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〈教学〉 4月度座談会拝読御書 如説修行抄

 

天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな、然るに摂受たる四安楽の修行

 を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、鶏の暁に鳴くは用なり

 宵に鳴くは物怪なり

(御書503ページ16行目~18行目)

 

〇通解

天台が「法華経は折伏の教えであり、権教の理を打ち破っている」といっているのは、

まさしく道理に適っている。

それなのに、摂受である安楽行品に説かれる四つの修行を今の時に実践するならば、

それは冬に種をまいて春に収穫を得ようと期待するようなものではないか。

鶏は夜明けに鳴くから役に立つ。日暮れに鳴けば化け物である。

 

○背景と大意.

文永10年(1273年)5月、日蓮大聖人 52歳の御時、流罪地の佐渡の一谷(いちの

さわ)から門下一同に与えられた御書です。

「如説修行」とは「仏の説の如く修行する」の意味です。

当時、大聖人門下は竜の口の法難以降、大弾圧を受け、その難は門下にも及びました。

「法華経の行者は現世安穏と説かれているのに、なぜ大難が続くのか」との疑いに対し、

大聖人は「釈尊の時代も難があったのだから、末法において三類の強敵(ごうてき)に

遭うことは当然である。真の現世安穏とは難を乗り越えていく信心にある」と述べれて

います。

そして、「今は摂受(しょうじゅ)の時代ではない。権経を破す折伏の時である。

もし、摂受をするなら、冬に種を撒いて春に収獲しようとしているに等しく、鶏が夜に

鳴くに等しい」と御指南されました。

池田先生は「末法は、価値観が混乱し、何が正しいか、何が大切かが分からない時代です。

混乱の時は、“これこそが正義” “これが最も大事”と明確に示していかないといけない。

折伏とは“真実を語る”ことです。勇気をもって言い切っていくことです」とご指導されて

います。

 

 

 

 


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