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〈Switch――共育のまなざし〉 

大阪 堺市東区の少年少女合唱団

2021年9月18日

 

           堺東総区の少年少女部「大樹合唱団」が

           オンライン練習会を朗らかに

                        (今月5日)

 

 今月23日、少年少女部は結成56周年を迎えます。そこで今回は少年少女

合唱団の担当者を取材しました。舞台は大阪の堺市東区。大樹合唱団の団

長である戸田俊慈さん(総区少年部長、男子部部長)は関西創価小学校か

ら創価一貫教育に学びましたが「実は僕、訳あって創価大学を中退してるんです」。自分を信じ切れずにいた彼の心に希望の灯をともし

たのは、ほかでもない合唱団の子どもたちでした。

 

 こうして毎月、顔を合わせられるひとときが、みんな待ち遠しくて仕方がない。子どもたちの笑顔がオンラインの画面上に一人二人と

映し出されていく。今月5日、大樹合唱団の練習会が行われた。

早速、歌声が響くのかと思いきや「いつも通り、クイズからやりたいと思いまーす」と女子部スタッフの第一声。しかも「出題者は早い

もん順でーす」。すると「待ってました!」とばかりに、子どもたちが次々と問題を出していく。回答も早い。「探偵の飲み物が酸っぱ

いのは、どうして?」「推理(酢入り)する人だから!」「徒競走で服が破れた人がいました。順位は何番?」「ビリ!(服がビリビリ

破れたから)」

男子部スタッフが思わず先に答えてしまい、戸田俊慈さんが「ちょっと! メンバーが主役なんで!」と、ツッコミを入れる場面も。

いざ歌の練習へ。オンラインで複数の人が声を出すと音がずれるため、代表して発声するメンバー1人とピアノ伴奏者を除いた全員が

ミュート(消音)した状態で歌う。実際に声を合わすことはできずとも、心をあわせることはできる。大事なことは「子どもたちに楽し

い思い出と、皆で一緒に挑戦した歴史を残してあげること」。それが信心の継承にもつながるからだ。

スタッフが学会のリーダーとして広布拡大に奔走する一方、時間をこじ開けるようにして後継の育成に尽くすのも「関西よ永遠に常勝た

れ!」との池田先生の指針を実現するためにほかならない。

 

師の心を教えてくれたのは合唱団の子どもたちだった

 

     戸田俊慈さん(左から5人目)が、

     母・浩子さん(同2人目)や父・俊行さん(同6人目)、

     妻・萌美さん(同7人目)をはじめ家族・親族と共に

 

 練習会のあいさつで戸田俊慈さんが引用したのは、「少年少女きぼう

新聞」9月号に池田先生が寄せた励ましの言葉だった。紙面には先生が

撮影した「中秋の名月」の写真も掲載されている。

「日蓮大聖人は『法華経を深く信じる人は満月が闇夜を照らすようなもの』と仰せです。悩みで気持ちが暗くなる時もあるでしょう。

けれど題目を唱えていけば、生命が満月のように明るく大きく輝いて、悩みを乗り越え、前進する道を照らし出してくれます」

俊慈さんにも、闇夜をさまようような日々があった。創価大学3年に進級して間もない2009年4月。心身のバランスを崩し、東京・

八王子市の下宿先から大阪・堺市の実家へ戻ったのである。

 

大学を辞めても

「自分が自分でなくなりそうやわ……」。俊慈さんは、両親にそう打ち明けた。

関西創価小学校時代から周囲の期待に懸命に応えようとする少年だった。5人きょうだいの長男として責任感も強い。人に頼まれたら断

れない性分でもある。皆に喜んでもらえることは、もちろんうれしかった。ただ「ど」が付くほど真面目さゆえ、勉学、学内活動、そし

て学会活動の全てを完璧にやろうとするあまり、心の糸が張り詰め、疲れ果てていたのだろう。

母・浩子さん(女性部本部長)は悔いた。”なぜ早く気付いてあげられなかったのか……”。父・俊行さん(地区部長)は精神科の看護

師。自責の念にかられなかったといえば、ウソになる。

だからといって時計の針は戻せない。今まで”早送り”のような毎日を駆けてきた末、心身共に”電池切れ”した状態で眠るわが子の背中

に、両親は小さく呼び掛けた。「ゆっくり、充電しよう……」。同居する弟や妹たちにも、俊慈さんが大学を休学する事情を説明し、

一家で乗り越えていこうと約し合った。

3カ月、半年、1年……。家族で一緒に過ごす時間を、これほど長く感じたことはない。待つことの大切さを頭では分かっていても、

つい焦りや不満が出てしまう。互いにぶつかったことは数知れず。そんな時、地域の創価家族にどれほど支えられたか。共に悩み、共に

祈ってくれた。俊慈さんを案じて、八王子から駆け付けてくれた早大・滝山寮時代の仲間もいる。

2年がたった。俊慈さんは一度は復学したものの、しばらくして再び実家に戻ってしまう。同期の中で自分だけが取り残されてしまった

ような感覚に、耐え切れなくなったのかもしれない。両親とも相談し、中退を決めた。

失意に沈む彼の思いを、受け止めてくれた壮年部のリーダーがいた。俊慈さんを昔からよく知る人である。「創立者の期待に応えられな

い自分が情けなくて……」と涙に暮れる俊慈さんを優しく制するように、首を横に振ってこう言った。「君が大学を辞めても、池田先生

の君への思いは変わらないよ」

 

