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誓願 百十六 

 山本伸一は、一九九五年(平成七年)十月末からアジア四カ国・地域を訪れ、この折、

「釈尊生誕の国」ネパールを初訪問した。五十一カ国・地域目となる平和旅である。

ネパールでは、十一月一日、カトマンズ市の王宮に、ビレンドラ国王を表敬訪問した。

二日には、国際会議場で行われた、国立トリブバン大学の卒業生への学位授与式に主賓

して出席し、「人間主義の最高峰を仰ぎて――現代に生きる釈尊」と題して記念講演した。

そこでは、“人類の教師”釈尊が残した精神遺産を「智慧の大光」「慈悲の大海」の二つの

角度から考察し、自他共の幸福を願う人間主義の連帯こそが、それぞれの国の繁栄を築き、

人類全体の栄光を開く光源になると主張。そして、次代を担う使命深き学生たちに、大鵬

のごとく、智慧と慈悲の翼を広げ、「平和と生命尊厳の二十一世紀」へ飛翔してほしいと

訴えた。

三日、伸一自身も同大学で、教育大臣(総長代行)から名誉文学博士の称号を受けた。

ネパールは美しき詩心の大国である。国の豊かさは人びとの「心」の光で決まる――伸一

は謝辞で強調した。
 この日、彼は、ネパールの友に案内され、カトマンズ市郊外の丘に車で向かった。

「世界に冠たるヒマラヤの姿を、ぜひ、見てほしい」との友の思いに応えたかったのであ

る。

夕暮れが迫り始め、ヒマラヤは、乳白色の雲に覆われていた。しかし、伸一たちが到着し

た時、雲が割れ、束の間、ベールを脱いだように、雪を頂いた峨々たる山並みが姿を現し

た。夕日に映えて、空は淡いバラ色に染まり、山々は雄々しく、そして神々しいまでの気

高さにあふれていた。

伸一は、夢中でシャッターを切った。

ほどなく、ヒマラヤの連山は、薄墨の暮色に包まれ、空には大きな銀の月が浮かんだ。

彼を遠巻きにするように、二十人ほどの少年少女が物珍しそうに見ていた。伸一が手招き

すると、はにかみながら近付いてきた。子どもたちの瞳は宝石のように輝いていた。

 

 

誓願 百十七

 山本伸一は、子どもたちに言った。

「私たちは仏教徒です。ここは仏陀が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育

ました。あの山々のような人間になろうと頑張ったんです。堂々とそびえる勝利の人へと、

自分をつくり上げました。皆さんも同じです。すごいところに住んでいるんです。必ず偉大

な人になれます。

みんな、利口そうな、いい顔をしているね。大きくなったら、日本へいらっしゃい」

彼は、この一瞬の出会いを大切にしたかった。心から励まし、小さな胸に、希望の春風を送

りたかったのである。

翌四日、伸一は、カトマンズ市内でのネパールSGIの第一回総会に臨み、集った百数十人

の友と記念のカメラに納まった。そして「どこまでも仲良く進んでください。一人ひとりが

良き市民、良き国民として、『輝く存在』になってください」と激励した。メンバーの大多

数は、青年であった。まさに、ヒマラヤにいだかれるように、未来に伸びる希望の若木が育

っていたのだ。

ネパールに続いてシンガポールを訪れた彼は、第三回アジア文化教育会議に臨み、シンガポ

ール創価幼稚園を初訪問した。さらに、建国三十周年を祝賀する第一回青年友好芸術祭に出

席し、十日夕、香港に到着した。

イギリス領の香港は、一九九七年(平成九年)に中国へ返還されることになっていた。返還

は、八二年(昭和五十七年)の中国共産党中央顧問委員会の鄧小平主任とイギリスのサッチ

ャー首相との会談で、現実味を帯び始めていった。

資本主義の社会で暮らしてきた人びとにとっては、社会主義の中国のもとでの生活は想像し

がたいものであり、不安を覚える人たちもいた。一時期、香港ドルが急落し、市場が混乱に

陥ったこともあった。

“こういう時だからこそ、香港へ行こう! 皆と会って激励しよう!”

伸一は、そう決めて、八三年(同五十八年)十二月に香港を訪れている。

 

 

