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〈グローバルウオッチ〉 共生の未来へ 多様性こそ力④

2018年12月1日

   多彩な体験に触れ 力強く励まし合う

 

 

                     同志と再会を

                      喜ぶルイスさん

                      (左から2人目)

 

 

 現代社会の課題と向き合う「グローバルウオッチ 共生の未来

へ」。群馬県大泉町は、人口約4万2000人のうち約7500

人が外国人。住民の2割近くに上る。文化的背景が異なる外国人と身近に接する中で、学会員は多様な差異をどう

捉え、価値を生み出しているのか。大泉本部の友を取材した。

 

 通りを歩くと、ポルトガル語の色鮮やかな看板が目に飛び込んでくる。40カ国以上からの外国人が暮らす大泉

町は、住民の約1割がブラジル人であり、日本で最も比率が高い。

日本に住むブラジル人が増え始めたのは、入国管理法が改正された1990年。外国人労働者の受け入れ拡大に伴

い、日系2世、3世とその家族に在留資格が与えられ、かつてブラジルに渡った日本人の子孫が“デカセギ”で来日

した。

「あれからもう28年か。早いねー」。同年に来日した佐藤昌治さん(副ブロック長)が感慨を込める。生まれは

福島で両親は学会員。4歳の時、一家でブラジル・サンパウロに渡った。

80年代後半、ブラジルでは急激なインフレが発生し、物の値段が毎日のように上がった。一方、経済は停滞が続

く。

佐藤さんは妻子をブラジルに残して日本へ。弁当店で汗を流すが、なかなかお金が貯まらない。いつになっても家

族を呼ぶことができなかった。

家庭を大切にするブラジル人にとって、家族と会えない苦しみは想像以上のことだろう。

「皆、同じような境遇でもがいていました。何より、日本語が分からないのがつらかった」。見た目は日本人なの

に日本語のコミュニケーションがままならず、周囲と衝突した。

「でも学会の励ましは、ブラジルでも日本でも変わりません」。いつも同志がそばにいた。やがて好条件の職を得

て、妻子を日本に呼ぶことができた。

2008年のリーマン・ショックでは、佐藤さんをはじめ、大勢の人が仕事を失った。

外国人労働者は人材派遣会社を通しての非正規雇用が多く、不況の影響を受けやすい。日本にいるブラジル人の失

業率は4割に上り、多くが日本を去った。

佐藤さんのもとに地区の同志が駆け付けた。“社長が悪い”“派遣会社が悪い”。思いをぶつけると、「理由を考えて

いたら、きりがない。大丈夫。どんな宿命も、自ら立ち向かえば、必ず使命に変えられるから」。

唱題に励みつつ人間関係をたどると、好待遇の仕事を紹介された。今もその職場に勤務する。

群馬のエスペランサグループ(在日ブラジル人の学会員の集い)で中心者を務める佐藤さん。苦闘で培った経験が、

友を鼓舞する何よりの力だと実感する。

毎月の集いには約100人が参加。信心の喜びを語り合う機会を、皆が心待ちにしている。

 

国籍は「世界」

 大泉町のようにブラジル人の比率が高い地域は日本に複数あり、“リトルブラジル”“ブラジルタウン”等とも呼ば

れる。

そうした地域では、地区など地元の学会員の励ましに加え、エスペランサグループのような同じ国の出身者による

絆もある。同グループでは、日本人メンバーによる関わりも顕著だ。

「“えっ、ブラジル人じゃないんですか?”とよく驚かれます」――そうほほ笑むのは磯安夫さん(地区幹事)。

滑らかなポルトガル語で冗談を飛ばす。

意外にも、海外に出たことは一度もない。「本を買って自分なりに勉強しました。ブラジル人は表裏がなく、感情

を真っすぐに表現します。私も素の自分でいられる気がします」

ポルトガル語を学ぶきっかけとなったのは、池田先生の“振る舞い”。一言でも、その国の言葉であいさつを交わす

姿に、自分も挑戦してみようと考えた。

かつて先生が海外の同志と署名に臨んだ際、国籍を「世界」と記したことがある。磯さんは、その場面を心に思い

描くという。

「外国の人を見ると、応援したくなるんです。だって想像してください。一人で外国に行くのが、どんなに心細い

か。ましてブラジルは地球の反対側。よほどの決意です。もう何でもしてあげたいと思っちゃう」

ブラジル人には、明るく快活なイメージがある。だが日本社会で悩んできた人も数多い。自営業の磯さんは、数百

人のブラジル人と、そうした苦労を分かち合ってきた。

磯さんは20歳で甲状腺がんを患い、その翌年に入会。復帰後も会社が倒産するなど、苦難が続いた。友の厳しく

も温かい激励に奮起し、がんの再発も勝ち越えてきた。十数年前に大泉町に来て以来、7世帯のブラジル人家族に

弘教を実らせている。

足が悪く、杖をついていた知人は、「この信心で絶対に乗り越えられる」との磯さんの言葉を信じて入会。今、サ

ンパウロの市役所で働く。杖を使わずに歩けるようになり、地球の反対側から頻繁に連絡をくれるという。

 

