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勝ち鬨 七十一

 入会した佐藤幸治は、真剣に学会活動に取り組んだ。生来、生真面目な性格であった。

当時、秋田は、蒲田支部の矢口地区に所属しており、山本伸一の妻の両親である、春木洋

次と明子が、地区部長と支部婦人部長をしていた。二人は、毎月のように交代で、夜行列

車に十二時間も揺られて、秋田へ指導、激励に通い続けた。

そして、佐藤たちに、信心の基本から一つ一つ丁寧に、心を込めて教えていった。一緒に

個人指導、折伏にも歩いた。御書を拝して、確信をもって、仏法の法理を語っていくこと

の大切さも訴えた。純朴な愛すべき秋田の同志は、砂が水を吸い込むように、それらを習

得し、急速に力をつけていった。

信心の継承は、実践を通してこそ、なされる。先輩の行動を手本として、後輩は学び、

成長していくのである。

佐藤の入会から一年後の一九五四年(昭和二十九年)には、八百世帯の陣容をもって秋田

大班が誕生し、さらに、五六年(同三十一年)には、秋田支部へと発展し、佐藤は支部長

に就いた。この時、支部婦人部長になったのは、妹の佐藤哲代であった。

佐藤は、温泉などを試掘するボーリングの仕事に従事していた。戸田城聖は、宗門の総本

山に、十分にして安全な飲料水がないことから、五五年(同三十年)の正月、地下水脈の

試掘を彼に依頼した。総本山の水脈調査は、明治時代から、しばしば行われてきたが、

「水脈はない」というのが、地質学者たちの結論であった。

年々、多くの学会員が訪れ、宗門が栄えるにつれて、飲料水の確保は喫緊の課題となって

いた。佐藤は、目星を付けた場所を、約三カ月かかって、二百メートルほど掘ってみたが、

地下水脈には至らなかった。

戸田は、「宗門を外護し、仏子である同志を守るために、必ず掘り当てなさい」と、厳し

く指導した。佐藤は、広宣流布を願うがゆえに、どこまでも宗門を大切にする、戸田の赤

誠に胸が熱くなった。彼は懸命に祈った。

 

 

勝ち鬨 七十二

 佐藤幸治は、断固たる一念で、真剣に唱題を重ねた。ある日、別の場所を掘り始めると、

わずか二十六メートルほどで、奇跡のように地下水が噴出した。水量は一分間に約二百十六

リットルの水質良好の、こんこんたる水源であった。これによって、総本山境内に水道を敷

設することができたのである。

佐藤は、宗門の外護に尽くし抜いてきた学会の真心を踏みにじった悪僧たちを、終生、許さ

なかった。

山本伸一は、会長を辞任する三カ月前の一九七九年(昭和五十四年)一月、青森文化会館を

訪れ、東北の代表と懇談した。そのなかに佐藤と妹の哲代の姿もあった。佐藤は、二年前に

肺癌と診断され、「余命三カ月、長くて一年」と言われていた。

伸一は、彼の手を握り締めて語った。

「信心ある限り、何ものも恐れるに足りません。一日一日を全力で生き抜くことです。

また、朝日も、やがては夕日になる。赫々たる荘厳な夕日のごとく、人生を飾ってください。

人びとを照らす太陽として、同志の胸に永遠に輝く指導を残してあげてください」

佐藤は、不死鳥のごとく立ち上がった。率先して、学会員の家々を個人指導に歩いた。

彼の励ましに触発され、多くの同志が、破邪顕正の熱き血潮を燃え上がらせた。皆が、創価

の城を断じて守り抜こうと誓い合った。戦う人生には、美しき輝きがある。

翌年五月、佐藤は六十六歳の人生の幕を閉じた。癌と診断されてから三年も更賜寿命の実証

を示しての永眠であった。

伸一の代理として妻の峯子と息子が弔問に訪れた。生前、伸一は、彼にステッキを贈ってい

た。本人の強い希望で、棺には、モーニングに身を包み、そのステッキを手にして納まった。

「来世への広布遠征の旅立ち」との思いからであったという。

以来、一年八カ月がたとうとしていた。黄金の夕日のごとき晩年であった。佐藤家を訪問し

た伸一は、夫人の美栄子や、妹の哲代ら家族、親族と勤行し、追善の祈りを捧げた。

 

 

