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〈歌声高く 誕生40周年の学会歌〉20=完 母の曲

2018921

 

   学会歌と共に広布あり

 

       本年4月の本部幹部会で、婦人部・白ゆり合唱団が

        「母の曲」「今日も元気で」を歌い上げ、

          さわやかな感動を広げた

              (八王子市の東京牧口記念会館で)

 

 歌詞と旋律に、無数の人々の思い出が結び付いている。

歌うたび、聴くたびに遠い記憶が鮮やかによみがえる。そんな歌が、学会には数多くある。

本年4月、東京牧口記念会館で行われた本部幹部会の席上、婦人部・白ゆり合唱団が響かせた「母の曲」の歌声に、

全国から感動の声が続々と本紙の「声」の欄に寄せられた。

ある婦人は、若き日の池田先生が指揮を執った「大阪の戦い」の前年、1955年(昭和30年)に大阪で入会し

た母親の、在りし日の様子をつづった。「『母の曲』が発表された時は涙を流し、『ほんま、池田先生は全部分か

ってくれてはる。そやから何があっても負けられへん』と、全力で活動に励みました」

婦人部の歌「母の曲」の歌詞が発表されたのは、40年前の78年(同53年)10月21日、東京・板橋文化会

館で開かれた本部幹部会の席上だった。

スピーチの臨んだ池田先生は、この年、激務の合間を縫って数々の学会歌を制作してきたことを振り返りながら、

語り始めた。

「各方面や県、また各部から強い要望があり、歌を作ってまいりました。同志の皆さんは、来る日も来る日も、苦

労に苦労を重ねて学会活動に励んでくださっている。そうした方々に、心からいたわりの言葉をかけ、御礼、感謝

申し上げたいというのが、私の思いでありました」

歌を贈ることで、皆の喜びとなり、同志へのせめてもの励ましとなり、希望になるのであれば――これが先生の真

情であった。

そして茨城の歌「凱歌の人生」と共に、新婦人部歌として発表されたのが「母の曲」だったのである。

1番から4番までの歌詞が紹介されていく。終わるやいなや、婦人部の友から歓声と拍手が起こり、しばらく鳴り

やまなかった。

拍手が収まるのを待ってから、先生は言った。

「婦人部の皆さん方の日夜のご活躍に、心から敬意を表して作らせていただきました」

   ♬ ♬ ♬

 先生が「母の曲」の作詞に取り掛かったのは、本部幹部会の前日(10月20日)のこと。

その日、先生は、東京・信濃町の創価婦人会館(後の信濃文化会館)で婦人部の方面幹部らと懇談し、友の話に耳

を傾けた。

功徳の体験が広がり、喜びに満ちる組織のこと。宗門の僧による理不尽な学会批判の中で、友の激励に走る同志の

こと――報告は尽きることがない。その中で新しい婦人部歌を発表したいという要望があった。

婦人部の代表が作成した歌詞の原案は、この年の6月に完成した創価婦人会館を、「母の城」と詠っていた。

しかし先生は、一人一人の家庭をこそ「母の城」と捉えるべきではないかと訴えた。「自分の今いる場所で、崩れ

ることのない幸せを築き、わが家を寂光土へと転じていくんです。婦人部の皆さんには、それぞれの家庭を『幸の

城』『母の城』にしていく使命があるんです」と。

友の熱意を受け止めた先生は、この日、帰宅してから、作詞に取り掛かることにした。時計の針は午後10時半を

さしている。

「さあ、婦人部の歌を作るよ。言うから書き留めてくれないか」と先生が言うと、香峯子夫人が急いでメモ帳を手

にしてきた。

先生の口から、言葉が奔流のようにあふれ出す。

 幼子抱きて 汗流し……

尊い使命に目覚めた一人の婦人が、あらゆる悲哀を乗り越えて、太陽のように家族を友を照らしつつ、幸の曲を奏

でていく――そんな人生の広布旅を、先生は歌詞を通して描きだそうとした。

時折、香峯子夫人に意見を求めながら言葉を練り直す。「婦人部には、ご主人を亡くされ、働きながら懸命にお子

さんを育てている方や、結婚なさらずに頑張っている方もおります」との夫人の意見を受け、先生は「城の人々 

笑顔あり」との一節を紡いだ。

婦人部は皆、創価家族の”母”である。家庭の城、地域の城の人々に笑顔を広げゆく”太陽”である。

池田先生ご夫妻の共同作業によって、新婦人部歌の歌詞は生まれた。

翌日の本部幹部会終了後には曲も完成。“婦人部は一人も残らず幸せになってもらいたい”との、師の祈りにも似た

思いを乗せて、「母の曲」の歌声は全国に広がっていった。

   ♬ ♬ ♬

 かつて池田先生は、婦人部の友に詠み贈った。

 

   母の曲

     涙と勇気の

       励ましに

   母の曲

     皆が歌えば

       勝利かな

 

 「母の曲」発表40周年の本年、各地の集いでこの歌の合唱が披露されている。

学会活動に走りながら、いつも口ずさんでいるという友は語る。「私にとって『母の曲』は応援歌。曲を心に響か

せると、不思議と温かい気持ちで人に会うことができ、喜びに満たされます。どなたとでも、対話が弾むんです」

と。

幸福へ、勝利へ――創価の女性の行進の足音は高まる。朗らかに、歌声も高らかに。

 

連載を終えて

 40年前の本紙にくまなく目を通すと、連日のように合唱の写真が掲載されていることに気づく。

胸を張って口を縦に大きく開き、瞳を輝かせて歌う友の姿の、なんと誇らしげなことか。にぎやかな歌声まで聞こ

えてきそうだ。

当時、学会が第1次宗門事件の渦中にあったからこそ、負けずに、明るく乗り越えていこうとする同志の決意が胸

に迫ってくる。

1978年4月、池田先生は友にこう呼び掛けた。

「歌声運動を通して大いに心を弾ませていこう。そこに信心の功徳と歓喜が増幅することを確信して晴れがましく

前進してください」

歌声運動に爆発的な勢いをもたらしたものこそ、先生が同年に手掛けた学会歌に他ならない。その数、実に30曲。

多くが、夏から秋にかけた数カ月の間に誕生している。

ゆっくりと机に向かって作る余裕など、ほとんどなかったといってよい。先生は、北海道から九州まで列島を同志

の激励に駆けた。9月には第4次訪中へ。激務の合間を縫うように、時に移動の車中で詩想を巡らし、時に深夜ま

で推敲し、翌日も何度も手直ししながら、次々と”魂の歌”を生み出していったのだ。

「一つの歌を作るにも生命を通わせなくてはいけない」「何事によらず”労作業”でなければ、人々の心を打つもの

はできないものだ」と――。

本連載に、読者から多くの声が寄せられた。先生が作った歌が40年の時を経てもなお、同志の心に深く刻まれ、

世代から世代へと歌い継がれていることをあらためて実感した。

いかに学会歌を歌うべきか――。

先生は訴える。

「学会歌は、力強い歌声で、力強い生命で歌っていくことだ。それが学会歌の精神である。こういう基本からもう

一度、男子部も、女子部も、新たな『革命』を起こしていただきたい。

新入会のメンバーも増えている。歌を歌うことで、皆の心を一つにし、前進の歩調を合わせていくこともできる」

広宣流布大誓堂完成5周年の「11・18」が近づいてきた。学会の永遠性を確立するときは”今”である。皆で学

会歌を心ひとつに歌いながら、前進しよう。

 

 

 

 

 

 

 


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