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誓願 百三十一

 二十六日、山本伸一は、シンガポールとオーストラリアの合同最高会議に出席した。席上、

シンガポールが「獅子の都」を意味することから、仏法で説く「師子」に言及した。

「仏法では、仏を『師子』と呼び、仏の説法を『師子吼』という。大聖人は、『師子』には

『師弟』の意義があると説かれている。仏という師匠と共に生き抜くならば、弟子すなわち

衆生もまた、師匠と同じ偉大な境涯になれるのを教えたのが法華経なんです」

一般的にも、師弟の関係は、高き精神性をもつ、人間だけがつくりえる特権といえる。芸術

の世界にも、教育の世界にも、職人の技の世界にも、自らを高めゆかんとするところには、

必ず師弟の世界がある。

伸一は、青年たちに力説した。

「『人生の師』をもつことは、『生き方の規範』をもつことであり、なかでも、師弟が共に、

人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません。

この師弟不二の共戦こそが、広宣流布を永遠ならしめる生命線です。そして、広布の流れを、

末法万年を潤す大河にするかどうかは、すべて後継の弟子によって決まります。

戸田先生は、よく言われていた。

『伸一がいれば、心配ない!』『君がいれば、安心だ!』と。私も今、師子の道を歩む皆さ

んがいれば、世界広布は盤石である、安心であると、強く確信しています」

さらに、彼は、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」

(御書一一九〇ページ)と仰せのように、師子王の心とは、「勇気」であると訴えた。

「勇気は、誰でも平等にもっています。勇気は、幸福という無尽蔵の宝の扉を開くカギです。

しかし、多くの人が、それを封印し、臆病、弱気、迷いの波間を漂流している。どうか皆さ

んは、勇気を取り出し、胸中の臆病を打ち破ってください。そこに人生を勝利する要因があ

ります」

未来は青年のものだ。ゆえに、青年には、民衆を守り抜く師子王に育つ責任がある。

 

 

誓願 百三十二

十一月二十七日夕刻、山本伸一の一行は、シンガポールから、マレーシアの首都クアラ

ルンプール国際空港に到着した。伸一の同国訪問は、十二年ぶり二度目である。

この十二年間で、マレーシア社会も、SGM(マレーシア創価学会)も大いに発展してい

た。クアラルンプールには超高層ビルが増え、なかでも一九九八年(平成十年)に完成し

たペトロナスツインタワーは、ビルとして世界一の高さ(当時)である。

学会の会館も充実し、クアラルンプールの中心地には、地上十二階建てのSGM総合文化

センターが翌二〇〇一年(平成十三年)の完成をめざし、建設が進んでいた。また、マレ

ーシア全十三州のうち十二州に、立派な中心会館が整備されることになっていた。

二十九日には、マレーシア最大の総合大学である国立プトラ大学から伸一に名誉文学博士

号が贈られ、同大学で、名誉学位特別授与式が厳粛に挙行された。

その式典は、真心と友情にあふれていた。

「推挙の辞」を朗読したのは、女性教育者のカマリア・ハジ・アブ・バカール教育学部長

である。彼女は、思いの丈を表現しようと、随所に自作の詩を挟んだ。さらに、突然、

マレー語から、日本語に変わった。

「先生! あなたは偉大な人です。『世界平和』という、先生の生涯の夢が、達成されま

すように――」

“すべてマレー語では、私の本当の思いは伝わらないのでは”と考え、日本語を覚え、最後

に、直接、日本語で語ったという。

ペナン州総督のトゥン・ダト・ハムダン・ビン・シェイキ・タヒール総長から名誉学位記

が手渡され、伸一の「謝辞」となった。

「真実の友情の対話は、民族・国境を超え、利害を超え、あらゆる分断の壁を超えます。

そして、多様性を尊重し、活かし合いながら、寛容と共生と創造の道を、手を携えて進ん

でいくことこそ、最も大切な道なのであります。なかんずく、教育が結ぶ友情こそが、平

和と幸福を護る最も堅固な盾であります」

 

 

