2018年2月26日
富士は日々に新しい。
白雪をまとった秀峰が、
青年の王者のごとく!
(池田先生撮影。2006年3月、八王子市で)
その鮮烈なる歌声は、わが生命から離れない。
世界の同志と
我らは団結し
広宣流布の灯は
永遠に燃え続ける
師と共に
我らは師子と立つ
(原詩は英語)
「We are the lions」――。
今月の本部幹部会の席上、アメリカの男女青年部が「正義の師子の誓い」を凛然と歌い上げてくれた。メンバーの
大半が二十代である。
壁を破る弘教に挑んだ歓喜踊躍の若人たちを、同じく大拡大を成し遂げた関西の友が私の心を体して、大歓迎して
くれた。
大阪での“本幹”前夜には、十の会館で世界広布新時代の「関西ワールド総会」が行われ、参加した多くの友人が入
会を決意されたと伺っている。
思い返せば、二十五年前(一九九三年)の一月、ロサンゼルスで行われた初の「関西ワールド総会」で、私は恩師・
戸田城聖先生の指導を紹介した。
「悩みのある人は、真剣に願いなさい。仏法は真剣勝負です。万が一、実行しても解決しなければ、戸田の生命を
あげよう」――よく語られていた指導である。
この大確信の折伏精神を脈々と受け継ぎ、アメリカで、関西で、そして全国、全世界で、若き「正義の師子」たち
が立ち上がっている。
今この場所から
今この瞬間から
誓いに生き抜こう――その英姿が、何より頼もしい限りである。
自信満々と語れ
御本仏は仰せられた。
「仏と申す事も我等の心の内にをはします・譬へば石の中に火あり珠の中に財のあるがごとし」
(御書一四九一ページ)
一人ひとりの青年の心の中に、まぎれもなく最も尊い仏の生命がある。
しかし、最も近い睫毛を見ることができず、最も遠くまで広がる天空も見極められないように、この宝の命に気づ
かぬまま、青春を過ごし、一生を終えてしまうことが、いかにもったいないか。
多くの人びとが自信を持てず、自らの居場所も見出せずに、先行きの見えない不安を抱える現代にあって、「汝自
身の内なる最極の生命に目覚め給え!」と旭日の大光で照らしゆくのが、我らの仏法対話だ。創価の人間復興の運
動こそ、かけがえのない希望なのである。
今月、雪の北海道の約百五十会場で開催されてきた伝統の青年主張大会でも、妙法を受持した若人の「人間革命」
の蘇生のドラマが、また愛する郷土への貢献の実証が、感動を広げている。
第一回大会から三十六年、体験主張を行ったメンバーだけでも一万五千人を超える。かつて登壇した友のお子さん
やお孫さんが発表する、親子二代、三代にわたる継承も何と嬉しいことか。
臆さず、自信満々と語ることだ。「体験」に勝る「雄弁」はないからだ。
◇
「青年の活躍の陰には必ず育ててくれた人がいる。励まし続けてくれている人がいる。その方々に最敬礼するんだ
よ」
これもまた、忘れ得ぬ恩師の教えであった。
今回のアメリカ青年部の研修にも、深い真心で送り出し、題目を送り続けてくれた、尊き父母や地域の同志がおら
れる。
今、いずこでも、青年部を全力で激励し、応援してくださる創価の父母たちの熱情が、私と妻には痛いほど迫って
くる。
特に、今年は例年にない強い寒波に見舞われ、各地で記録的な豪雪となっている。
妻も先日(二十二日)、創価世界女性会館で、全国の各方面の婦人部長の方々と懇談した折、北陸をはじめ雪国の
宝友のご苦労の一端をあらためて伺った。そして「雪にも負けず頑張ります!」と、三月の「世界青年部総会」へ
大応援の決意を語られる創価の母たちの心意気に胸を熱くしていた。
妻と二人して朝な夕な感謝の祈りを捧げるとともに、折々に「母」の曲をピアノで弾いて、その「不思議な豊富な
力」に合掌する日々である。
新しい人と力を
父母の祈りと励ましに応えて、時あたかも、日本全国で一万人に及ぶ「男子部大学校生」も堂々と立ち上がった。
新鮮な青年の太陽が昇ったのだ。
「新しい人」だからこそ、「新しい力」を発揮できる――これが私の変わらざる確信である。
一九五二年、蒲田支部で私が広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」も、「新しい人」を見つけ、眼前の友の「新
しい力」を信じて、励まし抜く戦いであった。
仏法では、「一身一念法界に遍し」(同二四七ページ)と説かれる。
一人の「一身一念」は、家族にも友人にも、職場にも地域にも、さらには国土、世界にまでも波動を起こしていけ
