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勝ち鬨 六十一

 

 闇を破り、赫々と青年の太陽は昇る。

清らかな瞳、さわやかな笑み、満々たる闘志、みなぎる力――青年は希望だ。若人が躍り

出れば、時代の夜明けが訪れる。

一九八二年(昭和五十七年)――学会は、この年を、「青年の年」と定め、はつらつと二

十一世紀へのスタートを切った。

元朝、山本伸一は、神奈川文化会館から、東天に昇りゆく旭日を見ていた。

“いよいよ青年の時代の幕が開いた!”

彼は、各方面に行くたびに、そのことを強く実感していた。自身が手塩にかけて育ててき

た青年たちが、若鷲のごとく、たくましく成長し、新世紀の大空へ大きく羽ばたかんと、

決意に燃えているのだ。

“創価の全同志よ! 時は今だ。今こそ戦うのだ。青年と共に広布の上げ潮をつくろう”

伸一は、新年にあたり、和歌を詠んだ。

 「妙法の 広布の彼方に 山みえむ

    金剛かがやき 旭日光りて」

 「幾たびか 嵐の山を 越え越えし

    尊き同志の 無事ぞ祈らむ」

 「死身をば 弘法にかえゆく 嬉しさよ

    永遠に残りし 歴史なりせば」
   
元日、神奈川文化会館では、八階、七階、五階、三階、地下二階と、五会場で新年勤行会

が行われた。モーニングに身を包んだ伸一は、各会場を回り、十数回にわたって勤行会に

出席し、参加者を励ました。

彼は、この一年こそ、新世紀への勝利の流れを開く勝負の年であると心に決めていた。

それには、自らが同志の中へ入り、語らいを重ね、率先垂範をもって皆を鼓舞し、触発し

ていく以外にないと結論していた。

闘将は、闘将によってのみ育まれる。

午後、創価高校サッカー部のメンバーが、神奈川文化会館に創立者の伸一を訪ねて来た。

彼らは、全国高校サッカー選手権大会の東京Bブロック代表となり、東京・国立競技場で

行われた開会式が終わると、直ちに、大会出場の報告にやって来たのである。

 

 

勝ち鬨 六十二

 山本伸一は、創価高校のサッカー部員と共に記念のカメラに納まった。全国選手権大会

に出場するのは、初めてのことである。

伸一は、選手たちに声をかけた。

「いつも通りに、伸び伸びとね」

メンバーは、肩に余計な力が入っていたのが、すっと抜けるような気がした。

彼は、周りにいた人たちに言った。

「負けた時には、明るく笑って、励ましてあげてください。勝った時には、泣いてあげて

ください」
    
 翌二日、創価高校は一回戦を迎えた。対戦相手は、大分代表の高校である。この日は、

伸一の五十四歳の誕生日であった。

選手たちは、「初戦の勝利をもって、創立者の誕生日をお祝いしよう」と誓い合った。

皆、普段以上に力を発揮できた。また、見事な連係プレーが随所に見られた。

ゴールキーパーの選手は、年末の練習試合で左膝内側の靱帯を損傷したが、テープを巻

いて出場し、鼻血を出しながらもゴールを守り抜いた。しかし、容易に決着はつかず、

試合は0対0のまま、PK戦となった。そして、シュートが決まり、創価高校が勝利し

たのだ。“負けじ魂”が光る勝負であった。

この試合は、テレビ中継されており、学園寮歌「草木は萌ゆる」(後の創価中学・高校

の校歌)の歌声が流れ、胸を張って熱唱する選手たちの凜々しい表情が放映された。

四日には、二回戦に臨み、北海道代表と対戦した。接戦の末に0対1で惜敗したが、

初出場ながら、いかんなく敢闘精神を発揮した試合となった。

対戦した北海道代表のフォワードは高等部員であった。彼は、試合終了後、創価高校の

監督のもとへ駆け寄り、「ありがとうございました!」と一礼し、自己紹介した。二人

が固い握手を交わすと、拍手が起こった。

「これから創価高校の分まで頑張ります」と語る、彼の姿がさわやかであった。

もう一つの青春のドラマであった。

 

 