誓願 百十八

 山本伸一は一九八三年(昭和五十八年)の香港訪問で、メンバーに力強く呼びかけた。

「皆さんのなかには『九七年問題』で、“香港はどうなるのかな”と、心配されている方も

おられるかもしれない。しかし、私は、全く心配はないと訴えておきたい。堂々と、この

愛する香港の地で、自由にして平和、文化、そして国際的発展に薫るこの香港の大地で、

妙法に照らされ、守られながら、尊い一生を送っていただきたい」

「返還の『九七年』以後も、これまでの何倍も賑やかに、何倍も楽しく交流しよう。未来

永遠、一緒に勝利の歴史をつくろう!」

彼は、これまで多くの香港の有識者、またSGIメンバーと語り合ってきたなかで、香港

の大発展をもたらしてきたのは、底知れない「人間の活力」であり、人びとに脈打つ「希

望の力」であると実感していたのである。

これまでの「何倍も楽しく」との言葉に、香港の同志は、勇気を得た。

八四年(同五十九年)十二月、中国とイギリスは中英共同宣言を発表し、九七年(平成九

年)七月に香港は中国に返還され、中国の特別行政区になり、返還後五十年は、社会主義

政策は実施しないことが示された。資本主義は維持され、一国二制度となるのである。

それでも、不安が拭い切れずに、カナダ、オーストラリアなどに何十万もの人たちが移住

していくことになる。

伸一は、香港の未来を思いつつ、中国の要人たちと会談し、歴代の香港総督などとも交流

を重ねてきた。

そして、今回の九五年(同七年)十一月の香港訪問では、著名な作家で、日刊紙「明報」

を創刊し、「良識の灯台」として長年、世論をリードしてきた金庸と会談した。彼は、返

還後の香港の社会体制を決める「香港基本法」の起草委員会の委員も務めていた。

二人は、「香港の明日」「文学と人生」をはじめ、幅広いテーマで五回の語らいを重ね、

九八年(同十年)、対談集『旭日の世紀を求めて』(日本語版)が発刊されている。

 

 

誓願 百十九

 香港が中国に返還される五カ月前には、山本伸一は金庸に、「返還後も香港は栄え続け

るでしょう」と述べ、これからは、経済だけでなく、「心の充足」も焦点になると語った。

すると、金庸は、強く訴えた。

「香港SGIをはじめ、SGIの方々には、ぜひ『精神の価値』『正しい価値観』を多く

の人たちに示していただきたいのです」

香港の民衆の幸福と繁栄――二人の心は、この一点にあった。

伸一が、メンバーに訴え続けたのは、いずこの地であろうが、不屈の信心ある限り、

“幸福の宝土”と輝くということであった。

日蓮大聖人は、「其の人の所住の処は常寂光土なり」(御書五一二ページ)と仰せである。

――一九九七年(平成九年)七月一日、イギリスの統治下にあった香港は、中国に返還さ

れ、歴史的な式典が行われた。

その祝賀式典のアトラクションには、香港SGIの「金鷹体操隊」も若さあふれる演技を

披露した。また、同日夜の記念音楽会には香港SGIの各部の合唱団が出演した。

伸一は、旧知の江沢民国家主席と香港特別行政区の董建華行政長官に祝電を送った。香港

のメンバーは、返還後の香港を「平和と繁栄の港」にとの決意を固め合い、二十一世紀と

いう「第三の千年」へ飛翔していくのだ。

伸一は、九五年(同七年)十一月の香港滞在中、マカオを訪れ、マカオ大学で名誉社会科

学博士号を受けたほか、マカオ市政庁を表敬訪問した。ポルトガル領であるマカオも、九

九年(同十一年)、中国に返還されるが、マカオのメンバーも香港の友に続き、希望のス

タートを切っていくことになる。

九五年(同七年)十一月十七日、アジア訪問から帰国した山本伸一は、そのまま中部・関

西指導に入った。そして二十三日、関西文化会館で、全国青年部大会、関西総会を兼ねた

本部幹部会が開催された。

その席上、SGI理事長の十和田光一から、「SGI憲章」が発表された。

 

 

誓願 百二十

 SGIは、一九七五年(昭和五十年)一月二十六日、太平洋のグアムで行われた第一回

世界平和会議で誕生し、以来、仏法の生命尊厳の思想を弘め、「世界の平和」と「人類の

幸福」に寄与するための運動を展開してきた。そのなかで各国・地域のSGIは、地域、

社会で信頼を広げ、大きな期待を担うまでになっていた。

そこで結成二十周年の節目にあたり、「SGIは何をめざして進むのか」という理念と行

動の規範を明文化しようと、この九五年(平成七年)、SGI常任理事会・理事会で、S

GI憲章制定準備委員会が発足した。そして、十月十七日のSGI総会で「SGI決議」

が採択され、それに基づいて、準備委員会で検討を重ね、各国の賛同を得て、憲章が制定

されたのである。

「SGI憲章」は、仏法を基調に平和・文化・教育に貢献することをはじめ、基本的人権

や信教の自由の尊重、社会の繁栄への貢献、文化交流の推進、自然・環境保護、人格陶冶

などが謳われ、十項目からなっていた。

この七つ目には、「仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題

について対話し、その解決のために協力していく」とある。

「世界の平和」と「人類の幸福」を実現するために大切なことは、人類は運命共同体であ

るとの認識に立ち、共に皆が手を携えて進んでいくことである。これを阻む最大の要因と

なるのが、宗教にせよ、国家、民族にせよ、独善性、排他性に陥ってしまうことだ。人類

の共存のためには、“人間”という原点に立ち返り、あらゆる差異を超えて、互いに助け合

っていかねばならない。

創価学会は、阪神・淡路大震災でも、被災者の救援・支援活動に、総力をあげて取り組み、

各国のSGIからも、さまざまなかたちで支援があった。それに対して、被災者をはじめ、

多くの人びとから感謝の声が寄せられた。また、SGIは他の宗教団体などとも協力し、

核廃絶の運動を推進してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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