そうは思わない

 その言葉を信じたくても、信じられない自分がいた。就職しようと履歴書を企業に送っても面接にさえ進めない。「俺は誰からも必要

とされていない」と心底、思った。

だが男子部の先輩たちは違った。「戸田君、メシ行こか」「戸田君、人材やな」と声を掛けてくれるし、励ましてくれる。疎ましく感じ

ることもあったが、当時の男子部本部長をはじめ信頼できる人との出会いを通し、少しずつ活動に参加するようになった。

転機は015年。大樹合唱団の団長を務めていた辻村宣男さん(総区男子部書記長)から「合唱団のスタッフになって、力を貸してくれ

へんかな」と誘われたのだ。俊慈さんは目を丸くした。子どもが好きかと言われれば、好きな方だとは思う。少年部時代に合唱団に所属

していた経験もある。とはいえ、今の自分に何ができるのだろうか……。

先輩たちは見ていたのだろう。座談会などの場で、子どもたちと笑顔で触れ合う俊慈さんの姿を。役割と責任を担ってもらうことで、自

信を育んでほしいとの計らいもあったのかもしれない。

俊慈さんは合唱団の世界に飛び込んだ。そこには、いろいろな子どもたちがいた。勉強や運動が苦手な子、友人関係をうまく築けない

子、自分に自信が持てない子――励まそうにも、どう声を掛ければいいか分からない。「言葉」を求めた先は、池田先生が未来部に寄せ

た書籍だった。

「たとえ諸君が、自分で自分をだめだと思っても、私はそうは思わない。全員が使命の人であることを疑わない」「みんなのことを信じ

ている。見守っている。祈り抜いている」――創価学園時代にも先生の言葉をたくさん学んできたはずなのに、まるで今の自分へ贈られ

ているように思えた。涙があふれて仕方ない。

その感動のままメンバーに先生の言葉を伝え続けた。真剣に聞く子どもたちの瞳の輝きや、先生の心を真っすぐに受け止めて見違えるほ

ど成長していく姿に触れて、俊慈さんは気付く。「池田先生は、ずっと変わらず、信じ続けてくださっているじゃないか。その師匠の心

を、自分が信じられるかどうかなんだ」

俊慈さんに夢が生まれた。「教育の仕事に携わりたい」。再び創価教育の門をたたく。創大通信教育部に学び、教員免許を取得。30歳

にして小学校の教壇に立ったのである。

 

可能性を信じて

 2020年2月、大樹合唱団の歌声が関西池田記念会館に響き渡った。総大阪少年少女部の合唱祭「Joshoにじいろコンサート」

のステージである。大阪府内からエントリーのあった合唱団の中から、代表6団体のうちの一つに選ばれたのだ。

小学校で働き始めた頃とほぼ同時期に、合唱団長の任に就いた俊慈さんにとって、それは”もう一つの夢”がかなった瞬間でもあった。

練習の成果を存分に発揮して、互いの健闘をたたえ合う子どもたち。その姿の、何と誇らしげなことか。応援してくれた保護者や地元の

同志から、スタッフに対しても口々に感謝が寄せられた。「合唱団は宝や! ありがとう!」

誰よりも「ありがとう」を伝えたかったのは、俊慈さんだっただろう。諦めてばかりだった自分をずっと励まし抜いてくれた同志に、あ

りがとう。散々心配を掛けたのに、実家を”安心の居場所”にしてくれた父母に、家族に、ありがとう。そして創立者・池田先生の変わら

ぬ真心を教えてくれた合唱団の子どもたちに、ありがとう。ほんまにありがとう――と。

   ◆◇◆

 俊慈さんは現在、総区ヤング男子部長としても指揮を執る。「合唱団で培われた情熱と創意工夫の知恵がすごい」とは総区男子部長で

ある大谷光伸さんの声。コロナ禍にあっても会合参加者は日を追うごとに増えているという。

昨年には関西創価学園出身の萌美さん(副白ゆり長)と結婚。夫婦二人三脚で、地域広布に駆ける日々だ。

今春、うれしい知らせが届いた。大阪合唱団出身の4人が関西創価中学に合格したのである。そのうちの一人の男子が、俊慈さんに語っ

た。「団長があん時、言ってくれた言葉のおかげで、池田先生のつくった学校に行こうって強く思えるようになれたよ」

彼は小学4年の時、目標としていた願いがかなわずに落ち込んでいた際、こう励まされたという。「転んでも転んでも、何度でも起き上

がればいい。池田先生は君の可能性を誰よりも信じているよ」

合唱団の子どもたちと共に歩む日々は、多くの人に希望を広げる「未来までの・ものがたり」(御書1086ページ)となる――それ

が、堺の創価家族の確信に違いない。

 

 

 

 

 

 

 


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