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誓願 百二十六

 山本伸一のキューバ訪問以降、日本との文化・教育交流も活発に行われていった。

また、二〇〇七年(平成十九年)一月六日、キューバ創価学会が正式に宗教法人となり、

その登録式が行われている。

アメリカは、対キューバ経済制裁を次第に緩和し、二〇一五年(同二十七年)に両国は国

交を回復することになる。

一九九六年(同八年)六月二十六日、伸一は、キューバに続いて、パナマに隣接し、「中

米の楽園」といわれてきたコスタリカを初めて訪れた。これで海外訪問は、世界五十四カ

国・地域となった。コスタリカは、憲法で常備軍を廃止し、永世的、積極的、非武装中立

を宣言している国である。

翌二十七日、伸一は、首都サンホセ市の大統領府で、ホセ・マリア・フィゲレス・オルセ

ン大統領と会見したあと、メンバーとの交歓会に駆けつけるとともに、和歌を贈った。

 

 「コスタリカ ここにも地涌の 友ありき

    常楽我浄の 人生あゆめや」

 

二十八日には、中南米で初の開催となる「核兵器――人類への脅威」展の開幕式が行われ

た。これには大統領夫妻、ノーベル平和賞を受賞したオスカル・アリアス・サンチェス元

大統領らが出席した。

会場のコスタリカ科学文化センターには、「子ども博物館」が併設されており、そこで遊

ぶ子どもたちの元気な声が、式典会場にも響き渡っていた。スピーチに立った伸一は、微

笑みながら語った。

「賑やかな、活気に満ちた、この声こそ、姿こそ、『平和』そのものです。ここにこそ、

原爆を抑える力があります。希望があります。子どもたちは、伸びゆく『生命』の象徴で

す。核は『死』と『破壊』の象徴です」

席上、伸一は、「“核の力”よりも偉大な“生命の力”を、いかに開発させていくか」「“核の

拡大”よりも強力な“民衆の連帯”を、どう拡大していくか」――ここに人間教育、民衆教育

の重大な課題があると訴えた。

 

 

誓願 百二十七

 山本伸一は、北・中米訪問の翌一九九七年(平成九年)の二月に香港を訪れ、五月には

第十次の訪中をし、十月にインドを訪問した。日々、限りある時間との闘争であった。

九八年(同十年)は、二月にフィリピン、香港へ。五月には韓国へも赴き、この時、初め

て、韓国SGI本部を訪れたのである。

また、翌九九年(同十一年)五月、三度目の訪韓となる済州島訪問を果たした。

二〇〇〇年(同十二年)は二月に香港へ。

そして、十一、十二月と、シンガポール、マレーシア、香港を歴訪したのである。

シンガポールでは、十一月二十三日、S・R・ナザン大統領と大統領官邸で会見した。

大統領は、温厚にして信念の人であった。

――一九七四年(昭和四十九年)、日本赤軍のメンバーら四人が、シンガポールの石油

精製施設を爆破し、従業員五人を人質に取るという事件が起こった。その時、国防省治

安情報局長官として、冷静に、断固たる信念をもって交渉し、陣頭指揮を執ったのがナ

ザン大統領であった。テロリストらはクウェートへの移送を要求し、日本政府関係者と

共に、シンガポール政府関係者の同乗を条件とした。

ナザン長官は、自ら飛行機に乗り込んだ。そして、最終的に、一人の犠牲者も出すこと

なく終わったのである。何かあれば、自分が命がけで取り組み、一切の責任を取る――

その覚悟をもっていることこそが、リーダーの最も大切な資質であり、要件といえよう。

自分の身を守ることが第一か、民衆、国民を守ることが第一か――その生き方の本質は、

いざという時に、また、歳月とともに明らかになる。時代は、ますます真剣と誠実のリー

ダーを要請している。

会見でナザン大統領は、「シンガポールは小さな国です。新しい国です」「多民族、多宗

教、多言語の国です。さまざまな困難な状況のなかで、共通の目的に向かって前進してき

ました」とも、率直に語っていた。

伸一は、大統領の責任感に貫かれた生き方に、発展する同国の魂を見た思いがした。

 

 

 

