〈危機の時代を生きる〉
2021年8月5日
これまで人類は感染症の拡大や戦争など、さまざまな危機を経験
してきた。私たちは、過去の歴史から何を学び、どうコロナ禍を乗
り越えていけばいいのか。イギリス帝国現代史の大家であるオック
スフォード大学名誉教授(カナダ・トロント大学教授)のマーガレ
ット・マクミラン博士に、歴史家の視点から語ってもらった。博士
は第1次世界大戦を主要な研究分野の一つとしており、同大戦の終
戦時に英首相だったロイド・ジョージの曽孫に当たる。
現代人の思い込み
──今回のコロナ禍と、ペストやスペイン風邪など過去の感染症のパンデミック(世界的大流行)の違いにつ
いて、どのように考えておられますか。
まず申し上げたいのは、現代の私たちは、過去の人類に比べてリスクに不慣れになっていたということです。
薬品や治療法の飛躍的な発達によって、がんやエイズなど、かつては治療不可能と考えられていた病気も克服で
きるようになりました。私たちは、どんな医療的困難が訪れたとしても、それを制御できると思い込んでいたの
です。
これに対し、14世紀の欧州では、医療は未発達であり、病気で命を落とすことは日常の出来事でした。ペストに
襲われた当時の人々にとって、「死」は決して特別なものではなかったのです。人々は、どんなに努力しても治
療できない病気があることを理解しており、突然の「死」に対して慣れていたわけです。
スペイン風邪が猛威を振るった20世紀前半でも、現在と比べれば「死」はもっと身近な存在でした。
腸チフスやコレラなどの疾病は一般的で、女性が出産で亡くなることも多くありました。若い人も老人と同じよ
うに突然亡くなりました。「死」は突然訪れるものであり、人間ができることは限られている──人々は、そう
考えていたのだと思います。
また、スペイン風邪が流行したのは、850万人が戦死した第1次世界大戦の終わり頃です。当時のパンデミックに
関する証言や文学作品が少ないのは、戦争、革命、飢餓など、命に関わる他の動乱があまりにも大きかったから
でしょう。パンデミックは、複合的な危機の一つでしかなかったのです。
一方、医療が急速に発達した現代にあって、私たちは「死」を身近なものとして直視せず、リスクに対し不慣れ
になっていました。そうした中で新型コロナのパンデミックは、人間と社会の脆弱性を浮き彫りにしました。
だからこそ、私たちは極めて大きな衝撃を受けたのだと思います。
──コロナ禍と過去のパンデミックとの類似点については、どうでしょうか。
時間差はありましたが、これら過去の感染症も、欧州だけでなく中央アジアや中東など広範な地域に広がりま
した。
また、人々の反応が多岐にわたったということも、大きな類似点であると思います。ペストに見舞われた中世欧
州でも、病気の存在自体を否定する人からパニックを起こす人まで、さまざまでした。自分たちの身を守ること
だけを考える人もいれば、ボランティアグループを結成して、互いに助け合う人々もいました。
今回のコロナ禍でも、その危険性を疑問視する人から、懸命に感染抑止に協力する人など、さまざまな反応が見
受けられます。
陰謀論が流行した点も、当時と今で共通しています。中世欧州では、陰謀論者がユダヤ人などのマイノリティー
(少数派)に責任を押し付けました。
今日も、事実に基づかない偽情報が蔓延し、パンデミックの原因を巡って、大国同士が互いに非難を繰り返して
います。700年たっても、人間の本質というのは、たいして変わっていないのです。
自己満足と油断
――博士は論考「コロナ後の世界――歴史か
らの視点」の中で、第1次世界大戦など過去の
危機とコロナ禍を比較し、三つの教訓を提示し
ています。1.現状に安心し油断する「自己満
足」、2.自分と違う意見を受け入れない「狭い
視野」、3.危機が過ぎるとすぐに以前の状態に
戻ろうとする「経験から学ぼうとしない姿勢」です。
とりわけ警戒しなければならないのは、「自己満足」に陥って油断してしまうことです。その危険性は、第1次世
界大戦が勃発する過程が如実に表していて、コロナ禍に立ち向かう私たちも肝に銘じるべき点です。
1914年に世界大戦が始まるまでの数年間、ボスニア危機(08年)、イタリア・トルコ戦争(11年)、バルカン
戦争(12年と13年)と、いくつかの危機が続きました。列強諸国は、それぞれの危機をどうにか切り抜けること
ができましたが、“軍事力の威嚇だけでも効果はあるし、たとえ局所的な戦争に至ったとしても最後は話し合いで
解決できる”という「油断」を生みました。
第1次世界大戦の引き金となったオーストリア皇位継承者暗殺事件が起きた後でも、一般市民も含めた多くの人々
が、“今回の危機も結局、以前の危機のように平和裏に終わるだろう”と考えていました。
しかし武力をちらつかせた瀬戸際外交は、すでに脆弱だった欧州の国際秩序を突き崩し、自国の不利益を未然に
防ぐための予防戦争へと列強諸国を駆り立てました。つまるところ、“今回も以前のようにうまくいくだろう”とい
う「油断」が、かつてない規模の戦争へと人々を突き落とした要因の一つになりました。
翻って、私たちが直面するコロナ禍はどうでしょうか。感染拡大初期に、“どうにかできるだろう”という「油断」
が、死者数の多い各国政府にあったことは否めません。
そしてワクチン接種が進んでいる今、私たちが懸念しなければならないのは、「結局のところ、すぐにワクチン
が開発され、想像していたよりも犠牲者は少なかった。今回も何とかなった」と油断してしまうことです。
私は疫学者ではありませんが、次のパンデミックはほぼ確実に起こると考えた方がいい。例えば5年後に、私た