勝ち鬨 六十三

 元日、山本伸一は、神奈川文化会館で午前と午後にわたって新年勤行会に出席したあと、

静岡県へ向かった。翌二日は、宗門の総本山での諸行事に参加した。

三日には、静岡研修道場で静岡県の代表幹部を激励し、四日、五日は、自ら教育部の新春

研修会を担当するなど、飛行機が勢いよく離陸していくように、フル回転で新年のスター

トを切ったのである。

九日、伸一は、学会本部の師弟会館で行われた首都圏高等部勤行会に、会長の秋月英介と

共に出席した。

彼は、戸田城聖が世界広宣流布を誓願して願主となった、「大法弘通慈折広宣流布大願成

就」の創価学会常住の御本尊に、皆と一緒に深い祈りを捧げた。唱題しながら、十六年余

り前の一九六五年(昭和四十年)十月、この会場で、当時の高等部の部長一人ひとりに、

出来上がったばかりの部旗を授与した日のことが、鮮やかに思い起こされた。

その時に集った高等部員の多くは、今や男女青年部の中核として、広宣流布の檜舞台に躍

り出ていた。同様に、ここにいるメンバーも、二十一世紀を担う学会の柱となっていくこ

とを思うと、彼の心は弾んだ。

“学会には後継の若師子たちが、陸続と育っている。未来は盤石である”――この確信こそ

が、伸一の勇気の源泉であった。彼は、男女青年部を、学生部を、高等部、中等部、少年・

少女部のメンバーを、さらに全力で励まし、育成していこうと決心していた。

勤行のあと、伸一は、全参加者と共に、記念のカメラに納まり、若き俊英の前途を心から

祝福した。さらに、少年・少女部の代表とも記念撮影した。

それから、目黒平和会館(後の目黒国際文化会館)へ向かい、東京の目黒・品川区の代表

との懇談会に臨んだ。目黒には正信会僧の活動拠点となってきた寺があり、同志は悪僧と

の攻防戦を続けてきたのである。

“苦闘する同志を応援しよう!”――伸一は、年頭から激戦の地へと走った。

 

 

勝ち鬨 六十四

 山本伸一は、目黒平和会館での懇談会で、参加者の報告に耳を傾けた。

目黒の同志は、傲慢で冷酷な正信会僧らの攻撃によって、さんざん苦しめられてきた。

それは、まさしく、学会の発展を妬んだ、広布破壊の悪行であった。

伸一は、目黒の幹部に語った。

「今こそ、本気になって戦いを起こす時です。行動です。どんな困難な状況にあっても、

行動から新しい局面が開かれていきます」

静かな口調であったが、力のこもった声であった。

「皆の、なかでもリーダーの一念が変われば、いかに最悪な事態であっても、必ず道を

切り開いていくことができます」

このあと、伸一は、自由勤行会を行い、集って来た同志を全力で励ました。

「正しい信心とは何か――それは、生涯、何があっても御本尊を信じ抜いていくことで

す。また、正邪、善悪に迷っている人には、真実を言い切っていくことが大事です。

それには勇気が必要です。目黒の皆さんは、見栄や体裁にとらわれるのではなく、勇気

をもって仏法対話のうねりを起こしてください」

――「人生が私たちに要求するのは勇気である」(注)とは、ブラジルの文豪ジョアン・

ギマランエス・ローザの言葉である。

翌日、伸一は秋田指導に出発することになっていた。準備もあったが、時間の許す限り

激励を続けた。東京で最も苦しみながら、創価の正義の道を歩み通した目黒の同志に、

勝利の突破口を開いてほしかったのである。

この夜、伸一は、日記に記した。

「僧の悪逆には、皆が血の涙を流す。此の世にあるまじきこと也。多くの苦しんでいっ

た友を思うと、紅涙したたる思いあり。御仏智と信心は必ず証明される」

仏法は勝負なれば、われらは必ず勝って、創価の正義を宣揚しなければならない。

目黒の法友は、この年、「弘教千百十五世帯」という全国一の見事な発展をなし遂げて

いくのである。

 

 小説『新・人間革命』の引用文献

 注 ローザ著「大いなる奥地」(『世界文学大系83』所収)、中川敏訳、筑摩書房

 

 

勝ち鬨 六十五

 上空から見た秋田は、美しき白銀の世界であった。一九八二年(昭和五十七年)一月十日

午後二時過ぎ、山本伸一たちを乗せた飛行機は、東京から約一時間のフライトで、秋田空港

に到着した。

「こんな真冬に行かなくても」という、周囲の声を退けての、約十年ぶりの秋田指導である。

彼が秋田行きを決行したのは、「西の大分」「東の秋田」と言われるほど、同志が正信会僧

から激しい迫害を受けてきたからであった。それだけに、新年を迎え、松の内が過ぎると、

“一刻も早く”との思いで、雪の秋田へ飛んだのである。

彼は、出迎えてくれた県幹部とあいさつを交わし、空港ビルを出た。吹き渡る風は、頰を刺

すように冷たい。車寄せに、七、八十人ほどのメンバーが待機していた。できることなら、

皆のもとへ駆け寄り、一人ひとりと握手を交わし、敢闘を讃えたかった。しかし、ほかの利

用者の迷惑になってはならないと思い、声をかけるにとどまった。

「また、お目にかかりましょう!」

伸一は、車に乗り込み、前年の末、秋田市山王沼田町に完成した秋田文化会館(後の秋田中

央文化会館)へ向かった。車窓から見ると、雪化粧した大地が、雲間から差す陽光に映え、

きらきらと輝いていた。前日は未明から朝にかけて、どか雪であったという。

しばらく走ると、ガソリンスタンドの前に四十人ほどの人影が見えた。同乗していた、東北

を担当してきた副会長の青田進が言った。

「学会員です。皆、頑張ってくれました」

伸一は、黙って頷くと、車を止めるように頼み、求道の友の方へ歩き始めた。革靴に、雪が

解けた路面の水が染みていった。だが、同志が寒風のなかで待っていてくれたことを思うと、

居ても立ってもいられなかった。

「寒いところ、ご苦労様!」

皆が歓声をあげた。真剣な、そして、“遂に、この日が来た!”という晴れやかな表情であっ

た。苦労の薪が多ければ多いほど、歓喜の炎は赤々と燃え上がる。

 

 

 

 

 

 


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