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勝ち鬨 八十六

 青年が広宣流布の舞台に、澎湃と躍り出るならば、いかに時代が変わろうが、創価の大河

は水かさを増しながら、悠久の未来へと流れていくにちがいない。

山本伸一は、“青年たちよ! 学会を頼む。広布を頼む。世界を頼む。二十一世紀を頼む”と

心のなかで叫んでいた。

作家の山本周五郎は、「どんな暴い風雪の中でも育つものは育つ」(注)と綴っている。

伸一は、信じていた――ここに集った青年たちが、新世紀のリーダーとして立ち、友情と信

頼のスクラムを社会に広げてくれることを! 広布を担う人材の陣列を幾重にもつくってく

れることを!

日蓮大聖人は仰せである。

「物だね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(御書九七一ページ)

伸一は、若き魂に、発心の種子を、誓いの種子を、勇気の種子を蒔き続けた。全精魂を注い

での労作業であった。しかし、それなくして、希望の未来はない。力を尽くして、人を育て

た分だけ、人華の花園が広がる。

翌十五日、伸一は、秋田と大分の姉妹交流を記念し、両県の代表と共に、勤行会を行い、

秋田文化会館を後にした。

空港に向かった彼は、平和行動展の会場である秋田会館の前を通るように頼んだ。

彼の乗ったバスが会館の前に差しかかると、数十人の青年たちが、横幕を広げて待っていた。

「先生 ありがとうございました」という、朱の文字が目に飛び込んできた。伸一は、笑み

を浮かべ、大きく手を振った。

皆が口々に叫んだ。

「ありがとうございます!」

「秋田は戦います!」

「また来てください!」

青年たちも、手を振り続ける。束の間の、窓越しの交流であったが、心と心の対話であり、

永遠に忘れ得ぬ一幅の名画となった。

彼は、この秋田での六日間もまた、反転攻勢の一つのドラマとして、広布史に燦然と輝きを

放つであろうと思った。

 

    小説『新・人間革命』の引用文献

      注 『山本周五郎からの手紙』土岐雄三編、未来社

 

 

勝ち鬨 八十七

 秋田指導の翌月となる二月の七日、山本伸一は休む間もなく茨城県を訪問した。

茨城もまた、正信会僧による卑劣な学会攻撃の烈風が盛んに吹き荒れた地である。なかで

も鹿島地域本部では、必死の攻防が続いてきた。鹿島、潮来、牛堀、波崎などの町々で、

悪僧の言にたぶらかされて、檀徒となる会員が広がっていったのである。

毎月の御講や、葬儀などの法事の席でも、学会への悪口雑言が繰り返された。それでも同

志は、ひたすら耐えてきた。

一九七九年(昭和五十四年)二月、鹿島地域の神栖に学会が建立寄進した寺院が落成した。

同志は、この寺なら、清純な信心の話が聞けるだろうと希望をいだいた。しかし、落慶入

仏式の席で、新任の住職から発せられたのは、学会を謗法呼ばわりする言葉であった。広宣

流布を、僧俗和合を願っての赤誠は踏みにじられたのだ。龍ケ崎や筑波山南部の地域(後の

つくば市)などでも、学会への非難・中傷が激しくなっていた。

同志たちにとって、最も残念だったのは、つい先日まで一緒に広布に生きようと話し合って

きた友が、悪僧に踊らされていることが分からず、信心を狂わされ、人が変わったようにな

っていったことであった。

“今に正邪は明らかになる!”“必ず、学会の正義を示してみせる!”

同志は、こう誓い、郷土に“春”を呼ぼうと広布に走った。この時、皆で何度も歌ったのが、

七八年(同五十三年)十月、伸一が作詞して贈った県歌「凱歌の人生」であった。

   
 〽君よ辛くも いつの日か

  広宣流布の 金の風

  歓喜の凱歌の 勝ちどきを

  天空までも 叫ばんや

  ああ茨城は 勇者あり
    
 一節一節から、伸一の思いが、びんびんと伝わってくる。“勇者になるんだ! 負けるも

のか!”との決意が、皆の胸に湧いた。

 

 

