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勝ち鬨 八十一

 小松田城亮の一家は、仮住まいの作業小屋に御本尊を安置し、唱題に励んだ。弘教に、

後輩の激励にと、自転車であぜ道を走った。

やがて、家も新築することができた。

一族の学会員からは、高校の理事長や役場で重責を担う人など、たくさんの社会貢献の

材が出ていた。また、学会にあっても、多くのメンバーがリーダーとして活躍している。

県長の小松田俊久も、その一人であった。

城亮の人材輩出の秘訣は、自分が弘教した人は、独り立ちするまで、徹底して面倒をみる

ことであった。

彼は、よく後輩たちに語ってきた。

「自分が弘教した人が、一人で弘教できるようになるまで、一緒に行動し、育て上げる責

任がある。つまり、自行化他の実践を教え抜くまでが折伏である」

山本伸一は、一族、地域の広布の“一粒種”となった小松田城亮の話を、秋田の幹部から詳

細に聞いていた。城亮は、既に八十四歳であるという。

伸一は深く思った。

“学会の大発展は、こうした、人知れず苦労を重ねながら、誠実と忍耐で、家族、兄弟、

親戚、そして、地域の友人たちと、強い信頼の絆を結び、それを広げてきた数多の無名の

英雄がいたからこそ、築かれたのだ”

自由勤行会で伸一は、草創の同志の涙ぐましいまでの活動に深く敬意を表したあと、午前

中の勤行会参加者を「吹雪グループ」、午後の、この勤行会参加者を「嵐舞グループ」と

することを提案した。

喜びの大拍手が鳴りやまなかった。

勤行会終了後、再び会館前の公園で記念撮影が行われた。雪は、すっかりやんでいた。

小松田県長の音頭で、万歳を三唱した。

「万歳! 万歳! 万歳!」

勝利の雄叫びが天に舞った。

この日を記念して、伸一は和歌を贈った。

  「寒風に 喜々と求道 広布へと

      胸張る秋田の 友は光りぬ」

 

 

勝ち鬨 八十二

 自由勤行会を終えた十三日夜、山本伸一は、秋田市内で行われた県青年部の最高会議に

出席した。翌日は、県青年部総会が予定されていた。彼は、若きリーダーたちの意見、要

望を聞くことに、多くの時間をあてた。

地域広布の確かな流れを開くために、人材育成グループの充実なども話題にのぼった。

秋田で世界農村会議を開きたいとの意見も出た。伸一は、「いいね」と言うと、笑顔で語

り始めた。

「こういう発想が大事だよ。食糧問題は、世界にとって深刻な問題だ。まさに農業に力を

注ぐ東北の出番だ。東京など、大都市主導ではなく、農村から、地方から、人類の直面す

る重要課題の解決の方途を見いだして世界に発信していく――そこから、秋田の新しい未

来も開いていくことができる。

青年は、常に、『皆が、困っている問題は何か』『地域発展のために何が必要か』を考え、

柔軟な発想で打開策を探っていくんです。不可能だと思ってしまえば、何も変えることは

できない。必ず、なんとかしてみせると決めて、思索に思索を重ね、何度も何度も挑戦し、

粘り強く試行錯誤を重ねていく情熱があってこそ、時代を変えることができる。これが青

年の使命です」

彼は、未来を託す思いで話を続けた。

「東北や北海道は米の生産地として知られているが、昔は寒冷地での稲作は難しいとされ

てきた。長い間、品種改良などを重ね、懸命に努力し抜いて“今”がある。

ドミニカのメンバーには、お米を使って、日本の『粟おこし』のようなお菓子を作ろうと

工夫を重ね、成功した人もいます。

たとえば、秋田ならば、“この雪をどうするか”を考えることも大事だ。これをうまく利用

できれば、秋田は大きく変わるよ。一つ一つのテーマに必死に挑んでいくことだ。真剣勝

負からしか、未来の突破口は開けません」

“必ず、事態を打開していこう”と一念を定めるならば、自身の可能性は限りなく拡大して

いく。そして、新しき扉は開かれる。

 

 

勝ち鬨 八十三

 山本伸一は、言葉をついだ。

「何かを成し遂げよう、改革していこうと思えば、必ず分厚い壁があり、矛盾に突き当たる。

いや、現実は矛盾だらけだ。しかし、そのなかを、日々、聡明に、粘り強く、突き進むしか

ない。ましてや、世界広宣流布は、前人未到の新航路だ。困難だらけのなかでの建設です。

頼れる人など、誰もいないと思い、一人立つのだ!

