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誓願 百一

 二月十八日夜には、第十一回世界青年平和文化祭が、「民族融合の大地に 希望の曲」

をテーマに、男女青年部ら千五百人が出演して、ブエノスアイレス市のコリセオ劇場で、

はつらつと開催された。

同市の公式認定行事となった、この文化祭には、ガリ国連事務総長も祝福のメッセージ

寄せ、フロンディシ元大統領をはじめ、ブエノスアイレス市長、コルドバ大学、ローマ

・デ・サモーラ大学、ラ・マタンサ大学の各総長や各界の代表、そして、中・南米十カ

のSGI代表などが出席した。

来賓の一人は、感慨無量の表情で語った。

「アルゼンチンは、ヨーロッパ各国から移住してきた人びとが大多数を占める国です。

摩擦もありました。出身国への郷愁も強い。同じアルゼンチン人としての意識も薄れがち

です。文化祭のテーマ『民族融合の大地』は、私たちの心からの願いなのです」

その融合の縮図を、この文化祭に見て、共感、感動したというのである。また、「SGI

は、世界市民の創出をめざしている。こうした視点が今、必要だ」との声もあった。

文化祭は、会場を航空機に見立てて、アルゼンチンという大地から、「世界」「人類」の

平和の大空へと旅立つ様子を表現していく。

ステージでは、フラッグ隊、鼓笛隊、コーラスグループなど、未来っ子の演技が続き、青

年たちのエネルギッシュなモダンダンスや、世界三大劇場の一つであるコロン劇場の六人

のダンサーによる、優美にして軽やかな踊りが披露された。

文化祭の圧巻は、アルゼンチンタンゴの大巨匠であるオスバルド・プグリエーセとマリア

ーノ・モーレスの共演であった。

出席者は、目を見張り、耳を疑った。まさに“世紀のイベント”であり、“夢の共演”であっ

た。なかでもプグリエーセは、一九八九年(平成元年)十一月の引退公演で、七十年間の

タンゴ人生を締めくくり、「もう舞台にあがることはない」と噂されていた。

伸一は、巨匠の厚情に、深く感謝した。

 

 

誓願 百二

世界青年平和文化祭の三日前にあたる十五日のことである。会場のコリセオ劇場に姿を

見せたマリアーノ・モーレスは、アルゼンチンのメンバーに語った。

「文化祭が行われる十八日は、私の誕生日です。でも、お祝いはしません。SGI会長と

皆さんのために演奏します」

モーレスは、最初に文化祭の開催を聞いた時、「それは、すばらしい。私もできる限り応

援します」と言って、出演を約束したのだ。

山本伸一とモーレス夫妻の最初の出会いは、一九八八年(昭和六十三年)四月、民音公演

で来日した折であった。モーレスは、将来、曲を作り、SGI会長に贈りたいと語り、

一は、四年前に亡くなった夫妻の子息を偲び、「富士を望む良き地を選んで、桜を記念

植樹させていただきたい」と申し出た。

その後、モーレスは、伸一に、新曲「アオーラ」(今)を献呈している。

一方、オスバルド・プグリエーセ夫妻との出会いは、八九年(平成元年)、民音で引退公

演を行うために来日した時である。プグリエーセは、伸一のためにタンゴの曲を作りたい

と述べ、その約束を果たし、「トーキョー・ルミノーソ」(輝く東京)を作曲して贈った。

副題は、伸一の提案によって、「友情の賛歌」となっていた。

モーレスが劇場に来た翌日、今度は、プグリエーセが楽団を率いて劇場を訪れた。練習の

ためである。楽器が運び込まれた。彼が愛用してきたグランドピアノもあった。八十七歳

の巨匠が、なんと、そのピアノを自分で押そうとしたのだ。南米最高峰のタンゴ王が、

わざわざ練習に来るとは思ってもみなかったうえに、自らピアノを動かそうとする姿に、

居合わせたメンバーは驚きを隠せなかった。

二人とも、一人の人間として、伸一との信義に応え、人類の平和を願う青年たちの文化祭

に賛同し、惜しみない協力をしてくれたのだ。友情の輪の広がりこそが、人間を結ぶ力と

なる。

「平和」とは「友情」の異名といえよう。

 

 

誓願 百三

「タンゴの皇帝・プグリエーセ」と「タンゴの王者・モーレス」の“夢の共演”に、

青年平和文化祭は沸き返った。

山本伸一は、一つ一つの演技に大きな感動を覚えながら、励ましと賞讃の拍手を送り

続け、文化祭を記念して和歌を贈った。

 「天も地も 喜び祝さむ 文化祭

    アルゼンチンの 諸天は舞いけり」

翌十九日午後、第一回アルゼンチンSGI総会が、ブエノスアイレス市郊外の会場で

開催された。これには全国からメンバー二千五百人が集ったほか、中・南米三カ国、

スペインの友も参加した。

席上、同国最古の大学である国立コルドバ大学から伸一に、「名誉博士号」が贈られた。

フランシスコ・J・デリッチ総長は、授与の理由に、伸一が、「新たなヒューマニズム

(人間主義)」を確立し、広げてきたこと、それによって、「東洋」と「西洋」の融合

が可能であると知らしめたことをあげた。

「私どもは教えていただきました。人類は『文化』『宗教』の違いによる対立を乗り越

えられるのだと。そして、異なる地域性や距離・時代の隔たりを超えて、友好を結ぶこ

とができるのだと――この偉大な『平和』と『友愛』の普遍のメッセージは、あらゆる

『国境』を越え、人類の無知が人間を制限する『心の国境』をも超えて、人類を一つに

結びゆくものであります」

総会では歓迎のアトラクションもあり、アルゼンチンのフォルクローレ(民謡)などが

次々と披露された。ギターをかき鳴らし、足を踏み鳴らし、陽気な歌と舞の輪が広がっ

た。支部結成以来二十九年、待ちに待った伸一との出会いの喜びを皆が全身で表現した。

伸一は、総会の前後も、役員など、さまざまなグループとカメラに納まり、激励を続け

た。この訪問で彼と出会い、励ましを受けた青年たちや少年少女が、二十一世紀の同国

のリーダーへと育っていくのである。

「励まし」は、成長を促す力となる。

 

 

誓願 百四

山本伸一の平和旅は続いた。

一九九三年(平成五年)二月二十日、伸一の広布開拓の舞台は、アルゼンチンからパラグ

アイへと移った。このパラグアイも初めての訪問である。そこは、大河パラグアイ川をは

じめ、幾多の河川が大地と人間を潤す、美しき「森と水の都」であった。

空港では、首都アスンシオン市の市長から、歓迎の「市の紋章」の盾が贈られた。

翌二十一日、伸一は、パラグアイ文化会館に七百人の同志が集って行われた、同国の第一

回SGI総会、パラグアイ広布三十二周年を記念する「友好の夕べ」に出席。ここでも真

っ先に子どもたちを励ました。

「みんなに会えて嬉しいよ。大きくなったら日本へもいらっしゃい。待っています」

総会で彼は、草創期を築いた同志の名をあげて、その功労を讃えた。さらに、アマンバイ

地区、そして、サンタローサ、エンカルナシオン、イグアス、アスンシオンの各支部名を

読み上げ、奮闘をねぎらっていった。

移住した日系人から始まった広布であり、計り知れない苦労があったにちがいない。

パラグアイの同志は、決して多いとはいえないが、メンバーは、日本からの移住者をはじ

め、皆が勤勉に努力を重ね、社会に深く信頼の根を張り巡らせてきた。

九〇年(同二年)にアスンシオン市で「世界の少年少女絵画展」(SGI、パラグアイ文

部省共催)を開催した折には、アンドレス・ロドリゲス大統領も出席している。

また、今回の伸一の訪問を歓迎し、郵政局では、彼の滞在期間中、すべての郵便物に「S

GI」の消印を押すことを決定した。その決議文には、「SGIは、世界平和の実現、民

衆の相互理解の深化、文化の尊重を根本的な目的として活動し、国連のNGOでもあり、

価値を創造するための団体である」とあり、「SGI会長の訪問は、国家諸機関及び関係

団体が敬意と共鳴を表すべきものである」としていた。

同志の地道な社会貢献の結実といえよう。

 

 

誓願 百五

 第一回パラグアイSGI総会の席上、山本伸一は、「諸天は、勇気ある人を守る!」と

訴え、一人立つことの大切さを語った。

「人数ではありません。一人、真剣に立ち上がれば、自分に縁するすべての人びとを、

また、環境も栄えさせていくことができる。そのために、真剣に祈り、行動している事実

が大事なんです」

信仰という赫々たる太陽を燃やしながら自分の周囲に、わが地域に、希望と蘇生の大光を

送り、友情と励ましの人間共和の連帯を築き上げていく――そこにこそ、広宣流布の確か

な軌道があり、世界最先端のSGIの運動の意義もある。

さらに、一生涯、信心の火を消すことなく信念を貫いていくよう望み、こう強調した。

「何があろうが一喜一憂するのではなく、『生涯』という視野に立って、悠然と進んでい

くことです。また、お子さん方にとっては、今は勉強が仕事です。信心の基本だけは、き

ちんと学びながら、徹底して『勉学第一』で進むことが、『信心即生活』となります。

信心の継承といっても、信仰は、子ども自身が選択していく問題です。要は、『大変な時

には真剣に唱題すれば、必ず乗り越えられる』ということを、しっかりと示し、教えてい

くことです。あとは、いたずらに神経質になることなく、伸び伸びと成長させていただき

たいのであります」

「友好の夕べ」では、同志の喜びが爆発した。婦人部の合唱団や少年少女の合唱団が、さ

わやかな歌声を響かせた。賑やかな調べに乗って、伝統の「ダンサ・デ・ラ・ボテージャ」

(ビンの踊り)も披露された。

さらに、会友である世界的ギタリストのシーラ・ゴドイが、この日のために作曲した「ファ

ンタジア・ハポネス」(日本の夢)の演奏で祝福した。

また、後継の音楽隊、鼓笛隊は、草創の時代から歌い継がれてきた「パラグアイ本部歌」を

誇らかに奏でた。この歌には同志たちの忘れ得ぬ思い出があった――。

 

 

 

 

 

 

 


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