• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

〈虹を懸ける〉 池田先生とパナマ②

2018526

 

   わが生命に”幸福の宮殿”を

 

       日本とパナマの歌や踊りが披露された

         日パ親善文化祭。

           池田先生は友の熱演を心からたたえた

        (1981年2月21日、パナマ国立劇場で)

 

「パナマ」と聞いて、パナマ運河、野球強豪国、パナマ帽を挙げる

人は多いだろう。

しかし、パナマ国民がどんな料理を食べ、どんな音楽を聴き、休日には何をして過ごすのかといった現地の暮らし

ぶりは、空路で20時間以上かかる日本では、ほとんど知られていないのではないか。

日本との外交関係が樹立されたのは、パナマがコロンビアから独立した翌年の1904年。すでに100年以上が

経過している。

貿易大国・日本にとって、パナマ運河の存在は欠かせない。

運河を利用する国々の中でも、その物流量は世界屈指である。パナマは距離は遠いが、実は私たちの生活に深く関

わっているのである。

池田先生の2度目の同国訪問(81年)は、両国の文化・教育交流を通じて、友情と平和の橋を架けるものとなっ

た。

2月19日。7年ぶりとなる先生の到着を待っていたのは、日本とパナマの国旗を手にした大勢の人々だった。

その数は約1500人である。

先生の再訪は、メンバーだけでなく、パナマ社会からも大きな注目を浴びていた。

空港の貴賓室には、国営テレビの取材の席が用意されていた。

「今回の訪問の目的は何でしょうか?」

「創価学会はどういった団体ですか?」

「パナマの国民に一言お願いします」

インタビュアーからマイクを向けられた先生は、その一つ一つに丁寧に答えていく。

「日本の理解、パナマ文化の理解を深めることです」

「仏教を基調として、世界の平和・文化・教育を推進する団体です」

「もっともっと日本に来てもらいたい」

その様子は、テレビのニュース番組や新聞紙上で報じられた。

インタビューを担当したのは、マヌエル・サンタマリアさん(故人)。SGIのメンバーだった。

記者としての実力を買われ、職場で選ばれたのである。

「主人はあの日、家に帰ってくるなり、興奮した面持ちで『最高に幸運なひとときだった』と言い、長い時間、

御本尊の前に座っていました」と、妻のイダリアさんは振り返る。

サンタマリアさんはこの出会いを生涯の誇りとして、広布一筋の人生を駆け抜けた。

生まれつき、赤血球が壊れやすい遺伝性の病気を抱え、体が弱かった。しかし、学会活動に励む中で少しずつ健康

になり、普通の生活ができるようになった。

何度か発作を起こし、入院を余儀なくされたこともあったが、そのたび、心配そうに見つめる家族へ「大丈夫。仏

法の素晴らしさを証明してくるよ」と語り、励ました。

テレビ局を退職した後は、国立パナマ大学の教授となり、後進の育成にも努めた。SGIでは、支部長や本部長を

歴任。2008年に息を引き取るまで、真実を伝える報道マンらしく、無理解や偏見の人にも誠実に仏法の素晴ら

しさや師の偉大さを訴え続けた。

「父は、自分のこと以上に、友人や同志の幸福を祈る人でした。いつも、”お前たちに遺してやれるレガシー(遺

産)は、この信心だけだ”と言っていました」(次男のジャセール・サンタマリアさん)

今、この志を継ぐ友が、パナマ各地で奮闘している。

 

生活を大切に

81年の池田先生の滞在は8日間。3日目の21日朝には、5年前(76年)に完成した新・パナマ会館に足を運

んでいる。

「ブエノス・ディアス(スペイン語で「おはようございます」)! お世話になります」

先生は居合わせた同志に声を掛けると、次々と記念撮影を。その後。、メンバーと勤行・唱題。中南米各国から駆

け付けた代表も交えて、3点にわたり懇談的に指導した。

――まず一つ目に、題目を唱えることは、自身の生命の中に”幸福の宮殿”を築くことです。たとえ現在が不幸であ

っても、最高の境涯が開いていくことを確信してください。

二つ目に、「仲良く」を合言葉に進んでください。

三つ目は、体を大切にすること。生活を大切にすること。職場を大切にすること。家庭を大切にすること。これが

功徳を開いていく正しい法理です――

そして、こう結んだ。「苦しい時、悩みがある時、お題目をあげることが、人生勝利の根本である」と。

この日、エディルダ・デ・ロビンソンさんは、会館の2階に設けられた運営役員の部屋で、交流団を受け入れる準

備を進めていた。先生は、その部屋にも顔を出した。

「突然の出会いに、とても驚きました。先生は、私たち役員とも記念撮影をして、『広宣流布の労苦は、全てが福

運となっていきますよ』と激励してくださったのです」

ロビンソンさんは90年代、パナマ婦人部長として活躍する。

就任直後、アメリカによるパナマ侵攻、夫の病、宗門事件と、社会にも組織にも自身にも試練の嵐が吹き荒れた。

しかし、”先生から託された広布の灯を消してはならない”と、個人指導に徹し、「信仰即生活」の大切さを訴えて

いった。

日本の多宝会に当たる「パナマ信心の王者・王女グループ」となった現在も、師と共に生きる喜びを語り伝えてい

る。

 

平和と文化の力

”両国の友好関係に永続性をもたらし、実りあるものとするためには、教育と文化の交流以外にない”

池田先生はパナマ初訪問(74年)の折、こう心情を述べた。

81年の訪問では、この言葉の通り、日本とパナマの教育・文化交流の促進が図られた。

その一環として、栃木や大分等の同志による交流団が結成され、パナマの各地で交歓の集いが開催された。

21日には、そのメイン行事である「日パ親善文化祭」が、歴史あるパナマ市のパナマ国立劇場で昼夜2回に分け

て行われた。

テーマは「人間蘇生の歓喜舞」。

第1部では、パナマのメンバーが各地方の伝統舞踊などを、第2部では、日本のメンバーがソーラン節などを披露

した。

フィナーレでは、全出演者が舞台に上がり、愛唱歌とパナマ国歌を大合唱した。

夜の文化祭に出席した先生は、メンバーの熱演に喝采。「どこの国においても、どこの地域においても、きょうの

この日のように文化の華を咲かせ、民衆と民衆が合流し、融合していくところに、真実の恒久平和の華が咲くこ

とを確信します」と、麗しい友情のステージをたたえた。

当時、15歳だったルベン・ロドリゲスさんは、民族衣装を身にまとい、伝統舞踊を踊った。

「立ち上がって惜しみない拍手を送ってくださった先生の姿は、この目に焼き付いています。81年の舞台は、私

に”師匠を求める人生に限界はない”ことを教えてくれました」

6歳で信心を始めたロドリゲスさん。これまで、15人以上の友に弘教を実らせた。

腎臓の病を克服した体験を持ち、失業した時も、題目根本により良い条件で再就職を勝ち取った。何より、内向的

な性格だったが、どんな困難にも自信を持って臨めるようになった。

「文化活動を通じて社会に貢献したい」と力を込めるロドリゲスさんは、これまでパナマSGIの文化祭などで演

出指導を担当。現在は、コーラスグループの団長を務める。

平和と文化を愛する心は、パナマのメンバーの中に、生き生きと脈打っている。

 

 

 

 

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください