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〈世界広布の大道――小説「新・人間革命」に学ぶ〉 

第3巻 基礎資料編

2018125

 

                    「仏法西還」の章

 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は

第3巻の「基礎資料編」。各章のあらすじ等を紹介する。

次回の「名場面編」は12日付、「御書編」は19日付、「解

説編」は26日付の予定。

 

物語の時期 

1961年1月1日~2月14日

 

雲の井に

 月こそ見んと

  願いてし

 アジアの民に

  日(ひかり)をぞ送らん

 

この和歌を聞くと、伸一の心は踊った。それは、1956年(昭和31年)の年頭に、戸田が詠んだ懐かしい和

歌であった。

――雲の切れ間に、ほのかな幸の月光を見ようと願うアジアの民衆に、それよりも遥かに明るく、まばゆい太陽の

光を送ろう、との意味である。

ここでいう「月」とは釈尊の仏法であり、「日」とは日蓮大聖人の仏法をさすことはいうまでもない。

戸田は、「諫暁八幡抄」などに示された、大聖人の「仏法西還」の大原理をふまえ、東洋広布への決意を詠んだの

である。この戸田の決意は、そのまま、愛弟子である伸一の決意であった。

(「仏法西還」の章、9ページ)

 

「仏法西還」の章

1961年の元旦、山本伸一は自宅で「元朝に 祈るアジアの 広布かな」と認め、妻の峯子に贈る。この1月

には28日からの18日間、香港、セイロン(スリランカ)、インド、ビルマ(ミャンマー)、タイ、カンボジア

への平和旅を控えていた。

学会本部で行われた初勤行の席上、「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日(ひかり)をぞ送ら

ん」との戸田城聖の和歌が紹介された。翌2日、伸一は、その東洋広布を熱願していた戸田の墓前で、アジア初訪

問の出発を報告する。

アジア訪問の折、「仏法西還」の先駆けの証しとして、釈尊の成道の地であるインドのブッダガヤに、御書の「三

大秘法抄」や、「東洋広布」の石碑などを埋納するため、同行のメンバーが奔走する。伸一は渡航前の多忙な日々

の中で、九州の3総支部合同の結成大会、両国支部、宇都宮支部、城西支部、都南支部、江戸川支部など、各地の

支部結成大会を中心に指導に駆け巡る。

1月28日、香港に降り立った伸一は、座談会で、海外ではアジア初の地区を結成。「香港を東洋の幸福の港にし

ていこう」との期待を寄せる。

 

「月氏」の章

香港を発ち、次の目的地に向かう機中、伸一は同行の幹部に、近い将来、アジアに総支部をつくりたいとの考え

を打ち明ける。戸惑う幹部に対し、「まず構想を描く。そして、そこから現実をどう開いていくかを考えていくん

だ」と、現状追随的な意識を打破することを訴える。

シンガポールを経由し、セイロンへ。そこでは、一人の青年を激励し、男子部の隊長に任命する。

いよいよインドに到着した一行は、イスラム王朝のクトゥブの塔や、デリー城などを視察。マハトマ・ガンジーを

荼毘に付したラージ・ガートに立ち寄り、インドを独立に導いた非暴力の闘争に思いを巡らす。また、アショーカ

大王の法勅を刻んだ石柱の下では、仏法を根底にした政治について語り合う。

タージ・マハルやアグラ城などを巡り、2月4日、ブッダガヤに入る。管理委員会の許可を得て、大菩提寺の境内

に、「東洋広布」の石碑や「三大秘法抄」などを埋納する。戸田に誓った東洋広布へ、第一歩を踏み出した伸一は、

仏教発祥のインドの地で、”出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ” と心で叫ぶ。

 

「仏陀」の章

埋納を終えた一行は、大菩提寺の周辺を散策。釈尊ゆかりの場所を訪ねた伸一は、人類を生命の光で照らした、

その生涯に思いをはせる。

釈迦族の王子として生まれた釈尊は、生後間もなく母を亡くす。万人が避けることのできない老・病・死の問題を

解決するため、彼は王家の生活を捨て、出家の道に進む。

禅定や苦行に励むが悟りを得られなかった釈尊は、尼連禅河を渡り、菩提樹の下で深い瞑想に入り、思念を凝らす。

次々と襲う欲望への執着。飢え、眠気、恐怖、疑惑と戦い、無限の大宇宙と自己との合一を感じながら、感動の中

に、永遠不変の真理である「生命の法」を覚知。ついに大悟を得て、仏陀となる。

彼は、悟った法を説くべきか否か、悩み苦しんだ末に、民衆の中に入って法を説くことを決意する。

六師外道たちからの迫害にも、提婆達多の反逆にも屈せず、愛弟子の舎利弗、目連との死別の悲しみをも乗り越え、

最期の一瞬まで人々を教化した。

伸一は、その生涯を思い、自らも命の燃え尽きる時まで、わが使命の旅路をゆくことを誓う。

 

「平和の光」の章

ガンジス川を訪れた伸一は、居合わせた身なりの貧しい子供たちとの交流を通して、世界各地の繁栄と平和を念

じた戸田の遺志を継ぐ、自身の使命と責任の重さを感じる。その後、寺院や博物館を見学した一行は2月7日、8

日間滞在したインドを離れ、ビルマへと向かう。

伸一は、ビルマで戦死した長兄をしのびつつ、日本人墓地で戦没者の追善法要を行う。彼の胸には、長兄との思い

出が次々と去来する。割れた母の鏡の破片を大切に分け合ったこと。出兵先から一時帰国した兄が、憤懣やるかた

ない様子で戦争の悲惨さを訴えたこと。その兄の戦死の報を受け、背中を震わせながら母が泣いていたこと――。

戦没者の冥福を願う祈りは、恒久平和への強い誓いとなっていた。

その後、一行は、タイ、カンボジアを訪問。アジア各地で日本軍による戦争の傷跡を目にした伸一は、一人の日本

人として、「幸福の道」「平和の道」を開いていこうと決意する。東洋の哲学・文化・民族の研究機関や、音楽な

どの交流を目的とした団体の設立を構想。一切の行程を終え、2月14日、帰国の途に就く。

 

 

 

 

 

 

 

 


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