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〈虹を懸ける〉 インドネシア

20181020

 

   自分と社会の未来を開く

 

           アジア競技大会が行われた

            ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムの

             前に集ったメンバー

              (先月22日、首都ジャカルタで)

 

 国民の9割がムスリム(イスラム教徒)のインドネシアで、

国と地域社会の発展に尽くす創価学会のメンバーが、大きく

信頼を広げている。代表メンバーの証言を軸に、同国の広布

の歩みを追った。

 

インドネシアは、大国である。国土の面積は、日本の5倍。東西の距離は、アメリカの東海岸から西海岸までよ

りも長い。

そんな広大なインドネシアの各地に、創価学会の会館がある。

館内の一角には、共通して、ある「額」が飾られている。2006年5月に決定した、インドネシア創価学会の

「モットー」だ。

  師弟第一

  実践第一

  団結第一で

  一人一人が大勝利の人生を!

――インドネシア広布の草創を築いてきたメンバーは皆、感慨を込めて語る。「この指針のままに歩んできたから

こそ、”新生”のインドネシア創価学会は、発展の勢いを増しているんです」

 

60・70年代 現証と拡大

東京都世田谷区に住んでいたマサコ・ポントさん(全国婦人部指導員)がインドネシアの地を踏んだのは、1969

年1月のことだった。

日本で働いていたトゥン・ポントさん(故人)と、58年に結婚。その夫が母国で工場を営むことになり、一緒に

首都ジャカルタへ渡ったのだ。

文化も言葉も、食事も、日本と全く違う生活が始まった。家は大きかったが、夜は闇の中で巨大なヤモリがなく。

日本に帰りたくて、毎日、泣いた。

ある日、夫の仕事を介して知り合った婦人に、思わず、自らの心情を漏らした。その婦人は創価学会員だった。

婦人から、創価学会の会合に誘われ、題目を教わった。弱った心を強くしてくれるような響きに、ポントさんは引

かれた。

「主人には内緒で」、会合に参加するようになった。72年、入会に踏み切る。

「何でも祈っていいのよ」と教えられ、”主人と一緒に信心したい”と祈り始めた。

ある日、意を決して夫を座談会に誘った。相手にされなかったが、諦めなかった。

「10回目くらいで、ついに、座談会に参加してくれました。会場の一番後ろで、苦虫を噛み潰したような顔で

(笑い)。ところが、主人は、その次の座談会にも参加した。今度は一番前の真ん中で。そして言ったんです。

『私も、信心をやります』って」

生活に密着しつつ、具体的な決意と行動で祈りをかなえていくという仏法の道理に、共感せざるを得なかったのだ

という。

「でも、特に主人は周囲から大反対を受けて、村八分の状態になって。子供も学校で随分いじめられたものです」

それでもポント夫妻は、微動だにせず信心を貫いた。明確な現証があったからだ。

「短期で、子供にもすぐに手を上げていた主人が、信心をしてから、人が変わったように穏やかになったんです」

76年、ジャカルタから郊外へ引っ越し、夫は14年にわたって支部長を務めた。日本から「大百蓮華」を取り寄

せ、池田先生の指針を夫婦で学びながら、支部のメンバーを大きく拡大した。

 

80・90年代 厳冬のなかで

しかし、80年代に入るころから状況は大きく変わる。組織の私物化を図った反逆者らが、日顕宗の悪侶らと結託

し、池田先生とメンバーの絆を引き裂き始めたのだ。

混乱は長引いた。90年代に入ると第2次宗門事件が起こり、厳冬の時代は続いた。

そうした中で、ポントさんたちはメンバー一人一人に、地道に訴え続けた。

「幸せになるための直道を教えてくださったのは池田先生です。私も、主人が先生の教えのままに信心を実践し、

人間革命していく姿を、この目で見てきました」

そうした対話が、創価学会への理解と共感を、少しずつ広げた。98年から、政治の変動によってインドネシアの

民主化が進み、仏法対話がしやすくなったこともあって、その勢いは増していく。

昨年5月、インドネシア創価学会の新時代を見届け、夫は広布に尽くす生涯を閉じた。

「葬儀は、たくさんの花とメンバーに囲まれた、ありがたい葬儀でした。近所の方に、「お宅のご主人、大臣か何

かなの?」と訪ねられたほどです」

リビングの写真立ての中でほほ笑む夫に目をやり、ポントさんは表情をほころばせた。

 

ウィジャヤティ・ティルタさん(婦人部支部指導員)は66年、親族から仏法の話を聞いて御本尊を受持した。

「宿命転換」「平和のために行動する仏法」という言葉に引かれてのことだった。

「私は、戦争中に父を亡くしました。だから、題目で心が落ち着き”内なる平和”が広がることを体験して、この仏

法は非常に重要なものであると感じたのです」

ティルタさんも80年代、反逆者の謀略で、組織で池田先生の指導が伝えられなくなった雰囲気を経験している。

「インドネシアで弘教・拡大に励み、御本尊を弘めたのは創価学会であり、日蓮大聖人の御精神を正しく伝えてく

ださっているのは池田先生です。そのことを、一人でも多くの人に語っていきたいです」

 

00・10年代~ 新しい時

学会が冬の時期にあった80年代、その真っただ中で入会を決めた人もいる。

ヌー・マ・センさん(副本部長)は84年に新人を始めた。それまでは、中国の伝統宗教である道教を信奉してい

たが、学会員の知人から仏法の因果の話を聞き、興味を持った。

「当時は市場に勤めていて、生活状況は悪くなかった。でも仏法は何か”偉大なもの”を拝むのではなく、哲学が道

理にかなっていて、心から納得できたんです」

厳しい時代を知るだけに、創価学会が多くの人を引きつける理由も、よく分かる。

「何よりも、創価学会には、笑顔があります。それ一つとっても『人間革命』という池田先生の思想と行動の正し

さは、一目瞭然だと思います」

現在、インドネシア創価学会は、明年開催予定の「法華経展」に向けて前進している。マ・センさんの担当する支

部でも、毎週金曜日に皆で集まり、法華経展の大成功へ祈りを合わせているという。

「民族も宗教も言語も多様なインドネシアには、『多様性の中の統一』という標語があります。私たちの仏法は、

まさにこの標語と同じ思いで、社会に貢献するための仏法だと思っています」

  ◇

マサコ・ポントさんは言う。「特に、この十数年は、新らしい青年部メンバーが明るく成長しています。もちろん人数が増えていくことも大事

ですが、一人一人がが『心の財』を深める信心を実践するようになったことに、素晴らしい新時代が来たことを感

じます」

2004年10月に、新たに「インドネシア創価学会」が発足してから14年。共生の模範を示す国の地域社会に

貢献し、一人一人の未来を拓く挑戦は、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 


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