部長=の姿が映し出された。
山本さんがいる五島会館(福江島)では、オンライン中継の準備に当たった垣添広樹さん(31)=男子部本部長(部長兼任)=が、う
なずきながら、眼前の圏男子部長の決意に耳を傾けていた。
垣添さんはコロナ禍の今を、こう捉えている。
「皆が、じかに会える機会は少ないですが、島々で分かれている僕らは、以前から、会うこと自体が貴重でした。”会えなくても、つなが
っている感覚”をたいせつにしています」
新型コロナの感染拡大前は、毎月、一つの支部座談会や地区座談会に、本部の男子部メンバーがまとまって集うという取り組みを行って
きた。
高齢化の進む地域にあって、”青年の元気な姿で、先輩たちに喜んでもらえれば”との思いからだ。
「月に1回とか、自分が住む島以外だと半年に1回とか、そういう間隔でしか会えない中で、会う喜びをかみ締めて、絆を結んできた」
と垣添さん。「あと、皆が団結できる理由は、山本さんの広布に懸ける真剣な思い。それを一人一人が、感じているからじゃないでしょ
うか」――
長崎創価青年大会で披露した、
五島太鼓団の演奏
(2018年8月、長崎文化会館で)
励まされた言葉
垣添広樹さんは福江島で生まれ育ち、高校卒業後、就職を機に島を出た。
2011年(平成23年)に故郷に戻ったのは、家業のガラス店が経営危機に直
面したからだ。信心に励む父を支え、”3代目”として働き始める。だが仕事は減る一方で、経営状態は改善しない。そんな時、自宅を訪
ねてくれたのが、山本信治さんだった。
経営の苦境や不安。垣添さんが吐露する思いに、山本さんは耳を傾け、励ましの言葉を掛けた。「折伏をして、他の人が幸せになると、
自分も心から幸せを実感できるよ」
自他共の幸福――その日から垣添さんは勤行・唱題に励み、会合に参加するように。別の男子部の先輩から勧められ、五島太鼓団の団員
にもなった。
創価班大学校(当時)に入り、仏法対話に挑戦したのは、その翌年のこと。旧友と連絡を取り、会うに行くと、「仕事を辞め、引きこも
り状態だ」と知った。
垣添さんは「一度、創価学会の会合に来てみたら」と誘った。そして参加した座談会。壮年部の先輩たちが口々に、友人へ励ましを送っ
てくれた。「私も何回も仕事を変えてきたんだ」「働いていないことも含めて、引け目に感じることはないですよ」
皆の温かさに触れ、友人は入会し、その後、就職を勝ち取った。時を同じくして、垣添さんの仕事ぶりにも信頼が集まり、ガラス店の売
り上げも回復を遂げてきた。
「少年時代は信心に興味がなかった自分が、経営が苦しい中、”わらにもすがる思い”で始めた祈りでした。あれから10年、今あらため
て、広宣流布のために”できることは何でもやろう”と思っています」
自らを励ましてくれた山本さんに対しても、「感謝は尽きません」と。一方の山本さんも、自身の困難と向き合いながら、広布に駆けて
きた。
不安と共に進む
山本さんは創価大学卒業後、いくつかの職を経て、電気通信設備の会社で働いた。その後、業界内での転職、業務量の増加に加え、人
間関係のあつれきも重なった。
2015年の春、出張先で、激しい動悸に襲われた。後日、心療内科を受診すると、「不安障害」と診断された。
「最初は特定の人や仕事の案件など、(動機について)思い当たる原因がありました。でも、診断を受けた頃には、ストレスを自覚しな
いと時も、動悸が止まらなくなっていました」
息切れ、不眠などの症状も見られ、くするを服用しながら、静養した。
”多くの人がストレスを抱えながら働き、生活しているのに……”。時に、自責の念にさいなまれた。半年がたった頃、池田先生の言葉を
目にした。
「苦労した分、悩んだ分だけ、心も功徳も拡大しながら、必ず乗り越えていけるのです」
山本さんは「弟子を思う師匠の温かな心に、全身が包まれたように感じました。それは私にとって、宝の経験だと思います」と。
静養と治療の結果、体調は安定してきたが、好不調の波はあった。山本さんは「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをな
すべきや」(御書1124ページ)との御聖訓を学び、考えた。
