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〈誓いの天地〉 石川・金沢市

2018年8月20日

 

   使命の舞台で勝利の証しを

 

 

                  金沢城の前で、

                    青年部の友が

                      広布後継を誓って

                          (5日)

 

 

 加賀百万石の城下町として栄えた金沢。兼六園、金沢城や茶屋街など、その歴史が人々を引き付ける一方、金沢

駅の鼓門をはじめ、円形デザインの金沢21世紀美術館といった近代的な建築物も多い。

伝統と現代が融合する町。3年前の北陸新幹線の延伸開業によって、観光都市としても発展を続ける。

市内の百貨店にあるブランドショップで、婦人服の販売をしている山岸早紀さん(金沢南圏、女子部部長)。「金

沢は町並みもすてきですが、一番の魅力は『人』だと思います」

石川県七尾市で生まれ育ち、短期大学への進学を機に金沢市へ。女子部の先輩の温かさに触れ、学会活動を始めた。

大学に編入し、卒業後はアパレル企業に就職した。

彼女が試練に襲われたのは3年前。帰宅途中に交通事故に巻き込まれ、重傷を負った。

すぐさま学会の同志が見舞いに。女子部からは真心の寄せ書きも届けられ、題目を送ってくれた。

山岸さんは、“絶対に乗り越えて、広布の舞台に戻ろう”と決意し、真剣に唱題を重ねた。

ケガは順調に回復し、退院。3カ月後、職場に復帰することができた。

これまで以上に真心の接客を心掛け、顧客との信頼を結んでいった。気付けば、以前よりも店の売り上げは伸び、

100以上ある店舗のうち、五指に入る業績を上げるようになった。

学会活動にも励み、本年から白蓮グループの班長に。仏法対話に果敢に挑戦している。「感謝の心を忘れず、華陽

のスクラムを広げていきます」

 ◇

現在、「師弟誓願 拡大月間」を朗らかに前進する北陸の友(9月8日まで)。月間の開幕を勢いよく飾ったのは

男子部の拡大だ。今月12日、北陸男子部大会が金沢市の石川平和会館で盛大に行われた。

対話に挑み、人材を大きく拡大して大会当日を迎えた一人が、太田正則さん(金沢喜多圏、男子部本部長)。大手

製薬会社の営業職として、市内をはじめ、富山県や岐阜県北部のエリアを担当する。

大阪・枚方市の出身。創価大学を卒業後、仕事のため、6年前に金沢へ。誰も知り合いがおらず、心細かったが、

学会の同志が温かく迎えてくれた。

4年前の創価青年大会では、演目の一つであった、よさこいの出演メンバーに。練習に励む中、より良い条件の会

社に転職することもできた。

仕事では「『自身』が変われば『世界』が変わる。『わが一念の変革』が、すべての変革の鍵なのです」との池田

先生の言葉を胸に、誠実第一で迅速な対応を心掛けた。顧客との信頼が深まり、昨年は全国2位の営業成績を収め

た。

今、3人の友人と一緒に唱題に励んでいる太田さん。「職場でも地域でも勝利の実証を示し、師匠・池田先生にお

応えします」と誓いの青春を歩む。

 

栄光の共戦譜

誓願に生きる人生は最極なり

「わが師・戸田城聖先生は、私の生命の最も奥深くに、いつも御一緒である。そしてまた、恩師の故郷・北陸の同

志も、私の胸奥から瞬時として離れることはない」

石川県は、第2代会長・戸田先生の生誕の地。池田先生が、石川の同志に寄せる思いは、限りなく深く、大きい。

第3代会長を辞任した直後の1979年(昭和54年)5月3日、池田先生は「誓」としたためた。その「誓」の

一字を、82年(同57年)9月、石川の地でも大書した。その思いを先生は「わが魂を北陸に置き留め、同志を

守り抜かんとの決意で」と述べている。

これまで池田先生が石川県を訪れたのは8回。初訪問は、57年(同32年)10月26日のこと。金沢市内の指

導会に出席した。

集まった300人の大半は入会歴が浅く、病魔や経済苦と闘う人も多かった。先生は一人一人を包み込むように励

ました。当時の日記には、こうある。

「如来の使いだ。誇り高くあれ」「北陸にも、広布の響き始まる」

この日は今、「石川広宣流布原点の日」となっている。

 ◇

64年(同39年)7月14日、石川県に初の会館となる金沢会館(当時)が誕生。落成入仏式に池田先生が出席

した。

先生は石川の同志と勤行・唱題を行い、友の幸福を祈念。式典後も、場外にいた同志のもとへ赴き、温かく声を掛

けた。

翌15日も、金沢会館での激励は続いた。入会してまだ2カ月だった織田末廣さん(金沢喜多圏、副支部長)も出

会いを結ぶ。

先生は「君たち、仕事は大丈夫?」。一緒に来た男子部員が「今日は休みなんです」と答えると、「そうか、あり

がとう。しっかり仕事を頑張るんだよ」と笑みを浮かべ、一人一人と、固い握手を交わした。

織田さんは当時、自動車の修理工場に勤めていたが、短気な性格が原因で職を転々としていた。先生との“誓いの

握手”から、仕事への姿勢を顧みるように。その後、染色会社で25年間、勤め上げた。「先生の激励のおかげで

忍耐強くなりました。人生勝利の要諦と、広布に生きる喜びを教えてくれた先生に、感謝は尽きません」

2度のがんも乗り越えた織田さん。長男は地区部長、長女は地区婦人部長、次女は副白ゆり長として、広布後継の

道をさっそうと歩んでいる。

 ◇

76年(同51年)7月、金沢市内の小高い丘に、石川文化会館が完成した。先生は同年11月12日、初来館し、

「荘厳な 夕日を浴びて 地涌たち 石川城に 凱歌あがれり」と詠んだ。

翌13日の夕刻、先生は金沢会館へ足を運び、管理者の本間勝美さん(金沢圏、副圏長)と妻の朋子さん(同、圏

副婦人部長)に励ましを送った。

この9年前、本間さんは金沢市内のデザイン会社に就職したが、数カ月後に倒産。フリーのグラフィックデザイナ

ーとして奮闘する一方、男子部のリーダーを務め、学会活動にも一歩も引かずに挑んだ。

そんな中、池田先生から一冊の書籍が届いた。そこには「君よ! 可愛い大切な北陸の友を生涯よろしく頼む」と

の言葉が記されていた。

青年の成長と勝利を信じる師の真心に涙があふれた。本間さんは“この使命の天地で、断じて宿命転換してみせる”

と真剣に祈り、弘教に奔走。その後、夫婦で金沢会館の管理者となり、先生を迎えた。

館内を視察した池田先生は、陰の労苦に徹する夫妻をねぎらい、本間さんの2人の息子にも激励を。

朋子さんに「子どもは伸び伸びと育てるんだよ」と語り、一家の広布への貢献を心からたたえた。

本間さんは師との出会いを原点に、愛する地域に尽くそうと決意。「森の都愛鳥会」の会長として42年間にわた

り、環境保全活動に取り組んできた。また、日本生態系協会の評議員としても活躍する。

「自然を守ることは、子どもたちの未来を守ることにつながります。これからも、安心・安全の町づくりに努めて

いきたい」

 ◇

8・26「北陸の日」。その淵源は84年(同59年)8月26日、金沢市内で行われた第1回「北陸平和文化祭」

にある。先生は会場に到着するなり、真っ先にグラウンドへ。両手を挙げ、体全体で参加者にエールを送った。

金津洋子さん(石川総県、総県婦人部総主事)も、その光景を目に焼き付けた。

当時、石川県の副婦人部長だった金津さんは翌27日、金沢市内で開かれた北陸広布30周年記念の集いで、香峯

夫人と懇談する機会に恵まれた。金津さんが「自分は気が小さく、人前で話すのが苦手で……」と率直な思いを

伝えると、香峯子夫人は頷きながら「でも、それぞれに使命がありますから大丈夫ですよ」と。人と比べるのでは

なく、自分らしく進んでいくよう励ました。以来、金津さんは“聞き上手”になろうと決意し、広布一筋に走り抜い

てきた。

石川県の婦人部長を務めた後、地域活動にも尽力。民生委員を9年間担い、本年4月には、老人会の会長となった。

池田先生が石川婦人部に示した「心清き人は永遠に幸の勝者なり」との指針を胸に、はつらつと希望の連帯を広げ

る。

 ◇

池田先生は、かつて石川の友に贈った。

「誓願に生きる人生は最極なり」

それは、先生自身が示してきた弟子の生き方であり、石川の同志が受け継ぐ師弟の魂である。

 

 

 

 

 

 

 

 


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