• ただいま、Word Press 猛烈習熟訓練中!!
Pocket

〈世界写真紀行〉第30回 ポルトガル・リスボンの街並み

2018219

 

ユーラシア大陸の最西端にあるポルトガルの首都

リスボン。

“七つの丘の街”とも呼ばれ、美しい街並みが広がる

                

 

立ち並ぶ赤い屋根が美しい。市街の向こうに見える川

は、ほどなく大西洋に注ぐ。きょうも数多くの船が、

ここから広大な世界へと出航していく。

ポルトガルの首都リスボン。高台に立つ「サン・ジョ

ルジェ城跡」からの眺めである。

リスボンは、海上交易の拠点として、紀元前の昔から栄えてきた。

河口の近くには「新航路発見の記念碑」がある。完成は1960年。大航海時代を開いたエンリケ航海王子(13

94年~1460年)の没後500年を記念したものである。

”資源の少ない小国”にすぎなかったポルトガル。21歳のエンリケ王子は、大ポルトガルをつくるため、東方への

「新航路」を発見しようと決意していく。海岸近くに移り住み、優秀な学者・技師・船乗りを集め、最先端の航海

術・地理学などを取り入れた。

実験航海を繰り返すものの”新航路”はなかなか見つからない。実は船乗りたちが、ある地点以上に進もうとしなか

ったのである。

それが「ポジャドール岬」。そこから先は、怪物たちが住み、海は煮えたぎり、滝となって落下していると、中世

以来、信じられてきた。エンリケが岬を越えるよう命じても、船乗りたちは背き続けた。エンリケをだまして別の

針路をとる者もいた。

15年目、とうとうエンリケは言った。

「もしかりに、世界でいわれているような噂が、すこしでも根拠のあるものならば、わたしはおまえたちをこれほ

どまでに責めはしない。しかしおまえたちの話を聞いていると、ごくわずかの航海者たちの意見に過ぎないではな

いか。しかもその連中というのは(中略)羅針盤も航海用の海図も使い方がわからない連中ばかりなのだ」

(ダンカン・カースルレイ著、生田滋訳『図説 探検の世界史1』集英社)

何も知らない者たちのうわさにだまされるな!――エンリケの叱咤に、一人が声を上げた。

「行こう! 岬を越えよう!」

そして1434年、ついに岬を越えたのである。

実際に行くと、”向こう側”には、穏やかな海が広がっていた。カナリア諸島から、わずか240キロなのだから、

当然ともいえる。

だが、ポジャドール岬を越えた意味は大きかった。中世の迷信が打ち破られたかえあである。エンリケの死後、

アフリカ南端の喜望峰の発見(88年)、インドへの新航路発見(98年)と続き、ポルトガルは、”海の覇者”と

なっていった――。

池田先生は1965年10月27日、ポルトガルを訪問。リスボンにあるサン・ジョルジェ城跡や、「新航路発見

の記念碑」へ足を運んだ。

小説『新・人間革命』「新航路」の章に、その時の様子がつづられている。

山本伸一は記念碑を見上げつつ、同行の友にエンリケ王子の事績と後のポルトガルの繁栄を語り、こう続けた。

「ポルトガルの歴史は、臆病では、前進も勝利もないことを教えている。大聖人が『日蓮が弟子等は臆病にては叶

うべからず』(御書1282ページ)と仰せのように、広宣流布も臆病では絶対にできない。

広布の新航路を開くのは勇気だ。自身の心の”臆病の岬”を越えることだ」

先生の訪問当時、ポルトガルにSGIメンバーは一人もいなかった。

その後、ポルトガルSGIの友は、この先生の指針を胸に、広布と友情を拡大。2009年には、法人として正式

に登録された。今や青年部が拡大の先頭に立つ。世界模範の”青年学会”として躍進する。

広布と人生を開くのは勇気。人と会うにも、対話をするにも勇気が必要だ。だが、それは相手に対してではない。

”新しい挑戦を恐れる自分” ”苦労を避けようとする自分”との戦いだ。

万事、やってみなければ分からない。思い切って足を踏み出せば、必ず新しい景色や新しい自分が見えてくる。

本当の失敗とは、失敗を恐れて挑戦しないこと。さあ、わが”臆病の岬”を越え、栄光の大航海に出発しよう。

 

 

 

 

 

 

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください