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「人間革命の歌」特集

2018113

   「地涌の使命」を果たし抜け 

 

池田先生と香峯子夫人が、信濃町の旧学会本部の「人間革命の歌」

の碑の前で(2003年5月)。先生はつづっている。

「この歌を私は、広布の大道を征く創価地涌の同志のためにつくっ

た。私のための歌であり、皆さんのための歌である」

 

 小説『新・人間革命』が完結した今、全国・全世界の友が、自身

の新たな人間革命に挑んでいる。その創価の友の勇気を鼓舞してき

たのが、「人間革命の歌」である。ここでは、同歌誕生の淵源がつ

づられている『新・人間革命』第23巻「勇気」の章をもとに、歌に込められた精神を確認する。

(太字は「勇気」の章から引用)

 

 創価学会の「確信」の原点は、「われ地涌の菩薩なり」との第2代会長・戸田城聖先生の「獄中の悟達」にある。

第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)7月6日、戸田先生は初代会長・牧口常三郎先生と共に、不敬罪と治

安維持法違反の容疑で、当時の軍部政府に逮捕・投獄される。

翌44年(同19年)11月18日、牧口先生は獄死。戸田先生は、2年間の獄中生活で法華経を読み切り、「わ

れ地涌の菩薩なり」と悟達したのである。

池田先生が「人間革命の歌」の制作にあたって、最も心を砕いたのは、この恩師の「われ地涌の菩薩なり」との魂

の叫びを、いかに表現し、伝えるかであった。

小説『新・人間革命』第23巻「勇気」の章には、こう記されている。

「『地涌の菩薩』の使命の自覚とは、自分は、人々の幸福に寄与する使命を持って生まれてきたという、人生の根

源的な意味を知り、実践していくことである」

「『地涌の菩薩』の使命に生き抜く中に、人間革命の大道がある」

この思想を、先生は「人間革命の歌」の2番にある「地よりか涌きたる 我なれば 我なれば この世で果たさん

使命あり」との歌詞で表現した。

 

後世へ永遠に

池田先生が「人間革命の歌」の制作を決めたのは、1976年(昭和51年)6月末のこと。

当時、学会に対する誤解と偏見から、一部マスコミによる非難・中傷が激しくなりつつあった。また、宗門の悪侶

たちが、いわれなき悪口を学会員に浴びせ始めていた。

こうした嵐の予兆の中で、池田先生は「愛する同志が、何ものにも負けぬ闘魂を燃え上がらせる勇気の歌を作らね

ばならない」と歌の制作を開始した。それは、戸田先生を偲び、心で対話しながらの師弟の共戦譜でもあった。

歌の制作には、「7・17」の意義も込められていた。7月17日は、57年(同32年)のその日、事実無根の

公職選挙法違反の容疑で、大阪府警に不当逮捕された池田先生が、出獄した日である。

小説には「7・17」について、「権力の魔性との闘争宣言の日であり、人間革命への誇らかな旅立ちの日」とつ

づられている。

池田先生が歌詞を作り終えたのは、76年7月16日。日蓮大聖人が1260年、「立正安国論」をもって、実質

的な最高権力者・北条時頼を諫暁した日である。

出来上がった歌詞は、1番から5行からなる、3番までの歌詞だった。

翌日、先生は朝から歌詞を推敲し、手を加えた。さらに、曲のイメージを練り上げていった。

本部幹部会が開催される18日は、作曲に力を注いだ。昼からは作曲経験のあるメンバーと共に、曲作りに取り組

んだ。

当初は本部幹部会の席上で発表する予定だった。だが、曲は仕上がらなかった。

「彼(山本伸一)は、後世永遠に歌い継がれる、最高の歌を作りたかった。だから、容易に妥協したくはなかった」

本部幹部会では、いったん、歌詞のみが発表された。その後、先生は音楽大学出身の2人の女子部員にも協力を依

頼し、再び作曲に取り掛かった。

皆に意見を求めながら、曲作りを進める中、五行詞の歌詞が作曲を難しくしていることが分かった。

熟慮に熟慮を重ねた歌詞である。一言一言に深い思いが込められている。

だが、先生は「新しいものを創造するには、時には、これまで作り上げてきたものへのこだわりを、躊躇なく捨て

る勇気が必要な場合もある」と、それぞれ2行目の歌詞を削り、四行詞に作り直した。

 

