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勝ち鬨 六十六

 ゴムの長靴にズボンの裾を押し込んだ中綿コートの壮年や、ブーツに毛糸の帽子を被った

婦人、日曜日ということもあり、親と一緒に来た、頰を赤くしている子どももいた。

山本伸一は、雪に足を取られないように注意しながら、大きく手をあげ、笑顔で皆を包み込

むように、歩みを運んだ。

「皆さん、ありがとう! お元気ですか?

ご苦労をおかけしています。これからも私は、皆さんを守っていきます。全員、長生きして、

幸せになってください。今日から新しい出発です。頑張ろうではないですか!」

子どもの頭をなで、壮年たちと握手を交わしていく。仕事のことや健康状態などを報告する

人もいる。“街頭座談会”であった。

そして、一緒に記念のカメラに納まった。

車が走りだして、しばらくすると、道路脇に立つ数人の人影があった。また車を止めてもら

い、降りて励ましの言葉をかけ、一緒に写真を撮る。「聖教新聞」のカメラマンは、無我夢

中でシャッターを切り続けた。

それが何度か続き、牛島西二丁目の四つ角に近付くと、通り過ぎる車を見詰めている、七、

八十人の一団がいた。行事の成功と晴天を祈って唱題していたメンバーであった。

「きっと先生は、この道を通るにちがいない。表に出て歓迎しよう」ということになり、

待っていたのだ。

伸一は、すぐに車を降りた。皆、驚いて、喜びを満面に浮かべた。

「皆さんにお会いしに来ました! 今日の記念に写真を撮りましょう!

大変な、辛い思いをされた皆さんの勝利を祝福したいんです。私の心には、いつも皆さん

がいます。題目を送っております。皆さんも、題目を送ってくださっている。それが師弟

の姿です。普段はお会いできなくとも、私たちの心はつながっています」

すると、一人の婦人が言った。

「先生! 私たちは大丈夫です。何を言われようが、信心への確信は揺らぎません。

先生の弟子ですから。師子ですから!」

 

 

勝ち鬨 六十七

 車を走らせ、交差点から、ものの数百メートルも行くと、自動車工場の前にも、人が集

まっていた。山本伸一は、ここでも降りて、“街頭座談会”を始めた。

集っていた人のなかには、学会員に脱会を迫る寺側と懸命に戦い、同志を守り、励まして

きた地域のリーダーもいた。

伸一は、固い握手を交わしながら、その健闘を讃えた。

「皆さんが、同志を守ろうと、必死の攻防を展開されてきたことは、詳しく報告を受けて

おります。私と同じ気持ちで、私に代わって奮闘してくださる方々がおられるから、学会

は強いんです。それが異体同心の姿です。

何かあった時に、付和雷同し、信心に疑いをいだき、学会を批判する人もいます。それで

は、いつか大後悔します」

彼の脳裏に「開目抄」の一節が浮かんだ。

「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき

事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・

をこして皆すてけんつたな(拙)き者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるな

るべし」(御書二三四ページ)

伸一は、言葉をついだ。

「皆さんは負けなかった。“まことの時”に戦い抜き、勝ったんです。その果敢な闘争は、

広布史に燦然と輝きます」

皆の顔に、晴れやかな笑みが広がった。

伸一は、秋田文化会館に到着するまでに、九回、同志と激励の対話を続けたのである。

副会長の青田進と一緒に、伸一の車に乗っていた東北長の山中暉男は、その行動を身近

に見て、深く心に思った。

“先生は、一人ひとりに師子の魂を注ごうと、真剣勝負で激励を続けられている。これが

先生の、学会の心なのだ。私も、同志を心から大切にして、励ましていこう!”

精神の継承は、言葉だけでなされるものではない。それは、行動を通して、教え、示し

てこそ、なされていくのである。

 

 

