〈危機の時代を生きる 創価学会学術部編〉
2021年7月17日
オリンピック・パラリンピックの
メイン会場となる東京・新宿区の
国立競技場前に設置されたモニュメント
今月23日に「東京オリンピック」が、来月24
日には「東京パラリンピック」が開幕する。
「危機の時代を生きる――創価学会学術部編」
の第13回のテーマは、「価値創造のオリンピッ
ク」。大会組織委員会のメンバーでもあり、オリンピック史とオリンピック教育が専門の筑波大学特命教授・真
田久さんの寄稿を紹介する。
東京オリンピックの開幕まであと6日となりました。
昨年、オリンピック史上初めて延期が決定した今大会。いまだコロナ禍は続きますが、この1年で、ウイルスにつ
いて多くのことが分かってきており、収束を目指したワクチン接種も進んでいます。
その一方、首都圏で感染者数が増えている状況もあり、残念ながら、ほとんどの会場では、無観客で競技が行わ
れることになりました。
感染対策のガイドラインに沿い、安心で安全な大会実現のために努力することが、世界の関係者に対する日本の
責務であると思います。
今大会の特徴の一つは、女性アスリートの割合がほぼ5割に達し、男女の混合チームでの種目も増えていること
です。陸上競技や競泳では、男女2人ずつ、計4人で競技するリレーが正式種目として行われます。「多様性と調
和」という大会のビジョンのままに、選手の姿を通して、共生社会への理解促進がもたらされると期待していま
す。
また、プロジェクションマッピングやドローン撮影などを含む最新のテクノロジーにより、迫力と臨場感あふれ
る映像をテレビやスマートフォンなどで楽しむことができます。競技場での観戦はできなくても、アスリートの
素晴らしいパフォーマンスや鼓動が伝わることでしょう。
◆◇◆
私の専門の一つは、オリンピック史です。
古代オリンピックの始まりは、紀元前776年にさかのぼります。戦争と疫病で苦しんでいたギリシャの人々が、
“戦争をやめて競技祭を行いなさい”という神のお告げに従って、オリンピアの地で200メートルほどの短距離走
を行いました。
これが、現在のオリンピックの発祥です。
古代オリンピックは約1200年にわたって続いたことが分かっています。神をまつる祭典ですので、オリンピック
が行われている間は、戦争をしてはいけない、武器をとってはいけないという決まりを設けました。
こうした古代の理想を受け継ぎ、フランスの教育者クーベルタンが提唱したのが、1896年に始まった近代オリン
ピックでした。
その第1回大会は、ギリシャのアテネで開催されました。当時、普仏戦争に敗れたフランスは教育改革に熱を注
いでおり、クーベルタンは、パブリックスクールを視察するため、イギリスを訪れました。
学生たちが、積極的かつ紳士的にスポーツに取り組む様子を見た彼は、知識を詰め込む教育ではなく、スポーツ
を通して指導者としての資質を養う重要性を痛感します。そして、スポーツ教育の理想の形としての「古代オリ
ンピックの復活」を思い描くようになりました。
オリンピック憲章には、「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すた
めに、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」と記されています。
コロナ禍の中で開催される今大会は、「人類の連帯」「平和の建設」というオリンピック本来の価値を、今一
度、確認し合う「原点回帰」の大会といえます。
1964年の東京オリンピック・陸上男子1万メートル。
周回遅れになったセイロンの選手が、
観客の大声援に後押しされて完走を果たした
私のもう一つの専門は、オリンピック教育です。オリンピッ
クがもつ、教育的な価値について研究しています。
私が小学3年だった1964年、初の東京オリンピックが開催され
ました。朝礼で、校長先生が「たくさんの外国人が日本に来る
ので、東京の街をきれいにしましょう」と話しており、登下校
の際に、友だちと一緒にゴミ拾いをした記憶があります。
その後、大学時代に図書館で手にした書籍で、64年に首都美化
運動というのがあり、それがオリンピックの学習活動の一環だったことを知りました。自分もオリンピック教育
を受けていたのだと、感動したのを覚えています。
東京オリンピック以前は、各家庭のゴミは指定の場所にただ積まれているだけでした。しかし美化運動がきっか
けで、ゴミ分別の意識が高まり、決められた収集日にゴミを出す、現在の回収方法が始まりました。
また、オリンピックを通してスポーツが身近になり、ママさんバレーやスポーツ少年団などが各地で誕生した側
面もあります。
このように、オリンピックは一過性の行事ではなく、継続的なムーブメント(運動)を起こすことで、教育的な
価値を生む機会になります。
◆◇◆
今大会について特に素晴らしいのは、かつてない規模で市民レベルの国際交流が行われていることです。全国
528の自治体がホストタウンとなり、早い場所では5年前から、出場国の選手らとの交流が始まりました。政府の
支援のもと、事前合宿で受け入れたり、子どもたちが選手やコーチから直接、指導を受けたりすることもありま
した。
事前合宿の受け入れ等はこれまでも実施されてきましたが、数年間にわたり、市民との交流を中心にした活動が
行われるのは、今大会が初めてです。コロナ禍の現在も、多くの自治体でオンラインを駆使して交流が続いてい
ます。
このホストタウン事業は、2024年のパリ大会でも展開される予定です。市民交流を通したグローバル人材の育成
が、“日本発”で世界に広まっているといえます。
二つの復興