ちが「あの時は大変だったね。でも、もう大丈夫」と振り返っているだけのような状況は避けなければなりませ
ん。
──博士は同論考で、戦争の歴史を振り返り、危機が社会の価値観を根本的に変革し得ると論じています。
コロナ禍にも、そうした可能性はあるのでしょうか。
パンデミックと戦争は別次元の話であり、安易に比較すべきではありませんが、ともに平時ではなく非常時で
あり、より大きな権力と独断的な措置が必要になる点は共通しています。そうした意味で、既成概念や社会の前
提を変え得る要素をはらんでいるといえます。
例えば先の大戦では、特定の職種に女性は就くべきではないという既成概念が覆りました。はっきりとは言えま
せんが、今回のコロナ危機においても、私たちが自分自身をどう捉えるのか、政府についてどう考えるのか、そ
して政府と市民がいかに協力していけるのか、そうした意識に根本的な変化が起こるのではないでしょうか。
ある特定の人種コミュニティーがより甚大な被害を受けていることが示すように、コロナ禍は、不平等、格差、
分断といった問題を改めて浮き彫りにしました。加えて、私たちの目の前には、気候変動、各国で増幅する偏狭
な国家主義など、人類の行方を左右する大きな課題が山積しています。
これらにうまく対応し、安定した国際社会を築くためには、社会の価値観と一人一人の行動の変革が求められて
いるはずです。
──具体的に、どのような変革が望ましいと思われますか。
私たちはコロナ禍を通して、人間は「協力」なしでは何もできないことを改めて知りました。政府がリーダー
シップを発揮し、国民が「協力」できた社会は、死者数を少なく抑えられています。日本や韓国など東アジアの
国々には、欧米諸国と比べ、強い共同体意識と社会的責任の感覚があります。政府の対応も効果的だったのでし
ょう。それが違いを生みました。
一つ確かなのは、「個人主義」が危険をもたらすことを、欧米諸国が学んでいる点です。自分と家族のことだけ
を考える傾向が強い社会は、より大きなリスクにさらされる。私たちは、「協力」や「団結力」といった価値の
重要性を、コロナ危機から学んでいます。
政府の役割がいかに重要であるかも、私たちは再確認しました。都市封鎖をはじめ、生活支援、経済刺激策、ワ
クチン接種など、政府による大規模な施策なくして、感染症とは戦えません。大きな政府は成長の障害であり非
効率的であるため、極力その役割を小さくするべきだという「新自由主義」の革命が、1980年代に始まりました
が、その潮流は終焉に向かいつつあります。危機に対応するには、「良い政府」が欠かせません。
問われる生き方
──今月、広島と長崎は原爆の投下から76年を迎えます。第2次世界大戦後、日本は平和を希求し、さまざま
な形で国際社会の発展に貢献してきました。
日本は、国際社会で非常に重要な役割を果たしています。私の母国カナダと同じように、国際機関、多国間主
義を力強く支持し、国際秩序の構築と維持に多大な貢献をしています。これまでと同じように、共々に国際秩序
を信じ、守っていってほしいと願います。
各国が「協力」できる世界を実現しなければ、人類の未来はありません。例えば気候変動の問題一つとっても、
全ての国が協力できなければ、人類全体が被害を受けることになります。気候変動は既に紛争を生み、人々に移
住を強い、多くの命を犠牲にしています。私たちが協力し、安定した世界を築く以外に、この問題を乗り越える
道はないのです。
──気候変動などの地球的問題に対して、“普通の市民”ができることは限られている、と言う人もいます。
“自分には、どうせ何もできないし、行動しても意味がない”と投げ出してしまうのは簡単です。しかし、危機
に強い社会を築くために、私たちにできることが必ず何かあるはずです。地域の行事に関わること、気候変動の
ような社会問題の解決のために活動すること、あるいは政治に積極的に参画することなど、さまざまな方法があ
ります。
一人一人の市民が、それぞれの道で積極的に関わっていかなければ、健全な社会は決して築けません。もちろん
一人の力で全ての問題を解決できるわけではありません。だからといって、心のドアを閉めて、諦めてはいけな
いのです。 他者に対する一人一人の姿勢は、その社会の特質の醸成に寄与します。第1次世界大戦後の荒廃した
欧州社会にあって、人々は心を閉ざし、他者を責め、独善的な国家主義が台頭しました。そして多国間の人的・
経済的交流が衰退していき、やがて2度目の世界大戦へと突入していったのです。
第1次大戦と第2次大戦の戦間期の教訓から学ぶべきは、“自分たちさえ良ければいい”という偏狭な国家主義にと
らわれてしまえば、世界的な危機を解決できないどころか、危機が連鎖してしまうということです。
コロナ危機から「良き変革」を生み出すのだとの希望を失わず、失敗からは謙虚に学び、決して油断せず次の危
機に備える。冷戦後の新たな世界秩序がいまだ存在しない社会だからこそ、危機を乗り越えるための、私たち一
人一人の生き方が問われているのではないでしょうか。
Margaret MacMillan カナダ・トロント出身。英首相ロイド・ジョージの曽孫。トロント大学で修士号を取得後、オックス フォード大学セント・アントニーズ・カレッジで博士号を取得。同大学の国際史教授、同カレッジ学長等を歴任し、名誉教授に 就任した。現在は、トロント大学教授。ウエスタンオンタリオ大学など多数の大学から名誉学術称号を受章し、2018年には、英 王室からコンパニオンズ・オブ・オナー勲章を授与された。第1次世界大戦後のパリ講和会議を描いた代表作『ピースメイカー ズ』など多数の著書がある。