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〈藍よりも青く 「3・16」研さんのために〉 

 

   池田先生の指針に学ぶ 上

2018年2月21日

   君自身が「炎の走者」と立て

 

      生命尊厳の哲学を社会に!――
      今月の本部幹部会に参加した
      アメリカの青年部201人が意気高く
       (4日、大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で)

 

来月行われる「世界青年部総会」を目指し、全国、全世界の青年が

広布拡大に奔走し、自らの人間革命に挑んでいる。

ここでは「3・16」に関する池田先生の随筆やスピーチ等を、

後継を誓う友の指針として上下2回に分けて紹介する。

 

闘魂を継承

「3・16」それは――

「広宣流布の闘魂」を継承する日である。

「正義の王者の誇り」に奮い立つ日である。

「師弟不二の完勝」へ出発する日である。

あの日あの時、わが師・戸田城聖先生は師子吼なされた。「創価学会は宗教界の王者なり」と。それは、75万世帯

の妙法流布の願業を成就なされた偉大な師の大勝利宣言であった。

御聖訓には、「天・地・人を貫きて少しも傾かざるえお王とは名けたり」(御書1425ページ)と仰せである。

王者の富士の如く、何があっても微動だにしない。何ものも恐れず、広宣流布の大遠征へ舞いゆく王者の宝冠が、弟

子に授けられたのだ。

(『栄光への指針』)

 

世界が共鳴

3月の上旬、時の総理大臣の参詣が16日と決まった時、戸田先生は、私に言われた。

「将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしておこうではないか!」

先生は「大梵天王・帝釈等も来下して……」(御所1022ページ)と御聖訓に仰せの、広宣流布の一つの姿を、

青年に教えておきたいとのお心であった。

梵天・帝釈等の諸天善神の働きをする社会の指導者たちが、やがて御本尊に帰依する日が来ることを、儀式として

示そうとされたのである。

それは、「仏法の人間主義」に共鳴して、世界中の指導者が集い、友情を結び、人類の平和と幸福の実現を誓い合

う姿と見ることもできる。

今や、全世界から、国家や民族の違いを超え、政治、経済、教育、文化など、あらゆる分野の指導者が、我らSG

Iの理念と行動に、絶大なる共感と賛同をもって、仏意の創価学会を永遠に顕彰するために訪れてくださる。

誉れある、その一つ一つの儀式は、あの「3・16」の儀式の、精神の継承といってよいだろう。

(『池田大作全集』第130巻所収、随筆「新・人間革命」 創価の戴冠式「3・16」)

 

宗教界の王者

「宗教界の王者」とは、思想界、哲学界の王者という意義である。

王者の「王」の字は、横に「三」を書き、「一」の字を縦に書く。

「三・一六」の「三」と「一」に通じようか。

また、「六」とは、集い来った六千人の使命の若人、そして、後に続く六万恒河沙の地涌の同志なるか。

「3・16」の大儀式は、「霊山一会嚴然未散(りょうぜんいちえげんねんみさん)」(霊山一会嚴然として未だ

散らず)の姿さながらに、われらには思えた。

(『池田大作全集』第130巻所収、随筆「新・人間革命」 「3・16」の大儀式を偲びつつ)

 

師との絆とは

青年よ、ちっぽけな世の波騒を見おろしながら、大胆に生きよう。何ものも恐れず、壮快に動こう。堂々と真実を

叫ぼう。

君が燃えなければ、時代を覆う生命の闇は燃やしつくせない。君が走らなければ、正義の炎は、人々のいのちに届

かない。君自身が、一個の「炎の走者」と立ち、動き、祈り、語り始めること、そこに「3・16」の本義がある

のだ。

諸君の力走の果てに、民衆の「栄光」と「勝利」の山脈が、都市が姿を現す時――その時こそ、わが「永遠の3・

16」の儀式は、諸君の胸中に鮮やかに蘇り、新しき不滅の光を放ち始めるだろう。

その時、私と諸君との真の絆が固まる。

その日を私は祈りて待つ。信じて待つ。ひとり戦いながら待つ。

(1991年3月16日付聖教新聞、池田先生のメッセージ「『魂の炎のバトン』を君たちに」)

 

自身の歴史を

青年部の世紀である。広宣流布の全責任を担い立ち、死にもの狂いで、自分自身の勝利の金字塔を打ち立ててもら

いたい。

今がチャンスである。何でもいい。何かで歴史をつくることだ。やれば自分が得をする。やらないで損をするのも

自分である。諸君の戦いを、だれが見ていなくとも、御本尊が御照覧である。私は見守っている。

今の十倍、いな百倍の勢いで、頭脳を回転させ、猛然と動き、正義を語りぬいていくことだ。あえて苦労を求め、

みずからを鍛え、速度を増して成長していってほしい。それ以外にない。諸君の成長いかんで、学会の命運が決ま

るからである。

(『普及版 池田大作全集 スピーチ』2001年(1))

 

不二の誓願

弟子が自分中心の「小願」にとどまっている限り、師匠と不二にはならない。小さく、狭い自分で終わってしまう。

「大願」とは、師匠と同じ誓願にたつことだ。法華経の行者である師匠と、心を合わせて行動することだ。

その時、露を大海に注ぎ、塵を大地に埋めるように、計り知れない雄大な境涯が開かれていくのだ。

私は戸田先生と同じ心で、「一閻浮提広宣流布の大願」に立った! そして、勝って勝って、勝ちまくってきた!

一年また一年、「3・16」に、新たな勝利と出発の節を刻み、ここに五十星霜の大絵巻が綴られたのだ。

(『池田大作全集』第139巻所収、随筆「人間世紀の光」 永遠の師弟の原点「3・16」)

 

 

 

 

 

 

 


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