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〈歌声高く 誕生40周年の学会歌〉15 ああ陽は昇る/静岡健児の歌

2018821

 

   東海道に「太陽の仏法」は厳然

 

 「東海道総会」の意義を込めて開催された本部幹部会で、

   東海道音楽隊が「ああ陽は昇る」や「静岡健児の歌」などを

    勇壮に奏でた

          (2015年2月、神奈川池田記念講堂で)

 

「天晴れぬれば地明かなり」(御書254ページ)とは「観心本

尊抄」の一節である。「太陽」がひとたび昇れば、夜は去り、大地

はみるみる明るくなる。同様に「太陽の仏法」を受持するならば、人間の生命と時代を覆う闇を照らし晴らす、

智慧と希望の陽光を放っていける。

日蓮大聖人が妙法流布の主戦場と定められたのは、当時、権力の魔性の闇が最も深い地であった。鎌倉幕府の本営

があった神奈川。そして、かの執権・北条得宗家の本領があった静岡。この東海道の天地において大聖人は1260

年7月、「立正安国論」をもって時の権力者・北条時頼を烈々と諌暁されたのである。

池田先生は東海道を「広宣流布の最重要地域」と定めた。仏法流布の歴史に照らし、世界広布の未来を見据え、

「正義」と「共戦」の旗を託すべき友がここにいると固く信じたからだ。

今から40年前、あの第1次宗門事件の渦中にあってもそうだった。1978年(昭和53年)の8月8日、創価

文化会館(当時)で行われた県長会議。先生は北陸の歌と共に、神奈川の歌「ああ陽は昇る」の歌詞を発表したの

である。

「『ああ陽は昇る』――ここに私は、万感の思いを込めました。神奈川の皆さんは、常に、何があろうが、わが胸

に生命の太陽を輝かせ続けていただきたい」

烈風の中、苦難と戦い、必死に活路を開こうとしている同志の胸に、希望の旭日よ昇れ!――そう訴えるかのよう

な師の力強い声だった。「日蓮仏法は太陽の法門です。ゆえに、私たちも太陽の存在であらねばならない」

闇を照らす仏の生命は、わが胸中に! この確信は歌声となり、神奈川の全同志へと広がっていった。

同年11月、静岡の同志にも朗報が届く。池田先生から、県歌「静岡健児の歌」が贈られたのだ。同月29日には

県幹部会が開かれ、歓喜の歌声が初披露された。

堂々として揺るがぬ「富士」、法難に屈せず偉大な歴史を刻んだ「熱原の三烈士」の殉難。歌詞には”静岡の心”が

刻まれていた。

「地涌の我等も、かくあれ!」と、静岡の友は、悪僧の”衣の権威”と対峙しながら、大前進を開始した。

県歌発表から30年後の2008年11月、池田先生はこの歌に加筆した。2番の「世界の友は」を「正義の同志

は」に、3番の「世紀の功徳と」を「師弟の陣列」に、最後の「いざや舞え」を「いざや勝て」と。

さらに第2次宗門事件での”魂の独立”から25周年となる16年11月には静岡に愛称が誕生する。その名も「太

陽の静岡」。先生は断言した。「『太陽の静岡』が栄え昇るならば、世界広布の地平は明るい」

太陽は万物を育む源だ。神奈川、そして静岡の地に今、陸続と育つ青年部・未来部の若き生命が「東海道に太陽の

仏法あり!」と、その実証を示している。

 

 

 

 

 

 

 

 


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