誓願 百二十八

 山本伸一が、二十一世紀を生きる青年たちへのメッセージを求めると、ナザン大統領は

学会の青年部への讃辞を惜しまなかった。

「独立記念日の式典で、私は何度も、シンガポール創価学会の演技を見てきました。本当

にすばらしい。シンガポールだけでなく、マレーシア創価学会の演技も見てきました。

見事に調和しています。規律がある。心を引きつける美しさがあります。いったい、どう

したら、こんなすばらしい演技ができるのだろう――いつも、そう驚いていました。

しかも、青年が主体者として参加している。演技には、仏法の教えが体現されています。

シンガポールの社会においても、人間的な質が、一段と大事になってきています。その意

味でも、創価学会は、社会と国家に、すばらしい貢献をしてくださっています」

伸一は嬉しかった。学会への信頼と期待がここまで社会に広がり、後継の青年たちが賞讃

されていることが、何よりも嬉しかった。

次代を担う青年たちの成長こそが、弟子の勝利こそが、自身の喜びであり、楽しみであり、

希望である――それが師の心である。それが師弟の絆である。

翌二十四日、オーストラリアのシドニー大学から伸一に名誉文学博士号が贈られた。名誉

学位記の授与は、シンガポール及び周辺国からの留学生の卒業式典の席で行われた。

会場は、シンガポールの中心部にあるホテルであった。

シドニー大学は、オーストラリア最初の大学であり、世界に開かれ、約三千人の留学生が

学んでいる。特に、アジアからの留学生が多く、シンガポールも、その一つであった。

「留学生と長い間、離れていた家族や友人たちにも、晴れ姿を見せてあげたい」との配慮

から、シンガポールと香港で卒業式を行うことになったという。そのこまやかな心遣いに

も、学生中心の教育思想が脈打っていた。

「学生のための大学」という考え方こそ、人間教育の確固たる基盤となる。

 

 

誓願 百二十九

ファンファーレが鳴り響き、総長らと共に山本伸一が入場し、シドニー大学のシンガポ

ールでの卒業式典が始まった。

同大学のクレーマー総長も、キンニヤ副総長補も女性教育者であり、なかでも総長は、

さまざまな社会貢献の活動が高く評価され、オーストラリアの「人間国宝」に選ばれてい

る。

副総長補が「推挙の辞」を読み上げ、総長から伸一に、名誉学位記が手渡された。

引き続き、学生たちへの卒業証書の授与となった。名前が呼ばれると、四十五人の卒業生

が順番に総長の前に進み出て、証書を受け取る。その時、総長は一人ひとりに、温かい言

葉をかけていった。

「今、どんな課題に挑戦しているの?」

「社会に、しっかり貢献していくのよ!」

「楽しみながら進むことが大切よ!」

母親が、わが子を慈しみ、励ますような、ほのぼのとした光景であった。伸一は、そこに、

情愛に満ちた大きな教育の力を感じた。

謝辞に立った彼は、創価教育の父・牧口常三郎初代会長が、一九〇三年(明治三十六年)

に発刊した『人生地理学』で、自らが着用していた毛織りの服の原料がオーストラリア産

などであることを例に、誰人の生活も、世界の無数の人びとの苦労と密接に結びついてい

ると論じたことを紹介した。そして、牧口が日本の軍部政府の弾圧で獄死したことを語っ

た。

「帝国主義の吹き荒れる時代のなかで、牧口会長は、いち早く、『地球的相互依存性』へ

の自覚を促し、そして、他のために貢献し、自他共に栄えていくという『人類共生の哲学』

を訴えたのです。

さらに、人類は、『軍事』や『政治』や『経済』の次元で、他を圧しようとするハード・

パワーの段階を終え、『人道』を新たな指標として、文化、精神性、人格というソフト・

パワーによって、切磋琢磨していくことを強く提唱したのであります」

伸一は、二十一世紀は、人道をもとに、思いやりをもって、自他共に栄える人類共生の時

代であらねばならないと展望していた。

 

 

誓願 百三十

山本伸一は、二十五日、シンガポール創価幼稚園を訪れた。幼稚園の訪問は二度目だが、

タンピネスの新園舎は初めてである。

伸一と峯子に、園児の代表から花束が贈られた。彼は、「ありがとう!」と言いながら、

一人ひとりの手を握っていった。喜びの声をあげる子もいれば、はにかむ子もいる。

「皆さんとお会いできて嬉しい。皆さんの作品を収めたアルバムを、昨日、見せていただ

きました。みんな上手でした」

子どもたちは、日本語で、かわいい合唱を披露してくれた。小さな体を左右に大きく揺ら

しながらの熱唱である。伸一も、一緒に手拍子を打った。

「日本語も上手だね」

皆の顔が、ほころぶ。

その光景を見ていた園長が感想を語った。

「子どもたちの表情が、瞬間で変わるのがわかりました。“自分は愛されているんだ”とい

う満足そうな表情でした」

園内には、英語で書いた、園児のメッセージカードも張り出されていた。

「先生は世界平和をつくっています。だから、ぼくはパイロットになって、みんなをいろ

んな国に連れていきたいです」

「先生は、はたらきすぎです。いつもありがとう。先生の愛情にこたえるために、私もい

っしょうけんめいお勉強します」

伸一は、峯子に言った。

「ありがたいね。二十一世紀が楽しみだ」

彼は、未来に懸かる希望の虹を見ていた。

伸一たちは、幼稚園に続いて、SSA(シンガポール創価学会)の本部を初訪問し、世界

広布四十周年記念大会に出席した。

ここでは、「但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」(御書一五五三ペー

ジ)との御文を拝して訴えた。

「何があっても御本尊を信じ、題目を唱え抜くことです。御本尊を、母と思い、父と思い、

嬉しいことも、苦しいことも、全部、話していけばよい。心の丈を、ぶつけてゆけばよい。

必ず全部、御本尊に通じていきます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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