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〈虹を懸ける〉 池田先生とパナマ④=完

2018615

 

       パナマ広布19周年記念勤行会で、

         固い握手を交わしながら

           メンバーを励ます池田先生

       (1987年2月18日、旧・パナマ文化会館で)

 

 パナマ――

 おお パナマ――

 我が愛する天地よ

 大陸の北と南を

 オセアノ(大海)の

 東と西を

 そして

 アステカ文明と

 アンデス文明を

 一つに

 結び通わせゆく

 十字路の

 要衝の地・パナマ

 今 エメラルドの

 カリブ海の

 静謐の水平はるかに

 元初の太陽は

 赫々と昇りゆく

 

1987年、池田先生が3度目の訪問の折につづった長編詩「パナマの国の花」。バナマの全同志が大切にする

永遠の指針である。

「この87年の先生の指導や励ましは、当時の青年部に地涌の使命を強く自覚させるものでした」

現在、パナマSGIの副理事長を務めるセルビス・ストッセルさんは振り返る。

入会は69年。父の胃がんを家族一丸の祈りで克服したことが、信心の確信となった。

先生が同国に第一歩をしるした74年、パナマSGIは本部体制に発展。父は支部長の一人として、広布に走り抜

いてきた。

そして、2度目の訪問(81年)から6年がたった87年、パナマには、草創の父母たちによって育まれた若人た

ちが、陸続と立ち上がっていた。

2月17日。先生の到着を前に、空港のロビーは喜びに沸き立つ人波であふれていた。

20歳の男子部員だったストッセルさんは、創価班として整理誘導の役員に就いていた。

そのストッセルさんの目の前での出来事だった。先生は両手を高く掲げ、「Vサイン」で真心の歓迎に応えたので

ある。

「先生のお姿は、メンバーの奮闘をたたえる慈愛に満ちたものでした。その瞬間を捉えた写真はパナマSGIの機

関誌の表紙を飾るなど、皆の心に深く焼き付いています」

この出会いを生涯の原点とするストッセルさんに、苦難が襲い掛かったのは3年後。父が突然のリストラに遭い、

経営苦に陥ったのである。

だが、ストッセルさん親子は、一歩も退くことはなかった。生活は困窮を極めたが、”信心で越えられない壁はない”

と訴え、同じく宿命と戦う同志を鼓舞し続けた。それから2年がたち、ストッセルさんは大学を卒業。父と共に就

職を勝ち取り、生活は一気に好転した。

「いかなる状況にあっても、私たちの勝利を確信し、励ましを送ってくださる師匠の存在が、前に進み続ける勇気

をくれました」

一昨年には、自身の大病も乗り越えた。その胸には、先生の”勝利のVサイン”が鮮やかに刻まれている。

 

指導者で決まる

87年、滞在3日目となる2月19日には、世界平和への貢献をたたえ、池田先生にパナマ国家の最高勲章である

「バスコ・ヌニェス・デ・バルポア勲章グラン・オフィシャル章」が叙勲された。同日午後には、国立パナマ大学

から「大学教育功労大賞」「平和行動栄誉賞」が贈られている。

その夜、先生はパナマ代表者会議に出席。これらの栄誉に触れ、「愛するパナマの皆さま方が、仏法を基調としな

がら、良き市民、良き国民として社会に貢献されてきた証しにほかなりません」と同志をたたえつつ、その名が勲

章に冠せられた探検家バルポアの生涯を通してスピーチした。

――パナマ地峡を横断し、ヨーロッパ人として初めて太平洋に到達したバルポア。先住民と友好的な関係を築き、

仲間たちと団結して偉業を成し遂げた彼は、「大胆」かつ「慎重」であり、「才能」と「不屈の精神」の両方を備

えていた――

「私どもの広布の活動は、末法万年にわたる人類のための戦いです。それはバルポアの偉業よりも、はるかに優れ

た崇高なる戦いです。しかも、その進展は、指導者いかんによって決まるといっても過言ではありません。どうか

パナマ広布を担う、先駆のリーダーである皆さま方には、人格を磨き、自分自身を深めながら、大リーダーとして

の見事な指揮をとることをお願いしたいのです」

またこの日、先生は諸行事を陰で支える男性役員を「バルポア・グループ」と命名した。

「先生と握手を交わした時の手のぬくもりは、生涯忘れません」。エドウィン・セデーニョさんは、その場に居合

わせ、同グループの一員となった。

これまで本部長などを歴任。常に最前線で広布を拡大してきた。何事にも率先して取り組む姿勢に、同志からの信

頼も厚い。

「娘の交通事故も、妻の乳がんも、全て信心で勝ち越えることができました。負けない人生を教えてくれた先生に、

心から感謝しています」

60歳を過ぎた今も、バルポア・グループの誇りを胸に、パナマ広布に駆ける日々だ。

 

己が道を走れ

カルロス・マイレス理事長も、バルポア・グループ命名時のメンバーである。

「池田先生は野外で歓迎する幼稚園児に飲み物を贈るなど、次代を託す一人一人をどこまでも大切にされていまし

た。あの日の先生の振る舞いは、私の規範になっています」

先に信心を始めた家族から折伏されたマイレスさん。あら探しをするつもりで教学を学んでみたところ、かえって

道理にかなった教義や主張に魅了され、84年に御本尊を受持した。

これまで家庭不和や経営する会社の倒産、家族の病など、幾度となく苦難に直面してきた。「一時は絶望の淵に立

たされました。しかし、御書や先生の指導をむさぼるように学び、実践することで、宿命転換の法理を、わが身で

知ることができました」

そのマイレス理事長を励ましてきたのが、前理事長のガブリエル・マルティネスさん(故人)である。

アメリカ軍のパナマ侵攻や宗門事件などが巻き起こった時、動揺するメンバーを支え抜き、師弟の精神を叫び続け

た人である。

「彼は私に、『同志を守る大切さ』『師弟に生きる素晴らしさ』を教えてくれました」

87年2月20日――先生はパナマから旅立つその日、冒頭の長編詩を、マルティネスさん(当時、青年部長)を

はじめとする青年部の友に詠み贈った。

 

 バルポアと

 コロンブスが

 見果てぬ夢を賭けた

 冒険の天地・パナマ

 冒険とは

 信念の異名だ

 茨の彼方に

 大いなる

 幸福の約束が

 あることを信じて

 到達のその日まで

 己が道を走り抜こう

 ああ 縁深き

 地涌の君たちよ

 私は信ずる

 その先駆の

 労作業をば

 平和の架橋作業をば

 諸仏・諸天は

 四花もて讃嘆し

 後世の史家もまた

 青史にその名を

 連ねんことを

 

以来、三十余星霜。

”世界の十字路”パナマには今、広宣流布という未踏の大事業に挑む創価のスクラムが洋々と広がっている。

 

 

 

 

 

 


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