”戦人”の哲学

 四行詞として新たにできた「人間革命の歌」は、学生部の富士学生合唱団の歌声で録音された。

その後、海外のメンバーの代表との打ち合わせに臨んだ池田先生は、そこで録音したテープをかけ、「人間革命の

歌」を紹介した。

だが、まだ完成ではない。先生は再び、歌詞の推敲を始めた。曲についても、検討が重ねられた。

「一つ一つの事柄を、徹して完全無欠なものにしていく――それは、広宣流布の ”戦人” ともいうべき彼(山本伸

一)の哲学であった」

そうして、18日午後8時40分、ついに「人間革命の歌」が完成した。

先生は各方面・県などのリーダーに、次々と電話を入れた。電話口がカセットデッキの前に置かれ、新たに録音し

なおした「人間革命の歌」がかけられた。

歌詞と譜面は、翌19日付の聖教新聞に掲載された。

歓喜の波動が、列島を包んだ。その日、「人間革命の歌」の歌声が、全国で高らかに響いたのである。

「人間革命の歌」が誕生した1976年は、8月から10月にかけて、各地で文化祭が開催された。それぞれの会

場で、「人間革命の歌」が歌われた。

また76年は、学会精神を継承していくために「男子部の日」(11月5日)、「女子部の日」(11月12日)、

未来部各部の結成の日など、数多くの記念日が制定された年でもあった。

「8・24」が「壮年部の日」と決定したのも、この年である。

同年8月24日には、「部の日」を記念する壮年部の集いが、各地で盛大に開催された。創価大学で行われた集い

では、参加者全員での「人間革命の歌」の合唱が行われた。

今、「人間革命の歌」は、日本のみならず、世界でも歌われている。

「新しき文化の創造も、未来の建設も、そして、人類の宿命の転換も、一人ひとりの人間革命から始まる。この歌

は、創価学会のテーマともいうべき、その人間革命運動の推進力となっていったのである」

「『人間革命の歌』は、師弟の共戦譜である。そして生命の讃歌である」

 

「一対一」の絆

「君も立て 我も立つ」

 「君も征け 我も征く」

 「君も見よ 我も見る」

「人間革命の歌」の1番、2番、3番の冒頭には、いずれも「君」と「我」との歌詞がある。

創価の師弟の絆とは、いついかなると時も、この「きみ」と「われ」という「一対一」の関係である。

ほかの誰かではない。

わが胸中に、師への誓願は燃えているか。

師の激闘に連なる自らの実践はあるのか。

師と共に立ち上がる「一人」から、広宣流布の拡大は始まる。

『新・人間革命』第23巻「勇気」の章の連載が終了したのは、2010年(平成22年)6月2日である。

その翌日に開催された本部幹部会。池田先生は、万感の思いをメッセージに託した。

「君たちに万事を託していく総仕上げの「時」を迎えている」

「師の薫陶に応えて、弟子が今一重の深い自覚をもって立ち上がる時に、未来を開く新しい前進と勝利の息吹が生

まれるのであります」

いよいよ広宣流布大誓堂完成の5周年の「11・18」を迎える。

大誓堂の敷地内には、「人間革命の歌」の碑がある。この碑が建立されたのは、1976年の暮れ。小説には

「地涌の使命を果たし抜かんとの、弟子一同の誓願によって建てられた」とつづられている。

「地涌の使命」に奮い立ち、誓いを果たし抜くのが弟子である。

さあ、「創価勝利」へ、弟子としての自覚を今一重深くし、広布の旅路を勇んで進み征こう。

誓願の歌声を高らかに響かせながら!

 

 

 

 

 

 

 

 


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