勝ち鬨 七十三

  佐藤宅での勤行を終えると、山本伸一は、遺族らに、しみじみとした口調で語った。

「幸治さんは、本当に人柄のいい、信心一筋の人でした。大功労者です」

それから、皆の顔に視線を注いだ。

「幸治さんによって、佐藤家の福運の土台は、しっかりとつくられた。これからは、皆さん

が、その信心を受け継ぐことで、永遠に幸せの花を咲かせ続けていくんです。

トップで後継のバトンを受けても、走り抜かなければゴールインすることはできない。

後に残った人たちには、あらゆる面で、周囲の人たちから、“さすがは佐藤家だ!”と言われ

る実証を示していく責任がある。

これからは、いよいよ佐藤家の第二章です。一緒に新しい前進を開始しましょう」
  
この十一日の夜、伸一は、秋田文化会館での県代表者会議に出席した。

席上、県婦人会館の設置や、県南にも文化会館を建設する構想が発表され、歓喜みなぎる出

発の集いとなった。

伸一は、マイクに向かうと、まことの信仰者の生き方に言及していった。

「それは、決して特別なことではありません。人生には、いろいろなことがあります。

しかし、“何があっても、御本尊に向かい、唱題していこう!”という一念を持ち続け、堅実に、

学会活動に邁進していくことです。そして、何よりも、自分の生き方の軸を広宣流布に定め、

御書を根本に、法のために生き抜いていく人こそが、真実の信仰者です。

これまで、一時期は華々しく活躍していても、退転して、学会に反旗を翻す人もいました。

そうした人をつぶさにみていくと、決まって、わがままであり、名聞名利、独善、虚栄心が強

いなどの共通項があります。

結局は、自分自身が根本であり、信心も、組織も、すべて自分のために利用してきたにすぎな

い。いかに上手に立ち回っていても、やがては、その本性が暴かれてしまうのが、妙法の厳し

さであり、信心の世界です」

 

 

勝ち鬨 七十四

 山本伸一は、さまざまな苦難の風雪を乗り越えてきた秋田の同志に、自分の真情を

率直に語っていった。

「私は、ずいぶん、人から騙されてきました。利用され、陥れられもしました。

弟子を名乗る者のなかにも、そうした人間がいることを知っていました。『あの男は

下心があるから、早く遠ざけた方がよい』と言ってくる人もいました。それでも私は、

寛大に接し、包容してきた。心根も、魂胆もわかったうえで、信心に目覚めさせよう

と、根気強く、対話しました。また、幾度となく、厳しく、その本質を指摘し、指導

も重ねました。

なぜか――騙されても、騙されても、弟子を信じ、その更生に、全力を注ぎ尽くすの

が師であるからです。それが、私の心です。

しかし、悪の本性を露わにして、仏子である同志を苦しめ、学会を攪乱し、広宣流布

を破壊するならば、それは、もはや仏敵です。徹底して戦うしかない。そこに、躊躇

があってはなりません。

人を陥れようとした人間ほど、自分にやましいことがある。自らの悪を隠すために、

躍起になって人を攻撃する――それが、私の三十数年間にわたる信仰生活の実感です。

だが、すべては、因果の理法という生命の法則によって裁かれていきます。因果は厳

然です。その確信があってこそ仏法者です。

私どもは、広宣流布のため、世界の平和と人びとの幸福のために、献身し抜いてきま

した。しかし、悪僧や、それにたぶらかされた人たちは、この厳たる事実を認識する

ことができない。大聖人は、色相荘厳の釈迦仏を、悪人がどう見ていたかを述べられ

ている。

『或は悪人はすみ(炭)とみ(見)る・或は悪人ははい(灰)とみる・或は悪人はか

たき(敵)とみる』(御書一三〇三ページ)

歪んだ眼には、すべては歪んで映る。嫉妬と瞋恚と偏見にねじ曲がった心には、学会

の真実を映し出すことはできない。ゆえに彼らは、学会を謗法呼ばわりしてきたんです。

悪に憎まれることは、正義の証です」

 

 小説『新・人間革命』語句の解説

 ◎色相荘厳/色相荘厳とは、衆生に仏を求める心を起こさせるため、三十二相八十種好

  という超人的な特徴をそなえた仏の姿をいう。

 

 

勝ち鬨 七十五

 大情熱にあふれた、山本伸一の指導が終わった。秋田の友の胸には、“日本海の雄”と

しての誇りと決意がみなぎっていた。

退場にあたって伸一は、会場の後ろまで来ると、そこにいた一人の婦人に笑みを向けた。

田沢本部の婦人部指導長である関矢都美子であった。

彼女は、一九七九年(昭和五十四年)一月、伸一が岩手県の水沢文化会館を訪問した際、

秋田県の代表として懇談会に参加し、県内での僧と檀徒による、常軌を逸した学会攻撃

の様子を報告した。

――七八年(同五十三年)二月、寺は御講のために訪れた学会員を入場させないために、

檀徒たちが入り口に立って、追い返した。しかし、関矢は、「あなたたちに、私を止め

る権利はありません」と言って本堂に入った。すると今度は、住職が「あんたは、出てっ

てくれ!」と怒鳴り散らした。

彼女は毅然として、理由を問いただした。「学会は謗法だからだ」と言う。すかさず、

「なぜ、学会は謗法なんですか!」と一歩も引かず、学会の正義を訴えた。

“遂に障魔が襲い始めた!”と感じた関矢は、学会員の激励に奔走した。一婦人の堂々たる

創価学会への大確信と、理路整然とした破邪顕正の言に、多くの同志が立ち上がっていっ

たのである。

水沢での語らいから、三年がたっていた。

伸一は、関矢に語りかけた。

「先輩もいないなかで、本当によく頑張ってくれました。学会を守ってくださっているの

は、何があっても、私と同じ決意で、“自分が、皆を幸せにしていこう! 一切の責任を担

い立っていこう!”という人なんです。これが、学会の側に立つということです。

学会を担う主体者として生きるのではなく、傍観者や、評論家のようになるのは、臆病だ

からです。また、すぐに付和雷同し、学会を批判するのは、毀誉褒貶の徒です。

あなたは信念を貫き通してくださった。見事に勝ちましたね。ありがとう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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