2018年2月16日
香港文化会館の前庭で行われた
世界青年平和文化祭の祝賀会。
熱演を披露した若き友に、
池田先生がエールを送る
(1988年2月)
「まだ、香港にいるのは十数人の同志にすぎない。しかし、
二、三十年もすれば、何万人もの同志が誕生するはずです。皆さんが、その歴史をつくるんです」
1961年の池田先生の確信は、30年近い歳月を経て、現実のものとなった。
この初訪問を終え、離陸した飛行機の窓から先生が見たのは、有名な「獅子山」(ライオン・ロック)である。
10度目の訪問となった88年1月、旭日のごとき発展の象徴として「香港文化会館」が開館した。
裏手には獅子山がそびえ、香港広布の獅子たちを見つめる。
九龍の文教地区の一角に完成した新会館。1000人規模の講堂をはじめ、隣接の会館等も含めると、現在は
2000人以上を収容できる。土地が狭く、ビルが林立する香港には、それまで大勢が集える宝城がなかったこと
もあり、同志の感激はひとしおだった。
負けない心を!
1月28日の開館式では、池田先生と並び、青年部の代表らがテープカットを行った。
梁愛群(リョンオイクワン)さん(婦人部企画長)は、香港女子部長としてテープにハサミを入れた。その胸中に
は、師と共に広布と社会の新時代を築く決意があふれていた。
かつて先生は梁さんに言った。「しっかり頑張って、幸せな人生を送るんだよ」と。
病気がきっかけで学会活動に取り組むようになった梁さん。入会前は将来に希望が見いだせずにいたが、信心に出
あい、苦難に負けない自分に変わることができた。
先輩から師弟の精神を学び、皆で励まし合って成長してきた女子部時代は、かけがえのない原点に。83年に女子
部長に就くと、師匠の心を伝えながら、幸福のスクラムを大きく広げてきた。
「先生が言われた通りに実践したおかげで福運が付き、皆が幸せになりました。香港社会は常に変化の連続です。
だからこそ、何があっても純粋な信心を貫いていけるよう、目の前の一人一人を大切にしていきたい」
現在は主に離島地域を担当。フェリーで海を渡り、訪問激励に歩きながら、あの地この地に同志がいる喜びをかみ
締める日々だ。
幸の旭日よ昇れ
88年の訪問の最大の眼目は、16ケ国・地域のメンバーが参加する第9回「世界青年平和文化祭」であった。
開館式の後の最高会議で、池田先生は香港広布の歴史を振り返りながら語っている。
――御書に「二陣三陣つづきて」(911ページ)と仰せのまま、当時はまだ生まれていなかった若き後継の世代
の力で、アメリカに次ぎ、日本を除くアジアでは初となる「世界青年平和文化祭」が開催される。これこそ「一閻
浮提広宣流布の大願成就」への大いなる証しである――と。
アジア広布の起点・香港から、希望の大波は全世界に広がる――そう先生は信じていたのである。
その万感の思いを込めて詠んだのが、長編詩「平和の港に 幸の旭日よ昇れ」だった。
ああ いま 海の彼方
旭日は昇り
我らが待ちに待った
まばゆき黄金の朝(あした)は
訪れた
それは アジアの
そして 世界の
永劫の平和の
夜明けだ
文化祭前日(30日)の香港総会の席上、中国語で詩が朗読されると、会場の香港文化会館は深い感動に包まれた。
地より涌くか
不思議なる
縁の君らよ
元初の太陽を浴びて
踊りいで
後継のたいまつを
掲げ 歓喜の
ファンファーレも
高らかに
いま まさに
世界青年平和
文化祭の 幕を
開かんとしている
翌31日。先生が各界の来賓500人と共に見守った祭典は、「生命の歓喜 平和の光彩」とのテーマにふさわし
い、圧巻のステージとなった。
会場の香港コロシアムには、出演者やその家族、役員なども含めると、延べ3万人の参加者が。グランドフィナー