勝ち鬨 八十八

 一九八二年(昭和五十七年)二月七日の午後、山本伸一は、水戸婦人会館を視察したあと、

水戸市内の茨城文化会館を訪問し、落成を祝う県代表者の集いに出席した。

この席で彼は、「今回の訪問で一人でも多くの同志と会い、希望の目標を示し、新世紀への

出発をしたい」との思いを語った。

翌八日には茨城文化会館の落成記念県幹部会に出席。ここでは、学会の幹部でありながら、

退転していった者の根本原因について言及していった。

「信心がむしばまれていってしまった人に共通しているのは、強い慢心があることです。

そこに最大の原因があるといえます。

実は、慢心と臆病・怠惰とは、表裏をなしている。それゆえに慢心の人は、広布への責任

をもたず、新しい挑戦や苦労を避けようとする。だから進歩も成長もない。その結果、

信心は淀み、心はエゴに支配され、憤懣があふれる。それが、広宣流布の破壊の行動とな

っていくケースが多い。

また、慢心の人は、必ずといってよいほど、勤行を怠っている。傲慢さに毒され、信心の

基本を軽く見ているんです。

若くして幹部になり、指導的な立場につくと、自分に力があると錯覚し、傲慢になり、

周囲を睥睨する人もいます。しかし、役職があるから偉いのではない。苦労して、その使

命と責任を果たしてこそ立派なんです。

役職は一つのポジションであり、皆に使命があることを忘れてはならない。さまざまな立

場の人が団結し、力を出してこそ、広宣流布を進めることができるんです。役職は、人間

の上下の関係などでは断じてありません。

私は、三十数年間、多くの学会員を見てきました。その結果としていえることは、“策の人”

は長続きしない。“要領の人”は必ず行き詰まっていく。“利害の人”は縁に紛動されてしまう

――ということです。

結局は、求道の人、着実にして地道な信心の人、生活という足元をしっかりと固めてきた人

が、人生の勝利者になっています」

 

勝ち鬨 八十九

 山本伸一は、九日も、茨城文化会館落成記念の勤行会に出席し、水戸、鹿島、常陸から

集った同志二千人を激励した。彼は訴えた。

「仏の異名を『世雄』という。世間にあって、勇猛に民を導く人のことです。ゆえに御本

仏・日蓮大聖人の門下である私たちは、どこまでも現実社会の荒海のなかで信頼を勝ち取

る、力あるリーダーでなければならない。

また、仏の別名を『能忍』ともいう。五濁悪世の娑婆世界、すなわち忍土に出現し、悪を

よく忍び、慈悲を施す人のことです。大聖人の大難を思えば、私たちの難など、まだまだ

小さい。信心は忍耐です。大聖人門下ならば、何があっても微動だにしない信心に立つこ

とです。現実という嵐に挑み、耐え忍んで、人生勝利の旗を掲げてください」

十日には、日立市に足を延ばし、日立会館落成五周年の記念勤行会に出席した。

席上、伸一は、こう提案した。

「水戸藩第二代藩主の徳川光圀が、この辺りの海上に朝日の昇るさまを見て、領内一の眺

めであると賛嘆したことから、『日立』と呼ばれるようになったという。そこで、それに

ならって、組織の表記を、『常陸圏』から『日立圏』へと改めてはどうだろうか」

皆、大喜びで、賛同の大拍手で応えた。

十一日には、茨城文化会館で盛大に開催された県青年部総会参加者三千五百人と、構内の

旭日庭園で記念のカメラに納まった。そして、このメンバーで「茨城男子二〇〇〇年会」

「茨城女子二〇〇〇年会」が結成された。

さらに同日、宗門事件の嵐が吹き荒れた鹿島の鹿島会館を初訪問し、第二代会長・戸田城

聖の生誕記念勤行会を厳粛に執り行い、鉾田での鹿島地域本部の代表者会議に臨んだ。

翌十二日には、石岡を経由し、土浦文化会館の開館三周年を記念する勤行会に出席し、

場外の参加者とも記念撮影するなど、寸暇を惜しんで激励を重ねたのである。

同志は勝った。凱歌の旭日は昇った。

伸一の力走は続き、全国各地で師弟共戦の勝ち鬨を轟かせていった。

(この章終わり)

 

 

 

 

 

 

 

 


コメント一覧

返信2018年3月25日 3:55 PM

心に残ったいい言葉100選 |24/

[…] http://takeshi.club/2018/03/21/kachidoki86-89/ […]

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