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7月度座談会御書 種種御振舞御書

201873

 

わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし、

 わづかの小島のぬしらがをどさ んを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、 

 仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下の人人なりと 申しふくめぬ

 
「わが弟子は、迦葉や阿難にも勝れ、天台も伝教も超えなさい。日本の国主を恐れては、

 閻魔王の責めをどうするのか。仏の使いと名乗りを上げておきながら臆するとは話に

 ならないと、弟子たちに申し含めたのである」

大白蓮華53ページにはこの御文の解説として、

「私たちは仏の使いである。権力者を恐れてはならない。迫害者を悠々と見下ろしていく

大境涯になりなさい」

と記述があり、また、59ページには池田先生の御指導が次のように掲載されています。

「迫害者こそは、境涯革命のための真実の味方といえる。権威、権力の迫害との戦いは

“法華経の行者”の誉れと喜びを引き出してくれる。だから喜ばしいことなのだ」

「もちろん“敵も味方も仲良く”ということではありません。大切なのは“戦い切る”ことです。

妥協を許さず“絶対に負けない”ことです」

この原理をもとに、折伏を果たしていくことが、今月の御書の範囲になります。


背景と大意

建治2年(1276年)、日蓮大聖人55歳の御時、光日房に与えられた御書です。

本抄は、文永5年から健治2年までの9年間の大聖人のお振舞いを述べられたもので、発迹顕本

の御姿を通し、御本仏のお振舞いを述べられています。

冒頭、蒙古の襲来から述べられ、立正安国論に予言した他国侵逼難が的中したのであるから、

称えられるべきであるのに、いよいよ迫害を加え、死罪、流罪の詮議をしていることはどうし

たことか、彼らが地獄に堕ちることを思うと不憫でならないと記されています。

しかし、いかなる難があろうと、大聖人の弟子として難に臆することなく、勇んで後に続くよ

う激励されています。

当時の迫害の内容と、その迫害に対する大聖人の受け止め方が、以下の御文に鮮烈に記されて

います。

『名をもをしまず命をもすてて強盛に申しはりしかば 風大なれば波大なり竜大なれば雨たけき

やうにいよいよあだをなし.ますますにくみて御評定に僉議あり頚をはぬべきか鎌倉ををわるべき

か弟子檀那等をば所領あらん者は所領を召して頚を切れ 或はろうにてせめあるいは遠流すべし

等云云 日蓮悦んで云く本より存知の旨なり』

首を切ろうか、追い出そうか、所領を没収しようか、あるいは牢に入れる、あるいは流罪にする

など、日蓮大聖人とその門下を抹殺しようと憎み、話し合った・・その難が来ることは日蓮大聖

人は、過去から知っていた。

それを悦びとされたと述べられている御文です。

大白蓮華7月号の巻頭言に池田先生は次のお歌を下さりました。

恐るるな 生死ともに 仏なり 山越え谷越え 歓喜の凱歌を

病もある。加齢による衰えがある。難がある。パワハラもセクハラもある。けれど

「負けないで、変毒為薬の大境涯を創り上げていください」と、池田先生は励ましてく

ださっています。

私も定年退職をして、晩節を汚さないための苦労があります。数々の苦難が波のように

寄せてきます。

若い時から今日まで、一時の安穏はありましたが、定年したからといって最後は安穏と

いうものではありません。

むしろ重い責任と、衰え消失していく体力、能力に悩むのです。平凡な普通の定年退職

のように見えても、誰もが

必死に仕事をしています。

この仕事に加え、私たちは広宣流布を果たさなければならない。自分だけの幸せではなく、

周囲全体の幸せを作らなければなりません。

先生ご指導の「迫害者こそ、境涯革命のための真実の味方」を胸に、祈り、溌剌と難を乗り

越えて参りましょう!

 

 

 

 

 

 

 

 


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