勝ち鬨 六十八

秋田文化会館では、大勢の同志が山本伸一を待っていた。会館の庭には、伸一が認めた

「秋田桜」の文字を刻んだ記念碑が設けられ、その除幕式や記念植樹の準備ができていた。

会館に到着した伸一は、雲間から降り注ぐ太陽の光を浴びながら、除幕、植樹をし、皆で

記念撮影もした。

伸一が、会館の構内を視察していると、案内していた県長の小松田俊久から、玄関前の広

場に名前をつけてほしいと要請された。

「昨日は、雪だったようだが、今日は晴れた。『晴天広場』というのはどうだろうか。

嵐も吹雪も、必ずいつかは収まり、晴れの日が来る。また、そうしていくのが信心だ」

小松田は、顔をほころばせた。

「『晴天』は、私たちの誓いです」

――十年前の一九七二年(昭和四十七年)七月、日本列島は大雨に見舞われた。東北指

導のため、伸一が仙台を訪問した九日までに、九州、四国方面では山崩れや崖崩れが発

生し、二百人近い死者、行方不明者が出ていた。「昭和四十七年七月豪雨」である。

秋田県でも大雨となり、県北では、河川の氾濫による浸水害が多発した。

秋田では十二日に、伸一との記念撮影会が予定されていた。だが、この豪雨のために、

やむなく中止とした。しかし、伸一は、山形県での記念撮影会を終えると、十一日に

秋田入りしたのである。

“皆、水害に遭い、暗い気持ちでいるにちがいない。だから、万難を排して秋田へ足を

運び、いちばん大変な思いをしている人たちを励まそう”との思いからであった。

秋田会館を訪れた彼は、県内各地の豪雨被害の詳細な状況を尋ね、幹部の派遣や被害

者へのお見舞いなど、矢継ぎ早に手を打っていった。会館で行われていた会合にも出

席し、「変毒為薬」の信心を訴えたのである。

この日は、既に雨もあがっており、空は美しい夕焼けに包まれた。以来、秋田の同志

にとって、晴天、夕焼けは、豪雨という試練を越えた象徴となったのだ。

 

 

勝ち鬨 六十九

 秋田の同志は、今、正信会僧による“嵐の宗門事件”を勝ち越え、“歓喜の晴天”のなかで、

山本伸一を迎えたのだ。

それだけに、「晴天広場」との命名を聞いた時、小松田俊久だけでなく、周囲にいた誰も

が喜びを隠せなかったのである。
  
この日、夕刻からは、秋田市内で東北代表者会議が行われた。その席で、大曲、能代など

の寺院での、正信会僧による過酷で非道な学会員への仕打ちも、つぶさに報告された。

――ある寺では、法事を頼むと、来てほしいなら学会を辞めよと、ここぞとばかりに迫っ

てきた。そんな恫喝に屈するわけにはいかなかった。大ブロック長(後の地区部長)が導

師になり、冷やかし半分でやってきた脱会者たちを尻目に、学会員は声を合わせて、堂々

と、厳粛に読経・唱題し、法要を行った。

別の寺では、家族が他界し、悲しみと戦っている婦人が、坊主から、「学会なんかに入っ

ているからだ」と、聖職者とは思えぬ暴言を浴びせられたこともあった。

代表者会議では、この両地域の同志を激励するために、派遣する幹部についても検討が行

われた。伸一は語った。

「これまでの皆さんのご苦労を思うと、胸が張り裂けんばかりです。よくぞ耐えてこられ

た。広宣流布のために正義を貫かれた皆さんを、御本仏は大賛嘆されるでしょう。

ともあれリーダーは、皆を大きく包容し、守り抜いていただきたい。その際、こまやかな

心遣いが大切です。人間は感情で左右されることが多いものであり、こちらの配慮を欠い

た、些細な言葉遣いによって、相手を傷つけてしまうこともある。しかし、信心の世界に

あっては、不用意な言動や暴言で、同志を退転に追いやってしまうようなことは、絶対に

あってはならない。仏を敬う思いで、同志と接していくことが基本です。

あくまでも一人ひとりを尊重し、良識豊かな、人格錬磨の世界こそが、わが創価学会であ

ることを、深く自覚していただきたい」

 

 

勝ち鬨 七十

 山本伸一は、東北代表者会議を終えて、秋田文化会館に戻ったあとも、役員と勤行し、

青年部と記念の写真を撮った。彼が、この一日で激励したメンバーは、約千人に及んだ。

さらに伸一は、多くの同志が、家で諸行事の大成功を祈って、唱題してくれていること

を聞くと、感謝の題目を送った。そして、後年、そのメンバーで「雪の秋田指導 栄光

グループ」が結成されるのである。

翌十一日は、朝から青空が広がった。太陽の光がまぶしいほどであった。

正午前、彼は、東北方面や秋田県の幹部らと学会本部のバスで、秋田会館に向かった。

この会館は、前年末に秋田文化会館が完成するまで、県の中心会館として使われてきた

法城である。ここで、元日から一カ月間、伸一の世界平和推進への歩みを紹介する平和

行動展が開催されていたのである。

伸一は、年末年始も返上して準備と運営にあたってきた青年部員と会い、感謝の気持ち

を伝えようと、足を運んだのである。

「ご苦労様! よく頑張ってくれたね」

運営役員や案内担当のメンバーに声をかけ、観賞のひとときを過ごした。

そのあと伸一は、代表と昼食を共にしながら懇談し、さらに功労者宅を訪問した。

かつて“日本海の雄”といわれた秋田支部の初代支部長を務めた故・佐藤幸治の家である。

佐藤は、一九五三年(昭和二十八年)に三十九歳で入会した。東京に出ていた末の弟が

信心を始め、この弟の弘教によって、前年には、長男の幸治を除いて、四人の弟・妹が

次々と入会した。幸治は学会を見ていて思った。

“学会は、これだけ多くの青年を魅了している。その学会の会長に、ぜひとも、直接、

会って話を聞きたいものだ”

そして、第二代会長の戸田城聖を訪ねた。語らいのあと、戸田は彼を見すえて言った。

「秋田を頼みます!」

その気迫と人柄に打たれて、彼は、思わず「はい。秋田で頑張ります」と答えていた。

生命と生命の共感が、人間を動かす。

 

 

 

 

 

 


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