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VOD新番組に収録された池田先生の指針

――広布の山を一緒に登ろう

2021年7月19日

 

喜び勇んで苦難に挑め!
御聖訓「いよいよ悦びをますべし」
戸田先生「学会が倒れたら日本の繁栄はない」
“新しい夜明け”を開きゆけ

 

  1993年6月に行われた各部代表幹部会で、

  スピーチする池田先生

       (東京・創価国際友好会館で)

 

 池田先生のスピーチを収録した新番組「全て

を喜びに 共に広布の山を!」が、SOKAチャ

ンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加

された。内容は、1993年6月に行われた「7・3」記念の各部代表幹部会でのスピーチである。異体同心の大団結

で、今再びの凱歌の太陽を昇らせゆく友への指針として、スピーチの要旨を掲載する。

 ※VOD番組の時間は約9分、番組コード=AC13。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイル

STB」で視聴可能。モバイルSTBで視聴する際は、インターネットを通してダウンロードが必要です。

「SOKAnet」では、VODの同番組は視聴できません。

 

 昭和31年(1956年)12月のことである。戸田先生は、仙台指導の折、東北のラジオ局のインタビューに応じ

られた。

インタビューのなかで、戸田先生は、「創価学会に青年が多いのはなぜか」について、こう答えられた。

「学会に青年が多いのは、哲学が深いからです」と。

端的に急所を突いた、鋭く、深い、鮮烈な答えであった。

指導者は、こうでなければならない。パッと聞かれたら、パッと明快に答える。歯切れよく、わかりやすく、

「なるほど」と、印象に残る話をする。それが「力」であ

戸田先生は「若い青年は、それ(哲学)を究めようとする。究めようとすれば、ますます山が高くなってくる。

だんだんと山に登りますから、楽しみも増えるというわけです。ですから、青年は、ついたら離れないのです」

と。

仏法は、「宇宙」と「生命」の法則を完璧に説ききっている。人間の宿命、生死の問題を解決する大法である。

観念ではなく、現実に根ざし、社会をリードしていく哲学である。仏法は、いかなる思想、哲学よりも奥が深

い。

その仏法を実践する求道の青年を、戸田先生はだれよりも愛しておられた。青年への慈愛がほとばしるインタビ

ューのやりとりをうかがいながら、私は戸田先生の偉大さをあらためて痛感した。

先生は「私も、自分自身も、その道を歩んでいるのです。ただ一歩先か、二歩先かの問題です。“山を究めた”と

言っているのではないのです。“山をめざして一緒に歩こう”と言っているのです」と。

「山をめざして、一緒に歩こう」──これが戸田先生のお心であった。上から傲慢に見おろしたり、命令主義に

なることなど、まったくなかった。

仏法の世界は、皆、平等である。私も同じ精神である。

「広宣流布の山」も、一つの峰を踏破すれば、またさらに、大いなる展望が広がる。そして新たな峰をめざし

て、皆で朗らかに、上へ上へと登っていく。これが私どもの人生であり、最高に張り合いのある生き方である。

 

仏法の真髄

 インタビューの最後に、戸田先生は、「いちばん大きな喜びは何ですか」との質問に対して、「どこにいても

生きがいを感じ、喜んで生きていけることが、うれしい」と答えられた。

世間は無常であり、一時の栄誉も喜びも、すぐに変化してしまう。しかし、仏法の法則だけは、永遠に不変であ

る。結局、自分の人生に、この「永遠にして最高の軌道」をもっているか否か──この一点こそが、最も重要と

なる。

大事な人生である。ただ空しく遊び暮らして、一生を終わらせてしまうのも自分。偉大な仕事に取り組み、幸福

の充実感を得るのも自分しだいである。

先日、ある人が言っていた。「いよいよ夏。どうせ暑さに汗をかくのだから、私は偉大なことに汗を流そう」

と。こうした張りのある人、喜びをもって生きる人は、いつも若々しい。

どうか、この最高に誇りある道を、広布の「山」へ向かって、一緒に進みぬいていただきたい。

日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788ページ)と仰せである。

広布の人生は、「大歓喜」の人生である。

さらに、「流人なれども喜悦はかりなし」(同1360ページ)──流罪の身ではあるが、喜悦は計り知れない

──。

「御勘気をかほ(蒙)れば・いよいよ悦びをますべし」(同203ページ)──権力による処罰を受けたので、い

よいよ喜びを増すのである──。

「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(同1448ページ)──大難が来れば強盛の信心(の人)は、い

よいよ喜んでいくべきである──と。

また、竜の口の法難のさいにも、門下の四条金吾に「これほどの悦びをば・わらへかし」(同914ページ)──

これほど喜ばしいことではないか。笑いなさい──と仰せになっている。

苦難があれば「賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)──これが大聖人の教えである。

挑戦すべきことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで進んでいく。さっそうと戦っていく。これが仏法の真髄

である。人生の究極の生き方である。

“喜べない人生”は不幸である。「また活動か」(笑い)、「またか」「たいへんだな」(笑い)などと、いつも

下を向き、苦しい顔をして、文句や批判ばかり。これでは御書に反してしまう。

すべてに「喜び」を見いだしていける人。すべてを「喜び」に変えていける人。その人こそ「人生の達人」であ

る。

「佐渡御書」には、「賢聖は罵詈して試みるなるべし」(同958ページ)──賢人、聖人は罵って、本物かどう

か試みるものである──と仰せである。

どんな批判をも耐えぬき、それでも悠々と喜びの人生を送っていけるかどうか──そこに本当に偉大な人かどう

かの分かれ目がある。

すべてに喜びを見いだしていく──自分が喜べば、周囲もさわやかになる。笑顔が広がる。価値が生まれる。

 

大聖人の御確信

 大聖人は、「種種御振舞御書」で仰せである。

「日蓮によ(依)りて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日

蓮は日本の人の魂なり」(同919ページ)

──日蓮によって日本国の有無(存亡)は決まる。たとえば、家に柱がなければ保てず、人に魂がなければ死人

である。日蓮は、日本の人の魂である──と。

「日本国の存亡は日蓮によって決まる」──大聖人直結の私どもは、この烈々たる御確信を忘れてはならない。

戸田先生は、この御文を講義されて、仏意仏勅のままに進む学会の誇りを語られた。

「この創価学会を倒したならば、日本の本当の繁栄はないのです。創価学会こそ日本の国の柱であり、眼目で

す」と。

これが戸田先生の確信であり、ご遺言である。

学会は、日本の動向を決する「柱」であり「魂」である。学会があればこそ、「新しき世紀の夜明け」を開く

ことができる。この大いなる確信と誇りに燃えて進んでいきたい。

 

 

 

 

 

 

 


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