レの後、マイクを手にした先生は、力強く呼び掛けた。
「大変に素晴らしかった。大変に朗らかだった。大変に頼もしく、大変に美しかった。そして、私は心から感動い
たしました」
李然賛(レイインザーン)さんは、2500人が出演した文化祭を、舞台役員として陰で支えた。
「ステージ裏にいた私は、先生にお目にかかることはありませんでしたが、出演者が歓喜する姿を見た時は、感無
量でした」
幼少期にポリオを患い、左足に軽度の障がいがある李さん。人には負けたくないと、空手などで体を鍛えたが、心
はずっと劣等感にさいなまれていた。
転機は、小説『人間革命』を読んだ中学生の時。戸田先生と池田先生の師弟一体の激闘に感動し、学会活動に参加
するように。その中で大学に進み、漢方医(中医)になるという目標が定まった。
だが志望校は不合格となり、専門学校を卒業後は営業職に。それでも夢を諦めることなく、仕事と活動に取り組み、
真剣に唱題を重ねた。香港副青年部長や未来部長としても奮闘してきた。
香港がイギリス領だった当時、中医は公的な資格がなかった。しかし、97年に中国に返還されると、香港政府が
中医の免許制度を設けることに。猛勉強の末、資格を取得し、大学にも入学。大学院まで修了した。
今、香港島のビジネス街に診療所を構える李さん。確かな実績が認められ、テレビに出演したことも。さらには受
験で涙をのんだ香港中文大学の中医学会の名誉会長に就任。教壇にも立つ多忙な日々だが、師匠と信心への感謝を
忘れず、支部長として広布の第一線を歩んでいる。
地涌の人材群
香港では、世界青年平和文化祭に参加した学会2世、3世の成長が目覚ましい。
未来部だった梁兆其(リョンソウケイ)さん(本部副男子部長)も、その一人だ。
祖母の代に始めた信心を継承し、幼い頃から母に連れられて学会活動へ。行く先々で出会う同志や同世代の子らと
触れ合い、創価家族の温かさを肌身で感じてきた。
文化祭で香港SGIが誇る文化本部の演技に魅了され、13歳で金鷹(カムイェン)体操隊に入隊。鍛えの青春を
過ごした。
仏法への理解を強めたのは2005年。一家の経済苦を打開するため懸命に祈り、現在の職場に転職を果たす。
以来、「信心は一人前、仕事は三人前」をモットーとし、昇格を勝ち取るなど、社会で実証を示してきた。
同じく文化本部で薫陶を受けた妻・亦沁(イェンサム)さん(地区副婦人部長)との間に生まれた2人の子は、
香港創価幼稚園の出身。それぞれ紫荊(シーケン)鼓笛隊と開心(ホイサム)合唱団に所属する。親子2代で文化
本部だ。
牙城会のリーダーも務める梁さん。後年、先生が滞在中、香港総合文化センターに着任したことがあった。
「夜が更けても、先生の部屋の明かりは付いたままでした。諸行事を終えられた後も、遅くまで私たちの幸福を祈
り、執筆活動を続けておられることを知り、熱いものが込み上げました。生涯、学会厳護に尽くそうと誓った瞬間
です」
香港には、師弟の魂光る人材が陸続と育っている。
◇ ◆ ◇
文化祭の次の日からタイ、マレーシア、シンガポールを歴訪した先生は2月11日、再び香港へ。翌日には市街を
歩き、「春節」(中国正月)を前に華やぐ香港の様子を、その目に焼き付けている。
さらに14日には、第1回香港青年部合同総会でスピーチした後、世界青年平和文化祭の記念祝賀会に出席。功労
の友をたたえ、地涌の若人を励まし、機上の人となったのは、翌15日であった。
あれから30星霜――。
きょう16日は、2018年の春節である。新年を迎えた香港の同志の胸に輝くのは、師から贈られた長編詩の一
節一節に違いない。
さあ 愛する
この香港に 寂光の都
常楽の都を築こう
さあ 錨を上げよう
旅立ちの銅鑼を
高らかに打ち鳴らせ
出発だ! 出発だ!