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〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 

第4巻 基礎資料編

201919

 

                        「凱旋」の章

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は

第4巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。

次回の「名場面編」は16日付、「御書編」は23日付、「解

説編」は30日付の予定。

 

物語の時期 

1961年2月14日~10月8日

 

「春嵐」の章

 1961年2月14日にアジア訪問から帰国した山本伸一は、16日に愛知の豊橋市で開催された豊城支部の

結成大会を皮切りに、各地の会合に出席していく。3月7日には、関西男女青年部のそれぞれの幹部会へ。

さらに翌8日には、関西の3総支部の合同幹部会に臨み、力強く学会歌の指揮を執る。この時、伸一は、権力の魔

性との激しい攻防戦のさなかにあった。57年の参議院議員大阪地方区の補欠選挙で、選挙違反を指示したとの事

実無根の容疑がかけられた「大阪事件」の裁判が、大きな山場に差し掛かっていたのである。

16日、青年部の第1回音楽祭であいさつに立った伸一は、「我々は、戦おうじゃないか!」との恩師・戸田城聖

の言葉を通して指導。このころ、各地で、神社・仏閣への寄付や行事への参加を拒んだ学会員に対する、村八分な

どの不当な仕打ちが深刻化していた。伸一は、広布進展に合わせて嵐が吹き始めたことを思い、全同志を、いかな

る大難にも屈せぬ、強気信仰の人に育て上げなくてはならないと決意する。

4月2日、彼は、春嵐の中で行われた戸田の四回忌法要に臨む。

 

「凱旋」の章

 戸田の四回忌法要の翌4月3日から、伸一は群馬、新潟、東京、愛知、埼玉、島根、広島での支部結成大会など

に相次いで出席。会合の前後には、時間を割いてメンバーの激励に徹した。

群馬の高崎では、前年に自作の詩を贈って励ました青年たちと再会し、その成長を喜ぶ。さらに、戸田が戦後初の

地方指導で訪れた桐生も訪問。ここでは、学会と別の組織を作り、活動を進めようとしたメンバーが行き詰まり、

深い反省の末に学会に入会するエピソードが紹介されている。

中部では、岐阜へも足を運び、支部長や居合わせた同氏と懇談。島根の松江では、口べたなことに不安を抱えてい

た支部長へ「声仏事」と認めて贈った。広島の福山では会場に入れなかった友を気遣い、会合終了後に場外に出て、

一人一人を励ます。

会長就任から1周年。激動の365日を走り抜いた伸一は、139支部、総世帯数191万余りという、大飛躍の

結果をもって、5月3日の本部総会に凱旋を果たす。

 

「青葉」の章

本部総会を終えた伸一は、青年部幹部との懇談の席上、この年を「青年の年」にしたいと提案する。彼は、青年

部を中心に、新しい広布の流れをつくることを、会長就任2年目のテーマとしていた。

九州をはじめ、各地の青年部の方面総会に出席。行く先々で青年たちとの出会いをつくった。京都の舞鶴では、仕

事と学会活動の両立に悩む男子部員に対し、「いかなる状態にあっても、必ず、すべてをやりきると決め、一歩も

退かない決意を持つことです」と語り、その苦労がすべての生涯の財産になることを訴える。

伸一は、神戸、兵庫の2支部合同の結成大会で、学会の広布の歩みを収めた記録映画の製作を発表する。彼は、青

年部の室長時代から、学会の主要行事(「3・16」の式典など)を、映画フィルムに収めるように推進してきた。

伸一は、その製作の責任者に、青年部のリーダーを抜てき。また、第4回学生部総会では、”世界を友情で結びゆけ”

と期待を寄せた。

6月の本部幹部会では、この年の目標に掲げていた200万世帯の達成が発表される。

 

「立正安国」の章

伸一は7月4日、戸田の墓前で深い祈りを捧げる。前日の3日は、16年前に恩師が生きて獄門を出た日である。

それはまた、4年前に自身が不当逮捕された日でもあった。彼の胸には「権力の魔性と戦え! 民衆を守れ!」と

の師の言葉がこだまし、「大阪事件」の裁判で、断じて、無罪を勝ち取る決意を固める。

9日、方面別の青年部総会の掉尾を飾る東北の総会へ。午後に行われた男子部の総会で、「広宣流布の総仕上げは、

東北健児の手で」と訴える。29日、長野県の霧ケ峰高原での「水滸会」の野外研修では、人類の平和と幸福のた

めに、世界の檜舞台に雄飛をと語った。翌日の「華陽会」の野外研修では、バレーボールのパスを通して、心一つ

に団結する意義を強調する。7月、女子部は部員20万を、男子部は30万を突破する。

8月の恒例の夏季講習会で、伸一は「立正安国論」を講義する。

秋のヨーロッパ訪問を前に、人間と人間を結ぶヒューマニズムの哲学を広め、世界の立正安国の道を開くことを誓

う。

 

「大光」の章

 10月5日、伸一はデンマークのコペンハーゲンに欧州訪問の第一歩をしるす。移動の車中、同国復興の父グル

ントヴィと後継者コルが、広く民衆に高等教育の機会を開いたことを思い、先師・牧口、恩師・戸田の遺志を受け

継ぎ、創価教育を実現する学校を設立しなければと、誓いを新たにする。ホテルでは、同国に出張中の男子部のメ

ンバーを激励する。

7日、西ドイツ(当時)のデュッセルドルフに入った訪問団一行は、ライン川の岸辺で、ナチスによるユダヤ人迫

害を巡って語り合う。

翌日、一行は西ベルリン(当時)に赴き、東西ベルリンの境界線付近を視察。自由を奪い、同胞や家族を引き裂く

壁を前に、伸一の脳裏には、 ”人間の生命に潜む魔性の詰めをもぎ取れ” との精神が込められた。戸田の「原水爆

禁止宣言」が蘇る。

美しい夕焼け空の下、分断の象徴であるブランデンブルク門を仰ぎながら伸一は、「三十年後には、きっと、この

ベルリンの壁は取り払われているだろう……」と、同行の友に言う。それは、世界の平和の実現に、生涯を捧げ、

殉じようとする、彼の決意の表明にほかならなかった。

 

 

「師弟の誓願」実現へ

1961年 200万世帯突破

<恩師・戸田城聖から託された300万世帯達成へ、広布の指揮を執る山本伸一。会長就任1年余りの61年6月、

学会は200万世帯を突破する>

 

 200万世帯の達成は、この年の一年間の目標であった。それをわずか半年で達成してしまったのだ。ここにま

た一つ、広宣流布の未曽有の金字塔が打ち立てられたのである。

地位や財力、権力を使っての勧誘ではない。無名の民衆が、人々の幸福と平和を願い、誠実と情熱をもって、それ

ぞれの立場で仏法を語り説くという、地道な活動の積み重ねによって成就されたものである。それは、伸一と心を

同じくした、同志の発心がもたらした壮挙であった。

(「青葉」の章、228ページ)

 

1957年12月     75万世帯達成

1958年 4月 2日  第2代会長・戸田先生が逝去

      5月 3日  「七つの鐘」構想を発表

     10月     100万世帯達成

1959年12月     130万世帯

1960年 5月 3日  池田先生が第3代会長に就任

     10月 2日  北・南米に初の海外指導に出発(10月25日帰国)

     12月     170万世帯

1961年 1月28日  アジアへの平和旅に出発(2月14日帰国)

      5月 3日  会長就任1周年。191万世帯を突破

      6月     200万世帯達成

     10月 4日  欧州への平和旅に出発(10月23日帰国)

 

 

 

 

 

 

 


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