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10月度座談会拝読御書 日女御前御返事(御本尊相貌抄)

2018年10月1日

 

   妙法と共に幸福と勝利の人生を

   南無妙法蓮華経の唱題行で胸中に具わる仏界を現す 

 

拝読御文

 『南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を

  以て源とす

 

本抄について

 本抄は建治3年(1277年)8月、日蓮大聖人が56歳の時、身延で認められ、女性門下の日女御前に送られ

たお手紙です。別名を「御本尊相貌抄」といい、御本尊の相貌(姿・様相)等の深義を明かしています。

日女御前についての詳細は明らかではありません。大聖人から賜った御書は本抄を含めて2編、残っていますが、

いずれも法華経について詳しく述べられていることから、法理を理解する教養があり、信心の志の厚い婦人であっ

たことがうかがわれます。

当時は蒙古襲来(文永の役)後の混乱期であり、人々は再度の襲来を恐れ、騒然としていました。

そのような中、日女御前は純真な信心を貫き、大聖人から御本尊を賜ったことへの感謝を込めて御供養をお届けし

たのです。

その真心への返信である本抄では、大聖人が「法華弘通のはたじるし」(御書1243ページ)として顕されたの

が御本尊であることを述べられ、御本尊は決してどこか他の場所にあるのではなく、妙法を受持し唱え抜く衆生の

生命の中にこそあると教えられています。

 

御本尊根本

 本抄に「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(御書1245ページ)と

の仰せがあります。この御文は、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える題目に、法華経に説かれる五種の修行が

全て具足することを明かしています。

五種の修行とは、末法に至るまでの正法・像法時代の修行法であり、法華経を「受持」(受け持つ)、「読」(読

む)、「誦」(暗誦する)、「解説」(人に説く)、「書写」(書き写す)することです。

続けて本抄では、日蓮大聖人の門下にとっての信心の肝要は、御本尊を受持して南無妙法蓮華経と唱える実践以外

に求めてはならないと教えられています。

大聖人が図顕された御本尊を唯一無二の信仰の対象として受持することが「御本尊根本」であり、これが大聖人の

仏法における信心の根幹にほかなりません。「本尊」とは、「根本として尊敬(尊崇)するもの」を意味します。

御本尊には、成仏の根源の法である南無妙法蓮華経を体得された大聖人の御生命が顕されています。「日蓮がたま

しひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ」(同1124ページ)との仰せの通りです。

大聖人が南無妙法蓮華経の大法を御本尊として図顕されたことにより、万人が御本尊を拝して、自らの胸中の仏界

の生命を現す道が開かれました。御本尊は、凡夫である私たち自身の仏界を映し出し、現すための明鏡なのです。

 

「信心の厚薄」

 祈りを叶え成仏するための四つの要の力を、「四力」(=信力、行力、仏力、法力)といいます。

「信力」とは仏法を信じる心の強さのことであり、「行力」とは教えの通りに実践する力のことです。

「仏力」とは仏が持つ力用のこと、「法力」とは妙法に具わる広大深遠な利益のことです。強盛な信力、行力を奮

い起こしていく時、偉大な仏力、法力が相応じて、功徳が現れます。

拝読御文に「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり」とありま

す。

成仏は、妙法を持つ人の信心の厚薄によるとの趣旨です。御本尊を信じる心が厚いか、薄いかで決まる。厚い信心、

つまり、強盛な信心こそ、成仏の要諦なのです。

第2代会長の戸田城聖先生は、信心の功徳について分かりやすく、次のように教えられました。

「釣鐘を、楊枝でたたくのと、箸でたたくのと、撞木(鐘を鳴らす棒)でつくのとでは、音が違うだろう。同じ釣

鐘だが、強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。御本尊も同じだ。こちらの信力(信じる力)・行力(行じる

力)の強弱によって、功徳に違いがあるのだよ」と。

人生にあっても広布の活動にあっても、真剣な祈りと勇気ある行動・実践が、勝利の根本条件となるのです。

 

以信得入

 日蓮大聖人は「仏法の根本は信を以て源とす」と仰せです。

「信」は、信受ともいい、教えを信じて受け入れることを意味します。

法華経には、釈尊の弟子のなかで智慧第一といわれた舎利弗も、ただ信受することによってのみ、法華経に説かれ

る法理を理解できたと説かれています。

具体的には、譬喩品第3に「汝舎利弗すら 尚此の経に於いては 信を以て入ることを得たり」(法華経197ペ

ージ)とあります。これを「以信得入」といいます。

生命の実相、宇宙の実相を覚知した仏の偉大な智慧や境涯を自身のものとしていく道は、ただこの「信」によるし

かないのです。

本抄で大聖人は「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」(御書1244ページ)と仰せで

す。

私たちの拝する御本尊が、拝する人の「信心の二字」に納まっているとの意味です。

御本尊を拝する功徳について、日寛上人は「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身即ち一

念三千の本尊、蓮祖聖人なり」と述べています。

御本尊を信受して、広宣流布の実践と信心を貫けば、私たち自身の生命に御本尊が顕現し、凡夫の身のままで、胸

中に大聖人と同じ仏の生命境涯を開き現すことができるのです。

 

池田先生の指針から “祈りとして叶わざるなし”

 無二の信心によって「生も歓喜、死も歓喜」の生死不二の絶対的幸福境涯を成就できる。ゆえに、「南無妙法蓮

華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」と仰せです。

仏道修行の根本目的は、御本尊に南無妙法蓮華経の題目を唱え、凡夫がその身のままに「仏になる」ことです。

そして、重ねて即身成仏の要諦を「信心の厚薄によるのである」と、大聖人は示されています。

他の御書でも、「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」(御書1262ページ)――あなた

の願いが叶うか叶わないかは、あなたの御信心によるのです。全く日蓮のせいではありません――と仰せです。

(中略)

日寛上人は、こう述べられています。

「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福

として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」(「観心本尊抄文段」)

草創以来、多くの同志が、この一節を思い起こしては、御本尊への信心を奮い立たせてきました。わが胸中の御本

尊を呼び覚まし、いかなる苦難にも絶対に負けない生命の底力を引き出してきました。“祈りとして叶わざるなし

の御本尊”です。まさに、学会には信心があったから勝利したのです。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻)

 ◇ ◆ ◇

「御本尊根本」の信心を教えてくださったのが、牧口先生、戸田先生です。「御本尊根本」の信心と実践は、創価

学会の出現によって厳然と確立されました。ですから、創価学会は御本尊の無量の功徳力を引き出すことができた

のです。わが同志は、ひたぶるな信心で、顕益、冥益の功徳の体験を積み広げてきました。

大聖人の仰せの通りの御本尊根本の信心は、創価学会にしかありません。だから、世界広布が現実のものとなった

のです。

私たちは、どこまでも「御本尊根本」の信心で、また、「大聖人直結」「唱題根本」「御書根本」の実践で前進し

てまいりましょう。(同)

 

参考文献

 ○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻に所収の「日女御前御返事」(聖教新聞社)

 

 

 

 

 

 

 

 


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