「病の有無で幸福かどうかが決まるわけではない。医師の助言も受け、無理はしない。その上で、広布に生きるという目的のために、不
安を抱えながらでもいいから、前へ進みたいと思いました。”生きるために負担を軽くするのであって、負担を軽くするために生きるので
はない”と」
2013年から担ってきた圏男子部長の役職。総県男子部の先輩たちへ「可能な限り、これまで通り活動したい」と伝えた。先輩たちは
「絶対に無理せず、全て一緒にやっていきましょう」と。山本さんの思いを尊重した上で、こまやかにサポートしてくれた。
仕事の面では、休職・退職を経て”自分に可能なスタイルで働きたい”と思うように。個別指導の学習塾を開くことにした。ICT(情報
通信技術)機器を導入した個別指導が信頼を集め、今では数十人が在籍する人気の塾となった。
勝たせたい
その山本さんと男子部でタッグを組むのが、川上智悟さん(42)=圏男子部書記長=だ。川上さんが上五島地域の男子部本部長だっ
た頃から、山本さんは電話で助言してくれた。
「会合の開き方からリーダーとしての訪問・激励の姿勢までアドバイスしてくれ、僕の子育ての悩みも、山本君は親身になって聞いてく
れた。ありがたいなあと思いました」
山本さんの発病以来、川上さんは日々、電話口で聞く山本さんの声のトーンなどから、微妙な変化を感じとっていた。”疲労が重なれば、
体調の良い日ばかりではないだろう”と、おもんばかった。
半年に1度、太鼓団の全体練習は川上さんの住む中通島で行っていた。山本さんは、垣添さんらと共に、後輩たちを引率し、フェリーに
乗ってやって来た。
「よく来てくれたねー」
川上さんは、たびたび港で出迎え、フェリーから降りてくる後輩たちと握手し、山本さんと抱擁を交わした。
「時間を割いて来てくれた全員が、いい思い出をつくって帰ってほしい。そして”山本君、お疲れさま。ありがとう”という思いを込め
て。僕たちのリーダーである彼を、何としても勝たせたいと思いました」
川上さんは上五島地域を広布の舞台と決め、”山本圏男子部長の分まで”との思いで訪問・激励を重ねた。昨年、うれしい出来事があっ
た。次男が高校を卒業し、島に残って働く中、男子部大学校4期生に。五島太鼓団にも加わり、最若手のメンバーとなった。
「一人立つ」こと
昨年来のコロナ禍。圏男子部のメンバーは、オンラインを活用し、島と島の距離を超えて顔を合わせ利用になった。
本年8月28日の総県男子部の会合には、ある島で唯一の男子部員として活動する友も参加した。往来する船便の本数も限られ、さらに
その男子部員は重い病を患い、移動は難しい。オンラインという新たな可能性が、連帯の裾野を広げた。
「でも、その絆の始まりは、やはり山本さんの行動なんです」。そのように、永田優樹さん(38)=総県男子部長=は力を込める。
限られた船便を使い、山本さんは、永田さんと共に海を渡り、その男子部員宅へも訪問・激励に赴いていた。
池田先生は、かつて次のようにつづった。
「仏法は、和楽であり、団結であり、異体同心である。皆が尊極の仏であり、使命深き地涌の菩薩である。ゆえに互いに尊敬し合い、仲
良く助け合っていくことだ。そうすれば、人生と広布の勝利は間違いない。絶対に無敵である」
「では、団結の鍵は何か。それは、一見、矛盾するようであるが、自らが『一人立つ』ことである。自分が真剣に祈り、強くなること
だ」
病になる前に比べ、山本さんが会合に参加する回数、訪問・激励に回る軒数は減った。「しかし」と、永田総県男子部長は言う。
「山本さんを中心に、ありのままの姿で補い合い、全員で勝つ――五島大光圏男子部は、その思いで、以前よりも皆が元気になっている
んです」
川上さん、垣添さんだけではない。20代前半の地区リーダーやニュー・リーダーなど、若いメンバーも先輩と一緒に訪問・激励に歩く
ようになった。その中の1人は本年、友人への弘教を実らせた。さらに、入会したその友は男子部大学校4期生に。広布後継の陣列が広
がっている。
「学会創立100周年の2030年へ、後輩たちと一緒に、広布の勝利の波動を、五島列島から起こします」と山本さん。
いかなる時代の変化にも、逆境にも、彼らが見つめるのは”10年先”だ。