純真さと熱意

 「夜のスーパーで『ここは日本じゃないのかな?』と思う時もあります。最初は身構えることもありましたけど、

今では自然な光景です」。そう話すのは亀井みゆきさん(地区婦人部長)。

母子保健推進員として、乳幼児健診などをサポートし、子ども食堂にも携わる。

町の広報誌を開くと、ポルトガル語の冊子が。子ども食堂が利用できる日時も記され、それを頼りに通う子も多い。

「以前は日本語のみでしたが、今はゴミの分別表などもポルトガル語の併記が日常的です」と亀井さん。かつては

「夜道を一人で歩かないように」と注意された時もあったという。

ブラジル人は大人数で行動することが多い。深夜の騒々しい集団は、日本人にとって威圧的に映る。だが不安を与

えていたことに気付き、周囲に配慮するブラジル人も増えた。大々的な交流があるわけではないが、互いを気遣い、

暮らしやすい町になっている――それが亀井さんの実感だ。

地区婦人部長を務める大海地区には、14人のブラジル人メンバーが。

「友達に信心の話をしたくて。一緒に来てください」と亀井さんを頼るのが、干川美代子さん(婦人部員)。ブラ

ジルで入会し、24年前に日本へ。二つのエステサロンを経営する。当初、日本人の利用者はほぼいなかったが、

今ではほとんどが日本人。笑顔で耳を傾ける干川さんに、悩みを打ち明ける知人も多い。

同じく大海地区のルイス北岡さん(壮年部員)は、約20年前に来日。いつも同志に寄り添い続けてきた柱の存在

だ。昨年、仕事中にくも膜下出血で倒れたが、克服。本年10月にはブラジル人に弘教を実らせている。

地区婦人部長の亀井さんは、「皆さんの純真さに教えられます」と。同志に背中を押されるように、先月18日、

友人を入会に導いた。

「皆さん、座談会にたくさん友人を連れてきます。“カタコト”でも懸命に信心を語る。言葉が分からなくても会合

に参加し、聖教新聞を読む。その熱意に圧倒されます。そんな姿を見ているから、ブラジル人全体に尊敬の念を抱

くのかもしれません」

 

学会員の人間観

 今年3月、磯さんの勧めで入会したリベル・アランさん(男子部員)はフィリピン人。17歳の時に、家族で来

日した。

きれいな日本語で声を弾ませる。「日本人はみんな優しいです。中でも磯さんの優しさは際立っていました。磯さ

んから信心の話を聞いて、将来に希望が持てるようになりました」

異国の地にあって、自分の未来を本気で心配し、励ましてくれる人の存在がどれほどありがたいか。その一方で、

日本人の同志は、「不慣れな環境で頑張っているから、余計に力になりたい」と口々に語っていた。

激動の時代にあって、国内に外国人が増え、一時的に不安が高まっていることも事実であろう。だが多様な文化が

存在する地域では、日本固有の文化と新しい文化が融合し、より活性化しているのもまた事実である。

地区の活動一つをとってみても、そこには多様な信仰体験のドラマがあった。文化が異なれば体験も多彩。あらゆ

る人が参加でき、力強く励まし合えるのが、学会ならではの絆である。

池田先生は、万人の平等・尊厳を説いた法華経と、その哲学を示した「異体同心」の法理について語っている。

「日蓮仏法には、人種や民族、階層、男女などの差別がまったくありません。大聖人は『一人を手本として一切衆

生平等』(御書564ページ)であり、『男女はきらふべからず』(同1360ページ)と宣言されています。

『万人の成仏』という可能性を信じ抜いているからこそ、『異体』の『同心』が成り立つ。一人一人が妙法の力に

よって最大に輝いているからこそ、最高の調和が可能になるのです」

どんな人間にも仏性があり、いつか必ず、誰かの希望となりゆくことを学会員は確信している。その人間観ゆえに、

学会員は世界のどこにあっても人と人を結ぶ「懸け橋」となる。

人間はどこまでいっても一人の人間。その根底が揺るがなければ、時間はかかろうとも、多様性を力に変えていけ

る。

 

 

 

 

 

 

 

 


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