皆が“山本伸一”になるんです。全員が、この自覚に立つならば、二十一世紀は、洋々たる希

望の世紀となる。明日の県青年部総会は、その船出の集いにしよう」

翌十四日付の「聖教新聞」には、二・三面見開きで、「秋田 “冬は必ず春”の誉れの友の吹

雪舞」の大見出しが躍った。そして、それぞれの面に一枚ずつ、全面を使って、前日の記念

撮影の写真が掲載されたのである。

十四日は、雪が激しく降り続き、一日中、気温は氷点下であった。伸一は、秋田文化会館で、

次々と功労者に贈る和歌を詠み、また、支部証を揮毫していった。瞬間瞬間が完全燃焼の日々

であってこそ、人生は金色に輝く。

さらに彼は、会館にやって来た、仙北郡の太田地域で初代地区部長を務めた小松田城亮と妻

のミヨを励ました。

「健康、長寿を祈っています。お二人が元気であることが、みんなの誇りになります。

同志を見守ってあげてください」

そして、伸一は、会館前にある公園の一角に、地元・山王支部などのメンバーがつくった

「かまくら」へ向かった。「かまくら」は、横手地方などで行われてきた、小正月(旧暦

の一月十五日)の伝統行事の名であり、その時に雪でつくる室を「かまくら」という。

彼は、激励の揮毫をしていた時、窓から、降りしきる雪のなか、「かまくら」づくりに精

を出しているメンバーの姿を目にした。“秋田の冬の風物詩を知ってほしい”と労作業に励

む同志の、尊く、温かい心遣いに胸を打たれた。その真心に真心で応えたかった。

 

 

勝ち鬨 八十四

山本伸一は、すぐに、「かまくら」づくりに励む同志への感謝の思いを和歌にして、

色紙に認めて贈った。

  「かまくらを つくりし友の 嬉しさよ

     秋田に春の 曲はなりけり」

伸一は、峯子と共に「かまくら」を訪れた。

「おじゃましますよ」

中は四畳半ほどの広さであろうか。絨毯が敷かれ、ロウソクがともされていた。

案内してくれた人に、伸一は言った。

「幼いころから、『かまくら』に入りたいと思っていました。夢が叶って本当に嬉しい」

心づくしの甘酒に舌鼓を打っていると、外から、かわいらしい歌声が聞こえてきた。

  〽雪やこんこ 霰やこんこ……

地元の少年・少女部員の合唱団らであった。

「ありがとう!」

伸一は、握手を交わし、一緒に写真を撮った。さらに中等部員や、岩手県から駆けつけた

女子部員らとも、相次ぎカメラに納まった。また、「かまくら」をつくってくれた同志を

讃え、「かまくらグループ」と命名した。一瞬の出会いでも、発心の旅立ちとするために

心を砕く――それが励ましの精神である。

学会にあって「日本海の雄」「東北の雄」といわれてきた秋田が、今、未来へと大きく飛

翔しようとしていた。一月十四日夜、雪のなか、県内千五百人の代表が、伸一のいる秋田

文化会館に喜々として集い、第一回県青年部総会が開催されたのである。

席上、九月に秋田の地で第一回世界農村青年会議を、明年五月に野外会場を使って友好体

育祭を開催することなどが発表された。

さらに、伸一の提案を受け、この日の参加者全員をもって「二〇〇一年第一期会」とし、

同年の五月三日をめざして、前進していくことが伝えられた。

皆、一つ一つの発表に心を弾ませ、希望の翼を広げながら、決意を新たにした。

 

 

勝ち鬨 八十五

 山本伸一は、県青年部総会が行われた十四日の夕刻、秋田入りして五軒目となる功労者

宅を訪問したあと、後継の同志と会うことに胸を躍らせながら、この総会に出席した。

会場に姿を現した彼は、「二〇〇一年第一期会」の結成を祝して、女子部と男子部の二回

にわたって、参加者と記念撮影し、未来の一切を託す思いでマイクに向かった。

「時間をどう使うかは、人生の大切なテーマです。『仕事を終えて午後六時から八時まで

の時間をいかに過ごすかによって、人生の成功者になるかどうかが決まってしまう』と語

った人がおります。

仕事に力を注ぐことは当然だが、就業時間のあとに、自分の信条とする活動を成し遂げて

いくかどうかによって、人生に格段の違いが生ずることは間違いない。この時間は、私ど

もにとっては学会活動の時間です。

それは、自他共の永遠の幸福と繁栄のための行動であり、地域貢献の道であり、全世界の

崩れざる平和を築く道でもある。そこには人生の歓喜があり、生きることの意味の発見が

ある。そして、現代社会の孤独の殻を破って、人間の心と心を結ぶ作業でもあります。

この学会活動という軌道を、絶対に外すことなく、生涯、戦っていきましょう!」

伸一の言葉に、一段と熱がこもった。

「次代の広布は、すべて君たち青年部に託す以外にない。これからの十年間で、その大き

な変化の時代を迎えていきます。ゆえに、心して、『勉強』『努力』し、自らを鍛え上げ

ていっていただきたい。

特に、生き方の哲学となる教学は、徹底して身につけてほしい。一流といわれる人たちは、

必ずそれなりの努力をし、人の何倍もの苦労と研究を重ねている。今、諸君も、庶民の哲

学者、民衆の指導者として、一切の根本となる大仏法を行じ、深く学んでいただきたい。

そこに人間勝利の王道があります」

秋田の、そして、東北の青年たちの胸に、二十一世紀の勝ち鬨をあげんとする誓いの種子

が、この時、確かに植えられたのである。

 

 

 

 

 

 

 


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