るのだ。
「一人」から始まる。
「一人」から変わる。
「一人」から開ける。
ゆえに、まず一人と「会う」ことだ。「語る」ことだ。そして「一緒に行動する」のだ。
「少子化」の時代であるからこそ、むしろ一人の青年を大事にできる。さらに今度は、その一人から、次の新しい
青年を呼んでいくのだ。
そして「従藍而青」と示されている通りに、「自分以上の人材」を澎湃と育て上げるのだ。この精神で学会は進ん
できたからこそ、今がある。
“城普請”の逸話
「二月闘争」の翌年の一九五三年、私は戸田先生より男子部の第一部隊長の任命を拝した。
これも、恩師の願業である七十五万世帯の達成へ、若き力を糾合し、新たな人材を育てる戦いであった。
育成のホシは何か。それは、信心に励む理由を明確にすることである。
先師・牧口常三郎先生も「目的は手段を生む」と言われ、的を明確にして矢を放ってこそ、的中すると教えられて
いる。
私の部隊長時代、あるリーダーが、懸命に努力を重ねてもなかなか成果を出せず、悩んでいた。
私は、その奮闘を労い讃えながら、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の有名な“城普請”の逸話を例に励ました。
――主君・織田信長の居城である清洲城の塀や石垣が暴風雨で崩れ、藤吉郎は三日間での修理完了を約束した。
だが一日目。躍起になって工事を急かしたが、修復は思うように進まなかった。藤吉郎は焦る自分を反省し、何が
足りないのかを考える。次の日、心新たに棟梁たちに切々と訴えた。
“塀や石垣を修理し、一日も早く完成させることは、外敵から国を守ることになり、それはすなわち自分を守り、
ひいては大切な家族を守ることになるのだ”と。
この呼び掛けが、皆の“本気”に火を点した。そして自ら率先して修復に汗する藤吉郎の姿に続き、一丸となって工
事に臨み、見事、約束通り、修理を完遂することができたというのである。
私は、友に語った。
「信心も同じだよ。戦いの目的が明確であれば、必ず団結できる。
なぜ勤行をするのか。なぜ折伏をするのか。どうして、信心で人生を勝ち開くことができるのか等々、この根本の
目的が納得できれば、決して人にやらされるのではなく、主体的に取り組んでいける。そこに、本当の力が出るん
だ」と。
ともあれ、皆の成長を願い、胸襟を開いて語り合うことだ。一人ひとりに心を配り、足を運ぶことだ。その祈りと
行動があるところ、どんな心の扉も、必ず開かれていくのだ。
この年、私たちは一年間で三倍の人材拡大を果たし、年末の男子部総会を一千人結集の栄光勝利で飾ったのである。
しかし、何にもまして私が誇らしかったのは、戦友ともいうべき多くの同志と共に、戸田先生の弟子として生き抜
き、広宣流布の大叙事詩を共に綴りゆく誓願を共有できたことであった。
厳護の英雄たれ
かつて戸田先生が、獄中で読まれたという「水象」の伝説を話してくださったことがある。
――水象とは、川の底に棲み、なかなか姿を見せないという象である。しかし、ひとたび陸に上がって真の姿を現
したならば、いかなる獣も恐れをなして逃げてしまう。
いざ世に現れた時の威容――本当の英雄とは、そういうものだ。これが、勇んで陰の労苦に徹する、学会厳護の男
子部の雄姿なのだ、と。
四十年前(一九七八年)の二月、立川文化会館で私は、雪が舞う駐車場に立つ創価班の友に気づいた。有り難いな
――と思う瞬間、一句が生まれた。
「寒風に 一人立ちたり 創価班」
今月、結成記念日を迎えた牙城会と共に、私が一切を託しゆく正義の陣列がここにある。
同年二月、雪国の信越から、立川文化会館にいた私のもとへ、男子部の友が駆け集ってくれた。この時、皆に贈っ
たホイットマンの詩の一節を、私は今再び、本門の丈夫たちと確認し合いたい。
「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて! 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」
君よ、君たちよ、「今ここから」、雄々しく、朗らかに、満々たる生命力で出発だ。我らの新しき栄光勝利の春へ、
世界の友と高らかに勝ち鬨を上げようではないか!
ホイットマンの言葉は『詩集 草の葉』富田砕花訳(第三文明社)。