今大会は、東日本大震災、そしてコロナ禍からの復興という二重の意義があります。
危機の中から、新たな価値を創造していく──この挑戦の模範を示すのが、講道館柔道の創始者であり、日本選
手団のオリンピック初参加(1912年)に尽力し、戦時下のため開催中止となった「幻の東京大会」(40年)の
招致を主導した嘉納治五郎です。
彼の柔術は、「逆らわずして勝つ」──押し寄せる外からの力を逆らわずに受け止めつつ、その相手の力を利用
して勝つ柔道と評されました。
さらに嘉納は、心身の力を社会の善のために活用すべきであるという「精力善用」と、その精力善用による自己
の完成が他者の完成を助け、自他一体で栄えるという「自他共栄」の考えを示しました。これは、第1次世界大
戦とスペイン風邪流行の直後、アントワープ大会(20年)に日本選手団団長として参加した彼が、世界を観察す
る中でまとめたものでした。
こうした嘉納の考えは、たとえ逆境にあっても、それを力に変えながら、自他共の幸福の実現を目指す創価学会
員の生き方にも通じます。
◆◇◆
嘉納は、創価学会の初代会長・牧口常三郎先生と深い信頼で結ばれていました。
牧口先生は北海道から上京した1901年(明治34年)に講道館に入門し、柔道を実践しました。03年には、嘉納
が校長を務める東京高等師範学校の同窓会組織の書記に就任。そして04年、嘉納が中国からの留学生のために創
立した弘文学院(後の宏文学院)に、地理学の教師として雇われています。
牧口先生は03年に発刊した『人生地理学』の中で、国家と個人の目的は「他を益しつつ自己も益する方法を選ぶ
にあり」と述べています。「精力善用」「自他共栄」の思想と極めて近いことからも、『人生地理学』には、嘉
納の哲学への共鳴と継承が表れていたといえます。
友情のドラマ
牧口先生は『創価教育学体系』の中で、このようにつづっています。“智育なしの徳育、智育なしの体育はあり
得ない。幸福な生活を送るための価値創造の指導が教育の目的であることからすれば、智育のみも意味をなさな
い。体育的に智育し、智育的に体育し、両者相反しないように教育する”と。
肉体・意志・知性の融合を目指すオリンピックの精神そのものであり、日本の教育基本法に定められた「知・
徳・体の調和のとれた発達」という理念を、牧口先生は早くから持っていたのです。
さらに私は、牧口先生が提唱した「人道的競争」とは、各競技でしのぎを削りながら互いに高みを目指してい
く、アスリートの生き方にも重なると思っています。
2018年、平昌冬季オリンピックのスピードスケート女子500メートルで、日本の選手が素晴らしい記録を出し
ました。観客が総立ちになって拍手と歓声を送っていたところ、彼女は口元に指を置き、観客に静寂を求めまし
た。次に滑る韓国出身の選手らが、素晴らしい滑りをできるようにとの配慮でした。
その韓国の選手は、3連覇を目指していたものの、結果は日本の選手に及ばず、銀メダルに。レース後、残念な
様子を見せていた彼女のもとに金メダリストの日本選手が近づき、抱き寄せて、共にリンクを走る場面がありま
した。
当時、日韓関係には緊張がありましたが、この様子は世界中で感動と称賛を呼びました。国を超えて織りなされ
る友情のドラマこそ、オリンピックの魅力の一つです。
◆◇◆
1964年の東京オリンピックでは、観客の振る舞いが選手を勇気づけました。
陸上男子1万メートルに出場したセイロン(現・スリランカ)の選手は、大幅に遅れをとり、他の選手がゴール
した後、競技場をただ一人で3周しなければなりませんでした。棄権も考えたようですが、黙々と走り続ける彼
に向け、会場全体から拍手と声援が鳴り響きました。この応援に背中を押され、彼は完走を果たしたのです。
今大会も、ホスト国である日本の私たちが、会場にいるいないに関わらず、熱烈な応援を表明していくことが、
選手の支えになることは間違いありません。
NHKの「世界を応援しよう!」プロジェクトでは、各国・地域の応援の方法を学び、実践した動画を投稿するこ
とで、選手にエールを送ることができます。
コロナ禍だからこそできる、日本のおもてなしの心を世界に広げていく機会となっています。
いかに闘ったか
頂点を目指して、自身の限界に挑み抜いてきた選手たちは、ライバルであり、苦労を共にした仲間でもありま
す。そうした存在がいてこそ、人は大きく成長できます。
スポーツで鍛えられた人格と人格が出あい、連帯の価値を社会に示していくありようは、環境・国土(依報)に
よって衆生(正報)の生命が形成され、衆生の働きによって環境・国土の様相も変化すると説く、仏法の「依正
不二」の原理に当てはまります。
アスリートの姿に希望と感動をもらった一人一人が、それを力に変えて、さらなる社会貢献の行動を始めてい
く。そこに、自他共の幸福を目指す仏法者の生き方があると思います。
苦労と我慢を強いられてきたコロナ禍だからこそ、来るオリンピック・パラリンピックでは、さまざまな困難や
障壁を乗り越えて出場する選手たちの姿が、多くの人の共感を呼び、感動と勇気を送ると確信します。「オリン
ピックは勝利ではなく、参加することに意義がある。人生において大事なことはいかに闘ったかである」という
オリンピック精神を、真に示す大会になることでしょう。
私自身も、世界中に連帯と共生の価値を示すオリンピック・パラリンピックのムーブメントを、発信し続けてま
いります。
さなだ・ひさし 1955年生まれ。筑波大学大学院修了。博士(人間科学)。筑波大学教授を経て、現在、同大学特命教授。 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会参与、同組織委員会文化・教育委員会委員。創価学会総茨城副総合 学術 部長。副圏長。