誓願 百三十三

山本伸一は、プトラ大学からの名誉学位記の授与に、深い意義を感じていた。マレーシ

アはイスラム教が国教であり、その国の国立大学から仏法者の彼が顕彰されたのである。

 それは、平和のため、人類の幸福のためという原点に立ち返るならば、宗教を超え、

人間として共感、理解し合えることの証明であり、イスラムの寛容性を示すものであった。

人間と人間が分断され、いがみ合う時代にピリオドを打つために、二十一世紀は、宗教間

対話、そして文明間対話がますます重要となろう。

なお、彼は、二〇〇九年(平成二十一年)にマレーシア公開大学から、そして、翌一〇年

(同二十二年)には国立マラヤ大学から、名誉人文学博士号が贈られている。

伸一は、十一月三十日、マハティール首相と首相府で、二度目となる会見を行った。

「青年こそ宝」――二人は、未来に熱い思いを馳せつつ語り合った。

十二月一日、伸一は、マレーシア創価幼稚園を初訪問し、引き続きマレーシア文化会館で

の世界広布四十周年を記念するSGM(マレーシア創価学会)の代表者会議に出席した。

熱気に満ちた大拍手が会場に轟いた。

SGMは目を見張る発展ぶりであった。伸一の入場前、理事長の柯浩方は叫んだ。

「皆さん! 私たちは勝ちました!」

国家行事で誰もが驚嘆した五千人の人文字、独立記念日を荘厳してきた青年部のパレード・

組み体操、社会貢献の模範と謳われる慈善文化祭、女性の世紀の先駆けとなった婦人部・

女子部の「女性平和会議」……。

そこには、「仏法即社会」の原理に生きる信仰者の、深い使命感からの行動があった。

理事長は語っていた。

「ただただ、真心で、誠心誠意やってきたからです。瞬間、瞬間、『今しかない』と」

伸一はこの日のスピーチで、「『心の財』こそ三世永遠の宝」「幸福の宮殿は自身の中に」

と訴え、また、句を贈った。

「世界一 勝利の都 マレーシア」

 

 

誓願 百三十四

山本伸一の激励行は香港へ移った。これが二十世紀の世界旅の掉尾となる。

十二月四日、香港SGI総合文化センターで行われた、香港・マカオの最高協議会に出席

した彼は、今回で香港訪問が二十回目となることを記念し、一句を贈った。

「二十回 香港広布に 万歳を」

そして、一九六一年(昭和三十六年)一月からの香港訪問の思い出をたどりながら、広布

草創の功労者の一人である故・周志剛の奮闘を紹介した。

「周さんは、シンガポール、マレーシアなどに点在する同志の激励のために、数日に一回

の割合で手紙を書き送った。手紙は、何か問題が生じれば、二日に一回となり、時には連

日となることもあったといいます。

貿易会社の社長としての仕事も多忙ななか、香港広布の中心者として活動し、さらに、ア

ジアの友に激励の手紙を書き続けることは、どれほどの労作業であったことか。しかも、

その分量は、四百字詰め原稿用紙にして、五枚分、十枚分に相当することも珍しくなかっ

た」

当時は、電話も普及しておらず、インターネットが発達しているわけでもない。身を削る

思いで励ましを重ね続けたのである。

「ある地域の中心者への手紙には、『メンバーと、心から話し合える機会を多くつくるこ

とです。それができるのは家庭訪問以外にありません。これによって、同志と心やすく話

し合え、密接なつながりもでき、相互の信頼も増すのです。これは、言うは易いが、実行

は大変なことです』とあります」

人体も血が通わなければ機能しなくなる。組織も同じであろう。学会の組織に信心の血を、

人間の真心を通わせるのは、家庭訪問、個人指導である。それがあるからこそ、創価学会

は人間主義の組織として発展し続けてきた。一人ひとりを心から大切にし、親身になって、

地道な対話と激励を重ねていく――それこそが、未来永遠に、個人も、組織も、新しい飛

躍を遂げていく要諦にほかならない。

 

 

誓願 百三十五

 香港・マカオの最高協議会で山本伸一は、香港の輝ける歴史に言及していった。

「大聖人の未来記である仏法西還への歩みは、この香港から始まった。そして、一九七四年

(昭和四十九年)五月から六月の、日中友好の『金の橋』を架ける初の中国訪問も、ここ香

港から出発し、ここ香港に帰ってきました。

また、世界七十三大学(当時)と学術教育交流を広げる創価大学の『第一号の交流校』と

ったのは、香港中文大学です。さらに海外初の創価幼稚園の開園(九二年)も香港でした」

そして、香港・マカオのメンバーは、「二十一世紀もまた、その尊き大使命に生き抜いて

いっていただきたい」と、力強く励ました。

折しも、この年の二月、インドの創価菩提樹園に待望の講堂が完成し、前月の十一月二十

六日、創価学会創立七十周年を祝賀する、インド創価学会の総会が創価菩提樹園で盛大に

開催されたばかりであった。月氏の国インドで、日蓮大聖人の太陽の仏法がいよいよ赫々

と輝き、社会を照らし始めたのだ。伸一は、二十一世紀の壮大な東洋広布、世界広布の道

が、洋々と開かれていることを実感していた。

五日夜、伸一と峯子は、香港の陳方安生政務長官官邸での晩餐会に招かれた。

長官は、一九九三年(平成五年)、総督に次ぐ立場である香港行政長官に、女性として初

めて就任し、九七年(同九年)の中国返還以降は、行政長官に次ぐ政務長官として活躍し

ていた。

また、長官の母は現代中国画の巨匠・方召麐画伯であり、ちょうど、この時、東京富士美

術館では、創立者の伸一の提案による「方召麐の世界」展が開催中で、好評を博していた。

伸一は、九六年(同八年)に香港大学で、この母娘二人と共に名誉学位を受け、その後、

交流を重ねてきたのである。

伸一たちは、方家の家族らの歓迎を受け、香港、そして中国の未来の繁栄を念願して意見

交換した。眼下に広がる“百万ドルの夜景”が美しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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